紙一重 #秋ピリカ応募
またやってしまった。
指先に一筋血がにじむ。
コピー機から吐き出された紙を恨めしく眺める。紙が悪いのではない。慌てて引き抜いた自分が悪いのだ。
デスクへと戻る途中、パソコンから顔を上げた簾藤さんと目が合う。
「どうしたの、怖い顔して」
「なんでもありません」
愛想なく答えて、デスクへ戻る。
どうしてこの人は、私の些細な変化にやたらと気がつくのだろう。
新しいワンピースを着てくれば「今日はそのまま結婚式にでも行けそうだね」と言われ、イヤリングをしていた日には「耳のきらきら、かっこいい」と言われた。
この前、髪を染めたときだって。
毎週末一緒に過ごしている睦は気づいてくれなかったのに、週明け早々、簾藤さんは目ざとく気づいて、目が合うなり
「髪染めた?かわいくなったね」
と言ったのだ。
かわいい、ならまぁいい。
でも、怖いとはなんだ。
どんなときも、女子に怖いなんて言うな、ばーか。
だめだ。こんなふうにイライラしているから、紙で指を切ったりしてしまうのだ。
心落ち着けようとドリップコーヒーを机から取り出し、マグカップにのせて、給湯室へと向かう。
とぼとぼとポットからお湯を注ぐ。
初めは少しだけ。ゆっくりとお湯を行き渡らせて、豆を蒸らす。立ちのぼるコーヒーの香りを胸いっぱいに吸い込む。
背後に人の気配を感じる。
この職場の給湯室は狭い。早くコーヒーを淹れ終えて、次の人に明け渡さなければ。ポットの給湯ボタンをあわてて長押しすると、
「急がなくていいよ」
後ろから簾藤さんの声が聞こえる。
振り向くと、戸口に簾藤さんがマグカップを持って立っていた。
「もう終わったので」とそそくさと給湯室を立ち去ろうとするが、簾藤さんは給湯室の戸口からどいてくれない。
なんですか、と言いながら思わず笑ってしまう。
「怖い顔じゃなくなった」と今度は簾藤さんが笑う。
コーヒーの香りでゆるんだ顔がまた引き攣りそうになる。
「女子に対して、怖い顔なんて言わないほうがいいですよ」
私は小さい頃からよく怖がられる。
目つきが悪いからか、言葉に毒があるからか。
にらまないでと言われても、にらんだつもりなんてなかったときはどうしたらいいのだろう。
「ごめん」簾藤さんは真面目な顔で謝る。「怖い顔をしていたら、せっかくかわいいのに、もったいないと思って」
怖いの次は、かわいいか。
表情ひとつで、人の印象はそんなにも変わるものなのだろうか。
かわいい顔ならよくて、怖い顔は嫌?
そんな勝手な主観を押しつけないでほしい。
「かわいい、もあまり言わないほうがいいかもしれません」
何度も言われると、勘違いしそうになる。
簾藤さんの脇をすり抜けて給湯室を出た。
怖い、かわいい。
そんな言葉ひとつに、私の心は揺さぶられる。
ひとひらの言葉で、相手を嫌いになったり、好きになったりする。
勝手なのは、私のほうかもしれない。
デスクに戻ると、キーボードの上に絆創膏がひとつ置かれていた。
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