見出し画像

見える孤独を味わいたい 07

記憶の墓

 書いておくと忘れても読めば思い出すことができる。大好きで人生で最も繰り返し見ているテレビドラマ「すいか」の名言はいくつもあるが、浅丘ルリ子演じる教授の「お墓って人間の発明よね。お墓は安心して忘れられるようにあるんだと思うわ」というようなセリフが、今日も思い出されている。
 過去をこのようにして回想して綴りたい動機のどこかに「これでもう覚えていなくていい」というものがある気がしている。「安心して忘れるため」ぼくは過去を言葉、文章という形にしてここに定着させている。この文章集はだから「記憶の墓」。

 2008年の夏はわたしは日記を書いていた。かわいくて高価な手帳サイズのノートに手書きで記していたその記録によると、その日は夕方から雨、雷、雷雨となった。雨漏りがした。初日の雨漏りに辟易としたということは書いていなかったが、たしかうんと気持ちが萎えた。決定を取り消ししたいくらいに貧しくてみすぼらしい、失敗を選んだ気分になった。デジタルゲームの世界ならキャンセルがきくかもしれないが、ここはそうではない。雨漏りはないが首都高を走る車により24時間レベルで微振動していたあの部屋はもう私のものではない。ふたたび借りることはできたかもしれないが、今日の明日で戻ることはできないし、そんなことはしたくない。だから気分だけ萎えて、凹んで、それで寝る。それが人間、人の営み処世術。
 
 雷雨のあとは晴れることが多い。翌日は快晴で、雨漏りはなく、車で仕事へ行った。車は渋谷区だったため港区ナンバーだった。それを誇らしく思っていた。八王子にいるが、出身は東京なのですという気持ちを何かしらの拠り所としていた。その数年後に車を乗り換えたらもちろん八王子ナンバーとなり、そのことが当時はまだ残念で、残念だった。
 とはいえしかし、街にはどんどん馴染んだ。八王子は、生まれ育った神奈川郊外に少し似ていた。そこも盆地で街の中心に川が流れていたが、ここも川が付近に流れ、山が遠くに見える。人は、生まれ育った土地に安心感や愛着があるものだろうか。そうではないか。記憶がそうさせているだけか。
 ぼくはその秦野での生活、実家での子供時代に安心感や愛着がある。ずっと子どものままでいたかったという気持ちさえある。彼はというと、故郷の街に愛着も安心もないらしく、いつか戻りたいのはどちらかといえば留学先のシドニーだという。では、出身地の故郷でなにがあったのか。どんな想いでその街に生きていたのかと知りたいじゃないか、が、彼は教えてくれない。正確にいうと「憶えていない」といつも言う。「記憶にない」「記憶がない」と、若い時代、ぼくが彼を知る前の彼のことはほとんどなんでもそう言って、ちっとも過去の彼とつながることができないのである。後年、そのことに根拠のようなものを伝えた人がいる。その人は手から言葉を聞くと言い、彼の手から「Mさんはひとりではないです。Mさんの後ろに3人の人がいて時期によって入れ替わっていて、そう、Mさんはタイムリープしています」との情報を取り出し、「タイムリープしている人ってある時期の記憶がないことがよくあります」と言った。真偽は不明。彼本人も「?」という顔をしていたが、時期的なことに納得できることも多く、そうした不思議を好まない彼にしては珍しく、自分から質問さえしていた。
 彼はぼくのように、そうしたいわゆるスピリチュアルとか占いとか精神世界にはほとんど興味がない。強要すると週刊占いとかたまに見ているが、ほっておいたらそういう情報をほしがらない。ぼくは性質として自分がいいと思ったものを人に教えたい、伝えたい、やってほしいという熱がおそらく異常にあって、いつだったか横浜の山手にいらしたオーラの先生に、彼に数万円を渡して行ってもらった(行かせた)ことがあった。どうだった? とものすごい前のめりで聞くと、しばし黙り、「怒られた」と。え? となる。何を怒られる? となると彼は、そこでも黙っていたらしい。そうしたらその先生に「あなたはなんできたの? 時間もお金ももったいないよ?」とちょっと強めの口調で言われたようだった。その後、もともとの紹介者に(ぼくもその人に紹介された)「誰でも彼でも紹介するのはやめて」という苦情? が入った。その時は彼の姿勢が不満でしかたなかったが、今はすてきと思う。ぼくもそうありたい、と思う。
 
 人は変わる。変わっていく。どのみちどうやったて変わるのだから無理に「変わらなくちゃ」と思うこともない。努力が実って、スピリチュアルな施術の効果で変化することもあるだろうが、なにをしてもしなくても結果は同じという説もあり、結局のところ、最終的には「自分がそう思った」という自己判断、自己責任、自分世界がこの世界だということでしかない。わたしは彼の言葉で八王子への移住を決めたが、彼の言葉がなくても決めていたかもしれないし、決めきれなかったとしても外因により移住を余儀なくされたかもしれない。もちろんずっと渋谷区在住であった可能性もあり、渋谷区民の人生が今よりも不幸だったかハッピーだったかもわかりようがない。どうせ生きた、選んだ現実のことしか知ることはなく、だからして厳密には失敗もない。それを選ばなかったら即死していたかもしれないのだ。次の瞬間にアクシデントに見舞われ終わっていたかもしれない、それはわからない。失敗か死かしかなかったとしたら、社会的人間的個人的に大失敗、大失態、大後悔のことがあったとしても、or「死」だとすれば、死が間違いで生が正しいことではないが、死なずにすんだのだから大成功だったという考え方もできる。現実は選べるのか選べないのかわからないが考え方、捉え方は(きっと)選べる。それが私たちに与えられた自由、自由の行使権なのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!