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気づけば25年、韓国で迎えた50代

韓国で四半世紀

「気がつけば、四半世紀もここにいたんだな」

ある日の午後、黄砂を含んだ淡い風が窓からふわっと吹き込んできたとき、そんなことを思った。韓国で暮らし始めて25年。私がこの国に来た1998年は、まだインターネットも今のようには普及していなかった時代だった。

あの頃、出会ったばかりの夫が初めてプレゼントしてくれたのは「ピーピー(삐삐)」と呼ばれるポケベルだった。

ソウルを流れる漢江は今のように整備されておらず、外国人観光客が川辺でラーメンを食べる光景など想像すらできなかった。

今のように洗練されたカフェ文化やベーカリーもなく、日本へ一時帰国するたびにパンやコーヒー豆を持ち帰っていた。そのころは、今では皆が食後に飲んでいるアイスアメリカーノより、インスタントのミックスコーヒーのほうがずっと親しまれていた。

そしてなにより、K-POPも韓国ドラマもマニアックなジャンルで、日本で韓国を語る人など、私の周囲にはほとんどいなかった。

韓国の「熱」に包まれて

そんな時代に韓国へ留学し、就職、結婚と出産を経て、2人の娘を育てながらこの国で生きてきた。振り返ると不便や混乱もあったけれど、私はこの国の「熱」に強く惹かれ、心地良さを感じながら暮らしてきたのだと思う。

食べ物も、言葉も、人と人との距離も、どこか「強すぎる」韓国。ときにはその濃さに戸惑い、息苦しささえ感じることもあった。けれど、同時にその熱に何度も救われてきた。意見がぶつかっても、その後には熱々のチゲを囲んで笑い合う、そんな韓国式の不思議な人間関係が、私をここにとどまらせた。

目まぐるしい変化

20代の終わりに日本を離れ、韓国での生活を選んだ私はいま50代。50代になった今、ソウルの街も、人々も、すっかり姿を変えた。相変わらずアツい国で何事も効率的でスピーディ、ますます便利になったけれど、何か大切なものが少しずつ失われていったようにも思う。

馴染みのお店は何年か前にシャッターを下ろし、誰もがスマホ片手に早足で通り過ぎていく。「ロケット配送」や豊富なデリバリー食、指先を動かすだけで必要なものが玄関前にすぐ届く買い物アプリ... 。日々の暮らしは劇的に快適になったけれど、人との繋がりや声のやりとりは、スマホ画面の中に吸い込まれてしまったようだ。

それは便利さの代償で韓国に限ったことではないだろう。現代社会の自然な現象だと言われると、言い返す言葉は見つからない。

みんなが何かに追われている

韓国は特に、「スピード」と「成長」に誇りを持つ国だ。外国人が初めて覚える韓国語が「パリパリ!(빨리 빨리!早く早く!)」というジョークにも真実味がある。結婚前、私の夫がポケベルで送ってくるメッセージも、8282(팔이팔이=빨리빨리=パリパリ=早く早く)が圧倒的に多かった。

そのスピードの裏で、立ち止まることや何もせずただ「いる」ことが、どこか許されない空気も感じている。「誰よりも努力してこそ成功できる」「努力すれば必ず報われる」という「当たり前」が、子供から大人までみんなの心を圧迫し、消耗させているようだ。

驚くべきことに韓国の自殺率はOECD加盟国の中で最も高く、若者や子どもたちのメンタルヘルスも深刻な社会問題となっている。「何もしていない時間」に罪悪感を感じ、「何かを達成しない存在」は意味がないとされる風潮のなかで、多くの人が見えない重荷と病を背負っているように見える。

50代になって気付いたこと

若い頃の私も、「大きな幸せ」と「効率」「生産性」ばかりを追いかけていた。誰が見てもわかりやすく、成果として華やかに示せるもの——安定した仕事、家族、経済的なゆとり... それこそが幸せだと信じていた。

『赤毛のアン』の言葉に「幸せは真珠を連ねていくこと」という一節があるが、50代になった今は、本当の幸せとは日々のなかにそっと存在している「小さな真珠」のようなものだと思っている。

朝の光の中で飲む一杯のコーヒー。
散歩中に野良猫と目が合う瞬間。
家族との何気ない会話や笑い。

効率や生産性、達成感とは無縁のささやかな時間に、心から感謝し、味わえるようになった。

大きな幸せを一気に手に入れるのではなく、小さな幸せをひと粒ずつ集めていくこと。いつからか、それこそが、心を満たしてくれる生き方なのだと悟ったように思う。

奇跡を見つける生き方

私たちは日々、あまりにも多くの情報とモノと刺激に囲まれている。目まぐるしく更新されるコンテンツ、エンドレスに生産され続ける商品、SNSに溢れるキラキラした生活。まるで現代社会全体が、ドーパミンに支配されているようだ。

韓国社会は特に、より強い刺激を短いサイクルで求める傾向があるように見える。

そんな風潮の中、私自身にも思い当たることだが、多くの人がひとつ目標を達成しても、心はすぐに次の仕事や心配事に支配され焦りを感じているように見える。嬉しいはずの瞬間に、心から喜びに浸り、堪能し、瞬間を噛み締められない。それは絶えず刺激に晒された私たち現代人が抱える、慢性的な満たされなさの正体かもしれない。

気持ちに余裕がなくなった時、私はアインシュタインの言葉を思い出す。

「人生を生きる方法には二つの道がある。ひとつは、何もかもが奇跡ではないと思って生きること。そしてもうひとつは——すべてが奇跡だと思って生きること。」

朝、目が覚めて呼吸をしていること。
ご飯を美味しく食べられること。
誰かと会話を交わせること。

そして25年前、たまたま選んだ韓国という国で、言葉に戸惑い、文化に驚き、時には孤独を感じながらも、ここで人生を築いてきた。この異国での日々そのものが、私にとっては奇跡なのかもしれない。これからも、私は迷わず後者の生き方を選びたい。

すべてが奇跡だと思って生きること。すべてに感謝して生きること。

第二の故郷となった韓国という地で、小さな真珠をひとつずつ紡ぎながら、微笑んで歩いていきたいと思う。その微笑みが、行き場のない焦りを抱えた周りの誰かの心にも、心地よい風を通せたらと願いながら。



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