わたしの世界観を見つけたくなったら試してほしいこと
だれかのことを好きになったり、一度足をはこんだ場所にその後も何度でも訪れたくなるキッカケのひとつに「世界観が好き」があると思う。
この「世界観」という言葉は非常に便利で、わたしもよく「あのカフェの世界観が好きなんだよねえ」とか「新海誠の世界観がさ〜」とか、会話にもよく登場させる。
けれど実は「世界観」ってとっても抽象的で、じゃあそれって何さ?といざ言われると、どこを切り出して言語化すれば良いか分からず「なんか〜全体的に良い感じなんだよね。そこはかとなく」となんとも歯切れの悪い返事になったりする。
今回はそんな「なんか良い感じの言葉だけど、上手くは説明できないんだよね」の世界観を、わたしなりに言葉にしてみた。
「わかる〜」となるかもしれないし、「それ違くないか?」となるかもしれない。あくまでわたしの思う「世界観」の考え方です。

ちなみに「世界観」は、とらえるのは難しいくせに、持っていると非常に良いことが多い。というか、クリエイターにとっては必需品だ。
世界観を持っていると、色々な良いことがおきる。というこれまた非常にざっくりとした話になってしまうので、このあたりは後ほどまとめたい。
ひとまず結論から先にお伝えすると、そもそも世界観をつくるのはもちろん自分自身ではあるけれど、育ててくれるのも、最初の一欠片をくれるのも、「周り」だと思ってる。
この「周り」というのは友達や家族だけではなく、顔も知らない、でもあなたを認知している人たちもふくめての「周り」だ。
写真と言葉で仕事が少しずつ増え始めたころ、とある知り合いにこんな言葉をかけてもらった。
「古性さんって、写真も言葉も36.5度って感じだよね。触ると冷たくもないし、熱くもないよね。それよりも高すぎても低すぎても、古性のちって感じがしない気がする」
この言葉をもらったときに、なるほどなあ、と思った。
「世界観ってもしかしたらにじみ出てしまう温度みたいなものなのかもしれないなあ」と思ったのだ。
わたしは「自分らしい色をつくろう」と思ったことが(特に写真は)ほとんどない。ただそれよりも、「自分の目にこの世界がどう映っていてほしいのか」を、いつも意識している。
だから私の写真は現実よりも少しだけ夢を見ていて、少しだけ違う。
私の期待や理想がほんのりのっている。








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