歪な自己肯定感|うまくいっていた自分が、「見えていなかった」こと
あなたが人生で、「うまくいっていた」と思う時期はありますか?
振り返ってみると、自分の20代までは、大きくつまずくことなく進んできたように思います。そして、その中で「見えていなかったもの」もあったように思います。
今回はそんな過去の自分について、少しだけ言葉にしてみようと思います。
▶︎いわゆる「優等生」だった
振り返ると言いながら、こんなことを言うのも何なんですが(笑)…正直、学生時代の記憶はあまり残っていません。
「誰と何をしていたか」など、細かいことはあまり思い出せない。
ただ、「何となく、そつなくこなしていた」という感覚だけは、ぼんやりと残っています。
小学生の頃は、塾や習い事をいくつもやっていました。楽しかったものもあれば、正直イヤイヤ続けていたものもあります。
中学・高校では部活もやりつつ、中心はやはり受験勉強。
大学受験では第一志望には届きませんでしたが、希望していた建築学科には進みました。
大学では、いかに要領よく単位を取り、上位の成績をキープするかを考えて動いていた気がします。
今思えば、「効率よく結果を出すこと」が一つの軸になっていました。
就職後も最初のうちは、その軸が大きく崩れることはなく、周りから見れば順調に進んでいたと思います。
当時はそれが当たり前で、特に疑問を持つこともありませんでした。
▶︎評価はいつも、見えるものだった
こうして振り返ると、自分を評価する基準は、とてもシンプルだったように思います。
テストで何点取れるか?
順位が何番か?
どの学校に行けるか?
どれだけ成果を出せたか?
いわゆる「数字」や「結果」でしか、自分を見ていなかった。逆に言えば、それ以外の価値基準をあまり持っていなかったのかもしれません。
▶︎自己肯定感も、その中で育っていた
当然、成功体験もそういう中で積み上がっていきます。
結果が出れば、自分はできる人間だと思える
評価されれば、安心できる
そうやって自己肯定感のようなものも育っていった気がします。
正直、その状態をどこかで誇らしく思っていた自分もいたと思います。ただそれは、「結果が出ている間」に限った話でもありました。
▶︎うまくいっているときは、疑う必要がない
ひとつのレールの上での競争は、とても分かりやすいものです。
やるべきことが明確で、評価の基準もはっきりしている。だから迷いも少ないし、自分のやり方に疑問を持つこともない。
むしろ、その状態は生きやすかったのだと思います。充実感もありましたし、「ちゃんとやれている」という実感もあった。
でもその一方で、その価値観の外にあるものに目を向ける機会は、ほとんどありませんでした。
▶︎その自己肯定感は、少し歪だったのかもしれない
今振り返ると、そのときの自己肯定感は少し偏っていたようにも感じます。
「自分の力で勝ち取った結果」だと思っていたものも、実は「たまたまそのレールに適応できていただけ」だったのかもしれない。
そしてそのレールの中では、「人と比較して優劣をつける」ことも当たり前になる。
どこかで、「できる人/できない人」という見方をしてしまっていた部分もあったように思います。
もちろん当時は、そんなことを意識していたわけではありません。ただ、その環境の中にいれば、それが自然なことでした。
▶︎土台が揺れたときに起きること
評価が数字や結果に依存している以上、それが崩れたときの影響は大きくなります。
うまくいかなくなったとき、それまで支えになっていたものが、そのまま自分を揺らすものに変わってしまう。
当時の自分は、まだそれを実感する前の段階にいましたが、今思えば、その土台は決して強いものではなかったと思います。
▶︎今、立ち止まっている人へ
もし今、思うように進めずに立ち止まっていると感じているなら、それは、「これまでの価値観では測れないものに気づき始めている時間」なのかもしれません。
結果や数字では測れないもの
今まで意識してこなかったもの
そういったものに目が向き始めているからこそ、迷いが生まれているのかもしれません。
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立ち止まっているように見えて
ただ見ている景色が変わろうとしているだけ
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そう考えると、その時間の意味も少し違って見えてきます。
ペースも、回数も、人それぞれ。
焦らずに、自分の歩幅で行きましょう。
今日も皆さまにとってよい一日となりますよう^ ^
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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