【ヘルマン・ヘッセ】 デミアン (僕たちの道は苦しい。でも、行こうじゃないか)

幼年期、すべては光の元にあった。
家や両親や姉たちと共に祈り、安心して過ごした。

家の外には、闇もあることも薄々は気が付いていた。
けれど、それは自分の属していない世界だった。

たった一つの些細な嘘をつくまでは。

人はいつか光の世界を出て、闇も知ることになる。

それが、幼年時代が終わり、少年になるということだ。

そして、そこで出会った少年がデミアンだった。

彼や、これから出会う人たち、どうしようもない恋を通して、幼年期が終わり、少年から青年へとなっていく。


デミアンは「デーモン」から名を取られた、と言う。

デミアンは主人公シンクレールにとって、誘惑者だ。
その意味では、「デーモン」とも言えるのかも知れない。

けれど、そんなことは意味を成さない。

すべての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。

光であれ、闇であれ、すべての出来事は自分自身への道なのだから。

それに、何を光や闇とするかは、一つの教わった見方でしかない。
だから、見方によって、光は闇となり、闇は光ともなる。

カインの話にはまったく別な解釈をすることもできるんだ。
ぼくたちがおそわるたいていのことは、たしかに本当で正しい。
だが、どんなことでも先生とは違った見方をすることができる。
しかも、そうすると、すべてのことがたいていずっとまさった意味を持つようになる。

カインとアベルは、旧約聖書にでてくる神話だ。

カインは人類で初めて、殺人(アベル)を犯し、嘘を付いた。

だから、これまでカインを悪だとされてきた。
悪の印として、彼の額には、カインの印が付けられた。

しかし、デミアンは新しい解釈も出来るという。

この男が力を持っていて、人々に恐れられていた。
そこで、彼はしるしを持っているということになった。
人々はそれをどうにでも好きなように説明することができた。
人々は、自分にぐあいよく自分を正しいとするものを常に好むものだ。

そして、こう話す。

要するに、カインはすてきなやつだった、と僕は思うんだ。
ただみんなが彼を恐れていたので、ああいう話を彼にくっつけた

そして、シンクレールにも「カインの印」がある、という。
それは、自分自身の道を歩む者の印だ。

大部分の人たちが行く道は楽だが、僕たちの道は苦しい。――でも、行こうじゃないか。

そのためには、自らのそれまでの世界を壊さなければならない。

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。
卵は世界だ。
生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

だから、自分自身の道を歩んでいる限り、その苦しみも前進なのだ。

あなたの苦しみを愛しなさい。
それに抵抗しないこと、それから逃げないこと。

そして、その道の先に自分自身を見つける事ができる。

君がどんなに遠い夢を見ても、君自身が可能性を信じる限り、それは手の届くところにある。

なんと美しいのだろう。

他の人と違うと感じ、自分のしていることが信じられなくなっている時、深く傷付いて立ち上がれない際に、僕はこの本を開く。

僕たちの道は苦しい。――でも、行こうじゃないか。

ああ、そうだとも。