常緑樹が落葉を迎える,常緑樹の落葉を迎える
私たちが毎日歩く道端の常緑樹は,この季節に落葉を迎えます。
常緑とは言っても,落葉してから生えかわるという形なので,常に相変わらず葉があるように見えているだけです。
皆さんが毎日歩く道端の常緑樹は,この季節に落葉を迎えます。
木々の足元には葉が落ちています。
私たちの気づがないところで。
往々にして,日常の中で目にしているのに気づかないことがあり,それは私たちにとって不要だからです。しかし,別のある人からすれば,極めて重要で必要な対象かもしれません。
常緑樹がこの時期に落葉するという事実を念頭に置いている者は,容易に気づくことができます。要するに,知識があれば,今までどうでもいいと思っていた物事に対して,それに価値があるのだとして向き合えます。過激な言い方をすれば,知識があるせいで余計な物事にまで気を遣わなければいけなくなるということです。
それでも,私は知識を得ることを希求します(もちろん思考力/実践力を得ることとの折衷をしながら)。
常緑樹の話で言えば,あなたに知識があれば,落葉を迎える常緑樹を,予めその時期に迎える準備ができるのです。知識があれば,落葉シーズンという事象を楽しむことができるのです。
どれだけ学んでも,起こり得ることを確定することができないのが,私にとって学問することの楽しみの一つです。常緑樹の落葉を知っていたら,落葉を発見する楽しみは減りますが,その分,常緑樹の落葉を知っている前提がなくては気づきにくい物事に容易に気づくことができます。
私は,未知は,無限の深さの井戸の中に稠密に存在していると思っているので,いつまでも学びを楽しめると信じています。あくまでそういう信仰形態ですから強制はしません。実際,学問にハマると,井戸の内奥へとズルズル,ズルズル……と引き込まれていくでしょう。私はそれでも学問する方にbetしているのです。
話がズルズル,ズルズル……とずれていきましたが,日常に遮られ隠蔽された物事を,学問により得た知識で見つけ出すのは楽しいよ,ということです。
