旅することが自分探しなのか?
「旅するんだ。自分探しでもするんだね。」
旅を決意して複数人に言われた言葉だ。
「そうなんですよ」とそうではないはずなのに、思ってもいないことを誤魔化して発言し、会話を終わらせる。
会話の後に自分の頭の中で
「今からする旅は自分探しなのだろうか」と振り返る。
相手の考えている意図と、自身の捉え方に誤りがあるかもしれないが「自分探しでもするんだね。」という発言が何度も引っかかって、ネガティヴな発言だと捉えてしまっている自分がいた。
「旅がしたい」
「まだ見ぬ景色に出会って記憶に残したい」
「色んな土地や文化に触れて、自分という存在を使って体験したい」
それがなぜ自分探しに繋がるんだろうか。
モヤモヤする日々を送った。
旅する事=自分探し
だと偏見でものを言っていないだろうか。
ミニマリスト=丁寧な暮らしをしている
とは限らない。
それと同じで
旅すること=自分探し
だとは限らない。
デジタル化が進んでいる昨今、沢山の情報を目にする。だが、それが裏目に出ていて、情報過多で何でもかんでも直ぐに「これが私の正解」だと決めつけ、これから物事を経験するであろう相手に発言する風潮がある。
自分の性格は理解できても、自分の事はわからない。
わからなくたっていいし、それを悩んでいる時が充実していると感じている。(喜怒哀楽すべて)
それが自分の答えだ。
旅の仕方なんて人それぞれだ。
中には、旅で自分探しと言う人もいるだろう。
私は行き当たりばっ旅(行き当たりばったりの旅を略して)をする予定で、これから先のことは未知ではあるが、楽しい方、楽しそうな方を選んでいきたいと思っている。
自己責任だから何も文句はない。
良いことも悪いことも、予想外な出来事が好きだ。
だが、自分探しというワードが私は嫌いだ。
(発言した人々が嫌いという話ではない。)
