私にとっての余白 —— 呼吸を残す言葉
私は、具体化しすぎた表現や型にハマったような文はあまり好きじゃありません。
もちろん時には、問題を解決したいなら、抽象化しすぎてもいけないなとも思います。
けれど、そればかりでは息が詰まる。
読み手の記憶や感情が入り込む余地のようなものを大事にしたいんです。
余白を感じとれる言葉という、私の感覚はそういうことです。
私にとって、詩は「問題を解決するための言葉」ではなく、「生き続けるために呼吸を確保する言葉」という意味合いが強いです。
感情と感性の整理でもあると思ってる。
詩や創作を書いているnoterさんは同じ人も多いかもと思うのですが、
すべてを明確にしてしまったら、
読む必要も、
感じる必要も、
生きた言葉を書く理由もなくなってしまう。
私の最初の作品は、詩的な寓話と詩的なエッセイを対にしてみました。
けれど、あまり私の考えている表現には近づけなかったと思いました。
私の記事には、文として見れば曖昧なところもあると思います。
それでも、読んでくれた人が自分の記憶や感情を重ねながら受け取ってくれることに、私は感謝していますし、救われています。
言葉が生きている証拠として。
お互いの息ができる余白を、残したままやり取りできている。
そう思っていますし、そう信じられています。
