大山街道5(長津田~鶴間)
2026/02/14(土)晴れ15℃
5回目の大山街道歩きは、長津田から出発した。大山街道もほぼ半ばまでやってきた。長津田宿が江戸から4つ目、鶴間は5つ目の宿場になる。今日は暖かくなるらしいので、脱ぎ着がしやすい服装に心がけた。
長津田宿

在原業平伝説にまつわる神石をご神体に祀る
鳥居の前で今日も無事歩けますように、ご挨拶

長津田はあまり昔の宿場の面影は残っていなかった

昭和天皇が大正10年に陸軍の大演習を統監した地


未舗装の土の道はめったにない

道路の分岐するところにあったおいしそうなパン屋
「今日は暖かいし、お昼、外でパンでもいいね」と買い込む
もう暑くなってきた。上着を脱ぐ。

R246をつくし野交差点から眺めの良い馬の背という細い道を行く
すぐ下が東急田園都市線すずかけ台駅
東京科学大学(旧東工大)入り口で246に合流する

丘陵地にある公園の脇を上る

今から270年前の地蔵尊(周りもきれいに手入れされている)
近所の人に、しきりに近くにある景色の良い神社に行くよう勧められたが、
やんわりまたの機会にと・・・
ここまでカーショップはたくさんあったが、コンビニが1軒あっただけで飲食店はない
唯一のコンビニで飲み物を買ってトイレを借りる

一里塚に上がってみると、ベンチが置かれていた
ぽかぽかの陽だまりだ
ここでお昼にしよう!パンを買ってきてよかった

この辺りは横浜と町田が入り組んでいるようで、度々地名が変わる

大山街道と戸塚道がX交差するところに置かれ、道標の意味もあった
灯籠は比較的新しい

江戸時代中期に建てられた小さなつくりの社殿だが、
名工が腕を振るったという町田市の有形文化財
屋根はこけら葺きというそうだ

聖徳太子像が安置されている
境内に見事な桜の大樹が枝を広げ、咲いたところを見てみたい


重いけど、またフルーツやホウレンソウを買ってしまった

160年以上経つそうで、石も朽ちかけている
五貫目は以前の町名
江戸時代初期、年貢の石高が五貫目と定められたのが町名の由来とか

新田義貞の碑がある(鎌倉攻めの際通ったそうだ)
下鶴間宿

境川を渡ると下鶴間宿に入る
今日は閉館(月2回のみ公開)で室内は見られなかった
トイレや外のテーブルとイスは使えたので休憩させていただく
ハッサクが「お一人一個お持ちください」と書かれていたのでいただいてきた

矢倉沢往還は江戸赤坂御門より三島へと至る街道で
東海道の脇街道として利用され、東西間の重要な交通路となっていた
大山街道・冨士道などとも呼ばれ、大山信仰、富士信仰の行者が利用する道としても使われた
この辺りは旧家らしい造りと広さの家が目立つ。土蔵も多く見られた。
私たちもその昔に思いを馳せながら歩いた。今も歩道はなく道は狭い。

中央の道が矢倉沢往還、右手前から2件目が旧小倉家住宅と土蔵
この写真は、横浜遺留外国人向け英字新聞に掲載されたもの。
想像はしていたが写真を見ると、ここが賑わっていた宿場なのだと改めて驚く。
小倉家は幕末から雑貨商で、薬品、医療用品は品ぞろえ豊富だったそうだ。今でも売っている正露丸も残されている。

まんじゅうも商っていた旅館
文字も消えかけ、三叉路の草むらに立っている
江戸後期に渡辺崋山が宿泊し、日記に書きとどめたことから歴史に名を残した

道標も兼ねた


八王子に滝山街道があるので、えっ!ここに繋がるの?
滝山城(八王子)と鎌倉を短距離で結ぶ戦国時代以降の古道で
後北条氏の領国支配上重要な街道だったそうだ
今回は迷走もしなかったので、時間も予定通りで済んだのであまり疲れなかった。今日は暖かかったので丹沢も富士山も霞んでいた。薄手のダウンもずっとリュックに入れたままだった。
今日歩いたところは飲食店がとても少なく、最初にパンを買っておいてよかった。途中で買ったフルーツや野菜、帰ってからも楽しめた。
歩数 17,000歩
行程 4時間30分
