万博の話を書き終えたあと、私は少しだけ動けなくなった。
少しだけ、久しぶりになってしまいました。
noteの投稿画面を開くのも、なんだか久しぶりな気がします。
毎日のようにこの白い画面に向かっていた時期がありました。
朝なのか夜なのか、少しわからなくなるくらい、ずっと何かを書いていました。
キーボードの上に指を置いて、画面の向こうにある現場へ戻る。
青空。
ゲート。
無線の音。
人の流れ。
スタッフの顔。
泣きそうなのに笑っていた最終日。
そういうものを、一つずつ思い出しながら、私はずっと祝祭シリーズを書いていました。
たぶん、毎日五千字くらい書いていたと思います。
自分で書いておいて言うのも変ですが、今思い返すと、少しどうかしていました。
朝に書いて、昼に直して、夜にまた書く。
昨日の記事の余韻がまだ身体に残っているのに、次の記事のために、また記憶の奥へ潜っていく。
現場の話を書く、というのは、ただ出来事を思い出すことではありませんでした。
その時、自分が何を見ていたのか。
何を見落としていたのか。
誰の表情が残っているのか。
どの言葉を、当時は飲み込んだのか。
そういうものを、ひとつひとつ拾いにいく作業でした。
だから書いている間、私はずっと、少しだけ現場に戻っていました。
終わったはずの場所に、書くことでだけ戻される。
もう聞こえないはずの無線の音を、文章の中でもう一度聞く。
もう会えないかもしれない人たちの顔を、言葉の中でもう一度見る。
懐かしいだけなら、たぶんもう少し楽だったと思います。
でも、あれは懐かしさだけではありませんでした。
感謝もありました。
寂しさもありました。
後悔もありました。
誇りもありました。
それから、今でもうまく名前をつけられない感情も、たくさんありました。
書きながら、何度も思いました。
ああ、私はあの現場が本当に好きだったんだな、と。
そして同じくらい、あの現場に本気だったんだな、と。
今だから、ちゃんと言えます。
あれは私にとって、大人になってからの青春でした。
学生時代のように、放課後に走り回る青春ではありません。
制服を着て、部活の帰りにコンビニへ寄るような青春でもありません。
もっと泥くさくて、もっと責任があって、もっと胃が痛くて、もっと笑えて、もっと眠れなくて、もっと人を信じるしかなかった時間でした。
毎日、何かが起きる。
想定していたことも起きる。
想定していなかったことも起きる。
自分の判断ひとつで、人の動きが変わる。
誰かの一言で、現場の空気が変わる。
たった数分の遅れが、次の波を作る。
そういう場所で、私はずっと立っていました。
完璧だったとは思っていません。
むしろ、完璧ではなかったからこそ、今も書きたいことが残っています。
もっとこうできたかもしれない。
あの時、別の言葉を選べたかもしれない。
あの人の疲れに、もう少し早く気づけたかもしれない。
そういう小さな後悔は、たぶんずっと消えません。
でも、それでも。
あの数ヶ月を、私は人生でいちばん頑張ったと言っていい気がしています。
もちろん、これから先にもっと大きな仕事をするかもしれません。
もっと長く続く現場もあるかもしれません。
もっと責任の重い立場に立つ日もあるかもしれません。
それでも、あの時の私は、あの時の自分が持っていた全部を使っていました。
体力も。
経験も。
判断力も。
優しさも。
意地も。
弱さも。
負けたくなさも。
誰かを守りたい気持ちも。
たぶん、全部使っていました。
だから祝祭シリーズを書き終えた時、少しだけ燃え尽きました。
正確に言うと、書き終えた瞬間に燃え尽きたというより、ちゃんと終わりにしてしまったことに、自分で少し驚いたのだと思います。
もっと書けると思っていました。
まだ出していないエピソードもある。
あの人のことも、この場面のことも、あの日の朝の空気も、まだ書ける。
そう思っていました。
でも、最終回を書いた時、自分の中で何かが静かに閉じました。
ああ、ここで終わりなんだな。
そう思ってしまいました。
もちろん、万博の話はまだ書けます。
書けることは、たぶんいくらでもあります。
でも、祝祭シリーズとしてのあの物語は、私の中で一度、ちゃんと終わってしまった。
終わらせたかったのだと思います。
ずっと胸の中に置いていたものを、ありがとうという形で、ようやく置きたかった。
現場にいた時には言えなかった言葉を、少し遅れてでも渡したかった。
そして、あの場所を、ただ大変だった現場としてではなく、ちゃんと祝祭として残したかった。
だから、終わらせました。
終わらせたら、少しだけ動けなくなりました。
変ですね。
あれだけ「終わらせたい」と思って書いていたのに、いざ終わると、次に何を書けばいいのかわからなくなる。
書きたいことはあるのに、手が止まる。
投稿画面を開いても、言葉が少し遠いところにある。
頭の中には、まだたくさんの記憶があります。
屋外型展示の館長をしていた時の話。
大手の広告代理店にいた時の話。
別の現場で見た、人の動き方や組織の癖の話。
マネジメントの話。
現場の空気の話。
人が動かなくなる時の話。
誰かが一人で抱えすぎてしまう時の話。
書けることは、あります。
たぶん、記事にもできます。
でも、正直に言うと、今の自分の中で、あの万博を超える経験がまだ見つかっていません。
もう言ってしまいます。
万博です。
今まで少し言葉を選んでいましたが、あれは私にとって、やっぱり万博でした。
大きな名前です。
強い名前です。
自分の経験を語る時に、その名前に頼りすぎてはいけないとも思っています。
でも、避けて通るには、あまりにも自分の中で大きすぎる場所でした。
あの会場の広さ。
人の多さ。
毎日変わる空気。
朝と夜でまったく違う顔を見せる現場。
世界中から来るゲスト。
それを支える、見えないところにいるたくさんの人たち。
あれだけ大きなものの一部として、自分が本気で立っていた。
その事実は、たぶんこれからも私の中に残ります。
大人になると、青春という言葉を使うのが少し照れくさくなります。
でも、あれはやっぱり青春でした。
汗もかいた。
悔しい思いもした。
笑った。
怒った。
泣きそうになった。
眠れない日もあった。
それでも次の日、現場に行った。
そして、最後まで立った。
そんな数ヶ月でした。
だから今、少しだけ充電期間に入っています。
止まったわけではありません。
むしろ、止まらないために休んでいます。
ここを間違えないように、自分にも言っておきたいです。
休むことは、逃げることではない。
書かない時間は、終わった時間ではない。
次にちゃんと書くために、少し息をする時間も必要なのだと思います。
祝祭シリーズを書いている時、私はたぶん、脳のかなり奥の方まで使っていました。
毎日五千字を書く。
しかも、ただの記録ではなく、自分にとって大切な現場の記憶を書く。
これは思っていた以上に、体力を使うことでした。
身体は椅子に座っているだけなのに、頭の中ではずっと現場を歩いている。
文章を書いているだけなのに、感情は何度も最終日に戻っている。
パソコンの前にいるのに、気づけばあの日の空を見上げている。
そんな状態が続いていました。
だから、少しだけ脳が焼き切れそうになりました。
というより、半分くらい焼き切れていたかもしれません。
それでも書きたかった。
どうしても、あのうちに書きたかった。
時間が経てば、きっと言葉は整います。
でも、整いすぎてしまうものもあります。
現場の熱。
あの日の息苦しさ。
泣きそうなのに笑っていた人の表情。
最終日の、綺麗すぎるくらいの空。
そういうものは、あまり時間を置きすぎると、綺麗な思い出になってしまう気がしました。
綺麗な思い出にしてしまう前に、書きたかった。
だから書きました。
そして、書き終えました。
今は、そのあとです。
少しだけ空っぽで、少しだけ安心していて、少しだけ寂しくて、でもまだ何かを書きたいと思っている。
そんな場所にいます。
それから、もうひとつ報告があります。
この間、ずっと出版社に送る企画書のようなものを作っていました。
「ようなもの」と書いたのは、正直、まだ私自身も手探りだからです。
本を出したい。
祝祭シリーズを一冊にしたい。
現場で見てきたことを、もう少し遠くまで届けたい。
そう思った時、まず何をすればいいのか。
出版社に送る企画書を作る。
編集者さんに読んでもらえる形にする。
自分の記事群が、ただの思い出話ではなく、一冊の本としてどう立ち上がるのかを考える。
そういう作業をしていました。
これが、思っていたより難しいです。
文章を書くのとは、また違う頭を使います。
記事を書いている時は、ひとつの景色に深く潜っていきます。
でも企画書は、少し離れた場所から全体を見ないといけません。
この本は、誰に届くのか。
なぜ今、この本なのか。
ほかの本と何が違うのか。
読んだ人に何が残るのか。
どの章に何を置くのか。
noteの記事をそのまま並べるだけでいいのか。
書き下ろすなら、どこを書くのか。
そういうことを、ひとつずつ考えていました。
そして、調べながら少し笑ってしまったことがあります。
一般の持ち込みを受け付けている出版社さんって、意外と少ないんですね。
いや、もちろん考えてみればそうです。
出版社さんにも毎日たくさんの企画が届くでしょうし、編集者さんにもそれぞれ仕事があります。
誰でも何でも送ってください、というわけにはいかない。
それはわかります。
わかるのですが、いざ自分が送る側になると、思ったより入口が狭くて、ちょっとだけ笑ってしまいました。
あ、そうか。
本にしたいと思うだけでは、本にはならないんだな。
当たり前のことを、あらためて思いました。
でも、それで諦めたわけではありません。
むしろ、少しだけ背筋が伸びました。
ちゃんと届けるためには、ちゃんと準備しないといけない。
「読んでください」だけではなく、「なぜ読む意味があるのか」を言葉にしないといけない。
自分が大切にしているものを、大切にしたまま、外に渡せる形にしないといけない。
そういうことを考えています。
私は、祝祭シリーズをただの記念品にしたいわけではありません。
「あの現場はすごかったです」
「大変だったけれど感動しました」
「いい経験でした」
もちろん、それも本当です。
でも、それだけでは足りません。
あの現場で起きていたことには、たぶん多くの現場に通じるものがありました。
人が増えると、情報は濁る。
責任の線が曖昧になると、誠実な人から削れていく。
正しい指示も、届く順番を間違えると現場を止める。
笑顔の裏側には、誰かの準備と判断がある。
「大丈夫です」と言う人ほど、本当は大丈夫ではない時がある。
そういうことを書きたいのだと思います。
万博の本でありながら、万博だけの本ではないもの。
あの祝祭を入口にして、現場で人を動かすこと、人を守ること、組織の中で誰かが一人で抱えすぎないための言葉を届けるもの。
そんな形にできないかと考えています。
ただ、そのためにも少し休みます。
ここで無理に書き続けると、たぶん言葉が雑になります。
それは嫌です。
読んでくださる方に対しても、あの現場に対しても、雑にはしたくありません。
私は、noteを辞めるつもりはありません。
野中まどかとして書くことも、終わりにするつもりはありません。
でも、少しだけペースを落とします。
毎日更新のような形ではなく、ちゃんと息をして、ちゃんと考えて、ちゃんと書ける時に書きます。
たぶん、それが今の私には必要です。
なので、読んでくださっている方へ。
少しだけ待っていてください。
また書きます。
祝祭の話も、完全に終わりではありません。
ただ、祝祭シリーズとしての大きな流れは、一度ちゃんと閉じました。
これからは、その奥にあったものを書いていくのだと思います。
あの現場で見えたことを、別の現場にも届く言葉にする。
あの時の感情を、ただの思い出で終わらせずに、誰かの明日の判断に使える言葉にする。
あの祝祭の中で立っていた人たちの仕事を、できるだけ丁寧に残す。
そのために、少しだけ休みます。
休む、と書くと少し不安になる方もいるかもしれません。
でも大丈夫です。
これは終わりではありません。
息継ぎです。
長く泳ぐための、少し長めの息継ぎです。
もしよければ、その間に過去の記事を読んでもらえると嬉しいです。
祝祭シリーズには、私にとって大切な思い出がたくさん詰まっています。
楽しかった日だけではありません。
苦しかった日もあります。
判断に迷った日もあります。
誰かの笑顔に救われた日もあります。
自分の未熟さを思い知った日もあります。
でも、その全部があって、あの祝祭でした。
一つひとつの記事に、あの時の景色を置いてきたつもりです。
その間に読んでもらいやすいように、記事をいくつかのマガジンに分けています。
まず全体の入り口としては、
「はじめて読む野中まどか。|綺麗な正論では、現場は動かない」
祝祭シリーズを最初から追いたい方は、
「祝祭シリーズ|大阪・関西万博の現場から」
現場を回す中で考えてきた、人と仕組みの話を読みたい方は、
「現場責任者のノート|人と仕組みのあいだで考えたこと」
そして、書籍化に向けた現在地を追ってくださる方は、
「書籍化に向けた編集後記|この現場の言葉を、本にするまで」
今の気分に合うところから、読んでもらえたら嬉しいです。
急いで全部読まなくて大丈夫です。
必要な時に、戻ってこられる場所として置いておきます。
そして、これは少しだけお願いです。
よければ、コメントやスキをください。
こう書くのは少し照れます。
でも、正直に言うと、今の私にはそれがけっこう効きます。
書き手は、思っている以上に読者の反応に支えられています。
もちろん、黙って読んでくださるだけでも本当にありがたいです。
画面の向こうで誰かが読んでくれていることは、数字からもちゃんと伝わってきます。
でも、スキがひとつついたり、コメントがひとつ届いたりすると、思っているよりちゃんと救われます。
「あ、届いていたんだ」と思えます。
「もう少し書いていいのかもしれない」と思えます。
それは、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、本当に薬みたいなものです。
心の栄養剤というか。
次の文章を書くための、静かな点滴というか。
うまい表現が見つかりませんが、とにかく効きます。
なので、よければ押してください。
よければ書いてください。
「読みました」だけでも嬉しいです。
「この話が好きでした」でも嬉しいです。
「待ってます」なんて言われたら、たぶんかなり効きます。
私はたぶん、また少し泣きながら読みます。
この一ヶ月、たくさん書きました。
自分でも驚くくらい書きました。
でも、その文章は、私ひとりで書いたようで、たぶん私ひとりでは書けませんでした。
読んでくれる人がいたから、次を書けました。
スキを押してくれる人がいたから、もう少し出してみようと思えました。
コメントをくれる人がいたから、自分の見ていたものが少しだけ誰かに届いた気がしました。
本当にありがとうございます。
祝祭は、一度終わりました。
でも、あの場所で見えたものは、まだ終わっていません。
人が人を支えること。
誰かが誰かの前に立つこと。
見えないところで現場を守ること。
笑顔の裏側にある準備や判断を、なかったことにしないこと。
そういうことを、私はこれからも書いていきたいです。
今は少しだけ休みます。
出版社に送る企画書も、もう少しちゃんと整えます。
過去の記事も見直します。
自分の頭も、少し冷まします。
そしてまた、ちゃんと書きに戻ってきます。
だから、少しだけ待っていてください。
野中まどかは、止まっていません。
ただ今は、次の文章を書くために、少しだけ深く息をしています。
