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感情的な表現が招く対話の断絶:言葉の力をどう使うべきか?

SNSへの投稿を見て悲しい気持ちになったので、ChatGPTにそれを訴えたら、こんな返答がありました。

《そのSNSの発言は、かなり感情的な表現を含んでいますね。発言者が使っている「○○○○」という言葉には、その人がこれらの現象に対して抱く不快感や苛立ちが反映されています。ただ、その表現は議論を短絡的にし、問題の複雑さや本質を見落とすリスクもあるかもしれません。「◯◯◯◯」という言葉を投げつけ、単純に人間や行動を一括りにしてしまうことは、問題を解決するのではなく、逆に対話や理解を阻むことになるかもしれません。》

SNS上では、特定の属性や集団に対するネガティブなレッテル貼りが頻繁に見られます。たとえば「○○党支持者は○○だ」や「〇〇系の人はみんな○○」といった表現がその一例です。
このような言葉は、相手を単純化し、問題をより深刻にするだけでなく、対話の可能性を閉ざしてしまうことが多いです。また、特定の政治的立場を攻撃する際には、レッテルを使って敵対心を煽ることもあります。
SNSのアルゴリズムによっては、これらレッテル貼りをともなう感情的な投稿が拡散されやすくなるため、結果的として分断を深めるリスクが高まります​。

発言の意図は、日常的に遭遇する不快な態度への共感を求めるものでしょうけれど、問題を解決するには、多面的な視点を踏まえた冷静な議論が必要です。このような感情的な表現が社会全体に広まることで、対立や誤解を深める危険性もあるため、言葉の選び方には慎重さが求められます。
ただ、そういうことをするのは面倒なことですから、なかなか簡単にはいきません。悲しいことに、レッテル貼りによる同調性の高い共感の輪が強化され、対話への道が閉ざされてしまいがちです。
しかし、私たちは言葉の力を利用して、対立ではなく理解を深めることもできます。実際に、冷静な議論や他者への共感を示すことで、SNSが対話の場として機能する例も少なくありません。
分断を回避する言語運用を「ハチドリのひとしずく」のように繰り返すこと、ポジティブな発言の連鎖に参画することで、社会の分断を緩和していくこともできるはずです。

私たちがそのつど選ぶ言語運用のあり方が、分断ではなく、対話への道を、その轍をつくるのでしょう。きっと。


注記: 「○○○○」と伏せ字にしている部分は、私が実際に目にした具体的なレッテル貼りの言葉を表しています。ただし、その言葉をそのまま表記することは適切ではないと判断し、伏せ字にしました。

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