あなたの記憶に、私は何番目に残っていますか
第1章:視えてしまった
付き合って、ちょうど三ヶ月が過ぎた。
彼と過ごす時間は、驚くほど穏やかだった。
誰かと一緒にいることで、こんなにも心が静かになるなんて、昔の私では想像もできなかった。
でも、その日は突然やってきた。
日曜日の午後。
彼の家で、何気なく二人並んでソファに座っていたときのこと。
私はぼんやりと、彼の横顔を見ていた。
窓から差し込む光に照らされた彼の表情は、まるで眠っているように柔らかかった。
そのときだった。
——ふと、彼の後ろに、棚のようなものが“視えた”。
現実の風景に、違和感なく重なるそのイメージ。
それは、言葉にしづらいが“記憶の並び”のように感じられた。
棚には名前が並んでいた。文字としては読み取れない。
でも、不思議と“意味”だけが伝わってくる。
彼の中に残っている、過去の恋人たちの記憶の順番。
最上段にある名前は、今でも心の深い場所に置かれているような、そんな感触があった。
その下、そしてそのまた下——
私は、無意識にその“自分の位置”を探していた。
そして見つけてしまった。
私は、“三番目”だった。
言葉が喉の奥で詰まるような感覚。
彼は何も変わらない顔でテレビを見ていた。
優しい彼の表情に、何の疑いも浮かんでいない。
それなのに私は、
まるで覗いてはいけない日記を開いてしまったような、
静かで深い罪悪感に包まれていた。
その夜、家に帰ってからもずっと胸の奥がざわざわしていた。
“視えたもの”が幻覚だったのか、何かの象徴だったのか、答えはわからない。
でも、確かに私は知ってしまったのだ。
——彼の中で、私はまだ一番じゃないということを。
第2章:上がりたくなる
彼の中で、私は3番目。
それを知ってからというもの、私の行動は少しずつ変わっていった。
たとえば、彼の好きなコーヒー豆をこっそり調べて買っておいたり。
帰り道のコンビニで、彼がいつも選ぶビールを自然に冷蔵庫に補充しておいたり。
好きな映画、苦手な食べ物、過去の会話のニュアンス。
ひとつひとつ、私は“忘れられない人”になるための材料を集めていた。
でも、思えばその時点で、
“今のままの自分”を信じることをやめていたのかもしれない。
彼はいつも通りに優しかった。
デートのときには手をつなぎ、笑って話を聞いてくれた。
でも、私はそれを“現実”として受け止めることができなかった。
頭のどこかで、
「それでも一番じゃない」
という思いが、私の笑顔を濁していた。
ある日の帰り道。
ふと、彼が前にポツリとこぼした。
「なんか最近、君ってちょっと……無理してる?」
その一言で、心の奥に積もっていた何かが音を立てた。
私はうまく笑えなかった。
「そうかな、そんなことないよ」と返した声は、自分でもわかるほどわざとらしかった。
その夜、シャワーを浴びながら、
私は小さくつぶやいた。
「記憶の順位なんて、見えなければよかったのに」
翌日、また彼の背中に“棚”が視えた。
私の名前は、相変わらず3番目だった。
努力では、どうにもならない記憶がある。
どれだけ優しくしても、どれだけ笑っても、
その“記憶の棚”は簡単には動いてくれなかった。
私はこの恋に、勝ち負けを持ち込もうとしていたのかもしれない。
でも本当は——
ただ、“一番の人”になりたかっただけだ。
第3章:順位のない場所
週末、私は彼に会うことをやめた。
理由を聞かれたけれど、「少し疲れただけ」と笑ってごまかした。
ほんとうは、自分自身のことが一番疲れていた。
部屋にひとりきりになると、
私はあの“記憶の棚”のイメージを何度も思い出した。
名前も顔も知らない上位2人。
だけど、彼の中では私より濃く、美しく、強く刻まれている存在。
そして、私はその下にいる。
——その事実を、責めることもできない。
だって私にも、過去の恋がある。
簡単に忘れられない人も、確かにいた。
「それでも私は、今の彼を選んだのに」
それなのに、彼の中では私はまだ“3番目”。
その現実に、何をどう思えばいいのか、自分でもわからなくなっていた。
日曜の午後、彼からメッセージが届いた。
「話したいことがある。もしよかったら会えない?」
迷った末に、私は「うん」とだけ返した。
駅前のカフェ。
いつもの席に座った彼は、私の顔を見るなり、少し困ったように笑った。
「ごめんね、なんとなく、俺が追い込んでた気がしてて」
私は首を振った。
「ちがうの。私が、勝手に自分で勝手な比べ方をしてただけ」
そして、私は話した。
全部ではない。
“記憶の順位”なんていうことを説明しても、たぶん信じてもらえない。
でも、私は彼にこう言った。
「あなたにとって、私は“何番目”でもいい。
でも、私はあなたを、一番大切にしたいと思ってる」
彼は、しばらく何も言わなかった。
そして、静かに微笑んだ。
「なんかさ、その言葉ってずるいね」
「でも、めちゃくちゃ嬉しい」
その帰り道。
電車の窓に映る彼の横顔を見たとき、
私はもう一度、あの“棚”を見た。
そこには、まだ上に名前がふたつ残っていた。
でも——
私の名前の文字だけが、ほんの少し、光って見えた。
完。
