もしも今が最後だとわかっていたなら~大切なあなたへ祈りを込めて~
ねぇあなたに 聞いてほしい話があるの。
今日はそれを心を込めてあなたに贈るね。
◉考えたことがあるかしら?
今日がそして今が、人生でいちばん最後の日だとしたら
あなたはどんなふうに過ごすかを。
こうした当たり前のようでいて当たり前でない日が急に来た
人たちがたくさんいたあの日のことを。
これを書いている今日2026年3月11日、もう15年も経っちゃったけど
まだ15年しか経っていないそんな日。日本を震撼させる出来事があったの。
読んでくださるあなたは記憶にあるんじゃないかしら。
そう、15年前の今日14:46に東日本大震災が発生したの。
一瞬にして大切な人を、大切な思い出を、大切な故郷を、大切な思い出が
たくさん詰まった家を、今までの当たり前な生活を失ったあの日は、15年経っているけれど今も多くの人の心に刻まれている。
そんな今日、私の感じたことを話そうと思うの。
◉祈りのような気持ちが
『今日もあなたが、穏やかな時間の中で過ごせますように』
そんな祈りのような気持ちが、ふと心に浮かぶことがある。
もしも今が人生のいちばん最後の日だと分かっていたなら、私たちは今日という日をどんなふうに過ごすだろう…。
朝の「おはよう」も…
誰かとの何気ない会話も…
一緒に笑いあった時間も…
「行ってらっしゃい」と送り出されたあの瞬間も…
喧嘩してから仲直りしようと思ったあの時間も…
卒業を間近にし、不安と緊張と希望に満ち溢れた日々も…
それが最後の日だと分かっていたのなら、きっと少し違う過ごし方をしていたんじゃないかと。
◉当たり前は決して当たり前ではないこと
私たちは普段、『また会える』と思いながら生きている。
また会えると分かっているからこそ、そこまではどんなに辛かろうと、どんなに苦しかろうと、どんなにどん底に落とされようと、なんとか這い上がり生きている。
「ありがとう」の気持ちを伝えるのを後回しにしてしまったり…
「また今度ね」と言ってそのまま忘れ去られたり…
「ごめんね」を伝えるのを意地を張って伝えられないでいたりする。
でも本当は、その『また』が来る保証なんてどこにもないのかなあと思うの。
誰かと過ごす時間は、喧嘩ができる相手がいることは、心を震わせられることは、当たり前のようでいて本当はすっごくすごく尊いものなのよね。
◉私が願うこと
当たり前のように来ていた『当たり前』は来る保証なんてどこにもない。
だからこそ私は、ずっとこう願っていたの。
『今日もあなたが穏やかな時間の中で過ごせますように』と。
大それたことをしなくていい。
特別な日じゃなくていい。
ただ、目の前にいる人の話をちゃんと聞いてあげたり、一緒にいる時間を少しだけ大切に過ごしてみたり、「ありがとう」の気持ちをちゃんと言葉にしてみたり。
そんな小さなことを丁寧に重ねていくことが、もしかしたら『生きる』ということかもしれない。
◉最後に
私たちはきっと、今日が今が何分何秒先が最後になるとは知らないまま日々を過ごしていくと思う。
だからこそ、今日という日を少しだけ丁寧に優しく大切に生きていきたい。
そして私は、また静かに祈る。
『今日もあなたが、穏やかな時間の中で過ごせますように』と。
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