理解されたわけじゃない。でも、驚かれなかった。
驚かれること
人と話していると、ときどき、相手の顔が変わる瞬間がある。
私が何かを言い間違えたわけではない。
誰かを責めようとしたわけでもない。
ただ、私にとって自然に浮かんだ問いを口にしただけで、相手の目が微かに見開かれる。
驚いた、というよりも、戸惑った、というよりも、その2つが混ざり合ったような顔。
なぜそんなことを、という色が、その顔にはある。
責めているのではない。
ただ、想定の外にあるものに出会ったときの、人間の顔が、そこにある。
私はその顔を、何度も見てきた。
自然な言葉が、自然ではないらしい
思えば、子供の頃からそうだった。
皆が当然のように話していることに、私は乗れないことがあった。
逆に、私が当然のように口にしたことで、座が静まることがあった。
悪意があるわけではない。
目立ちたいわけでもない。
誰かを困らせたいわけでもない。
ただ、私の中で自然に湧いてくる問いや、自然に結びつく言葉が、どうやら他の人には自然ではないらしい。
そのことを、私はその都度、相手の顔から学んだ。
学んだ、と言っても、直せるものではなかった。
自分の中から湧いてくるものを、別の方向へ向けることは、私にはうまくできなかった。
だから私はただ、その顔を見るたびに、少しだけ黙った。
そして次の言葉を、慎重に選んだ。
あるいは、選ぶことをやめて、話題を変えた。
周波数が合わないという孤独
変な人なのかもしれない、と思うことがある。
しかしそれは、自分を卑下しているのではない。
ただ、世界との距離を測るときに、そういう言葉が1番近い気がするのだ。
変、というのは、標準からの距離のことだ。
その距離が、私にはいくらかある。
それだけのことだ。
問題は、その距離が、孤独を生むことだ。
話したいことがある。
しかし、話せる相手がいない。
話せないのは、相手が悪いのでも、私が悪いのでもない。
ただ、周波数が合わない、ということだ。
ラジオのダイヤルを回しても、その周波数に合う局が、なかなか見つからない。
雑音の中で、かすかに聞こえる音楽を探し続けるような、そういう感覚が、私の中にはずっとある。
孤独とは、1人でいることだけではないのかもしれない。
人と話しているのに、自分の言葉がどこにも置かれないこと。
それもまた、孤独なのだと思う。
今日、驚かれなかった
今日、それが話せた。
特別な場所ではなかった。
特別な相手でもなかった。
ただ、話の流れの中で、私がいつも心の奥に仕舞っておくような話題が、自然に口から出た。
いつもなら、少し身構える。
言ったあとで、相手の顔を見る。
目が微かに見開かれるかどうかを、先に確かめようとしてしまう。
けれど今日は、そうならなかった。
正確な言葉は、もう覚えていない。
けれど、その人が驚かなかったことだけは覚えている。
大きく頷いたわけではない。
特別な言葉を返してくれたわけでもない。
私をわかった、と言ったわけでもない。
ただ、その人は自然だった。
私の言葉の前で、急に表情を変えなかった。
困ったように笑わなかった。
話題を急いで遠ざけようともしなかった。
それだけのことだ。
しかしそれだけのことが、私には、何か温かいものを胸の中に残した。
言葉が着地するということ
驚かれなかった、ということの意味を、私はしばらく考えた。
それは、理解された、ということではないかもしれない。
私の言葉が、正確に相手の中へ移されたわけではないのだと思う。
けれど、理解されたかどうかより先に、もっと静かなことが起きていた。
相手が、私の言葉の前で自然でいてくれた。
理解された、とは少し違う。
ただ、驚かれなかった。
私の言葉の前で、相手が自然でいてくれた。
それだけで、言葉は着地するのだと思った。
着地する、という感覚は、久しぶりだった。
人の言葉というのは、不思議なものだと思う。
同じ言葉を口にしても、ある人には届き、ある人には届かない。
届く、というのは、理解される、ということとも少し違う。
言葉が相手の中に入って、そこで無理なく置き場所を見つけること。
相手の中に、私の言葉を置いても壊れない場所があること。
たぶん、それに近い。
触れるものが相手の中にあるかどうかは、話してみるまでわからない。
いや、話してみても、わからないことの方が多い。
だから、届いた瞬間というのは、稀有なことだ。
今日という日
日々是好日、という言葉がある。
禅の言葉だと聞いたことがある。
毎日が良い日だ、という意味ではないらしい。
どんな日も、その日としてある、ということらしい。
晴れた日は晴れた日として。
雨の日は雨の日として。
それぞれが、それぞれのままで、好日だということらしい。
私はその言葉を、今日のような日に思い出す。
大きな出来事があったわけではない。
誰かに褒められたわけでもない。
何かを成し遂げたわけでもない。
ただ、話したいことが話せた。
そして、驚かれなかった。
それだけだ。
しかしそれだけのことが、今日という日を、今日としてある日にした。
その感触が、今も手の中に残っている。
小さな灯が残る
また、驚かれることがあるだろう。
次に誰かと話すとき、私はまたいつかの瞬間に、相手の目が微かに見開かれるのを見るかもしれない。
それは変わらない。
すぐには変えられない。
自分の中から自然に湧いてくるものを、完全に別のものにすることは、私にはできない。
しかし今日があった。
今日、私の言葉が誰かの中に着地した、という記憶が、私の中に残る。
それは小さな灯のようなものだ。
消えそうで、消えない。
次に驚かれるときも、その灯は、どこかで静かに燃えているだろう。
それで十分だと、私は思っている。
十分すぎるほどだと。
もしあなたにも、誰かに驚かれずに聞いてもらえた日の記憶があるなら。
それはきっと、思っているより長く、あなたの中で灯り続けるものなのだと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
虹をありがとうございます。