勝手に連載③ 鳥羽和久さんの「おやときどきこども」の感想文 それぞれのストーリーが交差するとき
グッモー!ノルド・トモコです。年始に読んだ鳥羽和久さんの「おや ときどき こども」がとても心に沁みたので、1年をかけてゆっくりと個人的な感想文を書いていこうと思います。
前回は大人と子どもの「現実」について書きましたが、今日は2つ目のエピソード『それぞれのストーリー』について感じたことを書いていきます。
このエピソードは個人的にすごく傷口にしみるストーリーでした。結露した窓ガラスを少し手で擦って、透明になった部分から覗き見るような、そして見ているうちにまた水滴がダラダラと伝ってくるような…そんな気持ちで読みました。ほっこり親子のストーリーとはまた少し毛色の違うお話です。
地政学的なものの見方〜変わらない事実〜
中学の頃、鳥羽さんが営む塾に通っていた礼太郎くん。今は東京の大学に進学し政治経済学を学んでいる。1週間ほど福岡に帰省した際、久しぶりに鳥羽さんとガストでおしゃべりをした時のエピソードである。
中学生の頃はおとなしくて自分の意見をあまり話さない子だった礼太郎くんが、昨今の政治情勢の話を自分の言葉でしっかりと話す姿を見て、その成長ぶりに目を細める鳥羽さん。
2人で「地政学的なものの見方」について語り合っているうち、礼太郎くんはおもむろに母親のことを話し始める。
私は「地政学的なものの見方」があまりピンと来なかったので少し調べてみた。
「地政学」とは簡単に言うと地理的な条件が、国家の政治や国際関係にどのような影響を与えるかを研究する学問のことである。そして「地政学的なものの見方」とは、感情や理念ではなく変えることのできない土地(地理的条件)を逃れられない宿命として捉えたうえで、どのような外交戦略をとるかを考えることだそうだ。
ほえぇぇ。知らなかった。私はまたひとつ賢くなった。
言葉が止むときを待つ
礼太郎くんは中学の頃、母親からひどく苦しめられていたという。どんなに好成績をキープし続けても褒められることはなく「努力が足りない」「やり方が悪い」など叱責され、さらには人格を否定するような発言も繰り返し浴びせられていた。
地元最難関の高校を受けて落ちてしまった時は、夜の9時から深夜3時過ぎまで、鳥羽さんを交え緊急3者面談が行われ、その間、鳥羽さんですら口を挟む隙がないくらい母親は礼太郎くんを責め続けたと言う。ものすごい剣幕だったのだろう。2人は6時間以上、繰り返し叱責する母親の「言葉が止むとき」を耐え忍んで待ち続けた。
「言葉が止むときを待つ」という表現に思い出すものがあった。私も昔、父親から折りに触れ執拗に叱責され、長時間にわたり正座のまま怒鳴られ、その度に殴られていた。その間止めどなく浴びせられる言葉はもはや意味を持たず、ただただ冷たい雨のように心を冷たくするだけで、そんな時はまさに「言葉が止むときを待」っていた。
Distance
メロンソーダを飲みながら「地政学的な見方により、親に対する考え方が変わってきた」と礼太郎くんは言う。
福岡にいた当時は、自分が悪いからこんなに母親を怒らせてしまうのに自分が傷つくなんてもってのほかというような「自分を責める気持ち」が強かったそうだ。大学生になり東京へ行き、母親との地理的距離ができたことによって「自分は被害者だった」ということを少しずつ認識していった。
地政学を学んだことにより更に思考が深まり、あの時自分を責め続けた母親が当時置かれていた状況を分析することで、一定の理解を示すような気持ちにまで至る。当時は単身赴任で父親不在、義両親だけが近くにいる状況だったこと、礼太郎くん含め3人の子どもを1人で引き受けなければならなかった事実。その状況を客観視し母親である以前に「1人の人間」として認識することで「苦しかったんだろうな」というような感情さえも湧いてくる。
しかし頭では理解しようとしていても、母親のことを考えると体の震えを止めることができないのもまた事実。結局、礼太郎くんは母親の立場を理解しようと試みたり、振り出しに戻って自分を責めてしまったり、憎みたくなったり、求めたくなるかもしれないとうろたえたり・・・複雑な心情をぐるぐると逡巡してしまう。
鳥羽さんはその様子を見て、いっそ一緒に泣いてしまいたい気持ちになったという。
私はもうすでに泣いていた。本を読みながら轟々と泣いていた。
礼太郎くんが大学生でここまでの考えに至ったことがまずすごい。優しくて賢い子なのだろう。だけどまだ全てを理解するには早すぎるし、傷ついた心が行き場を失っているように思える。結論を出す必要も、ましてや急ぐ必要もない。この先出会う人や身を置く環境でも様々な考察が浮かんでくるだろう。時間が経てば親も老いて行く。ゆっくりゆっくり、と声をかけたい。
私は40歳を過ぎて、ようやく少しずつ地政学的な見方で父親を見ることができるようになった。

それぞれのストーリー
地政学のことはついさっき知ったばかりなので詳しくはわからないが、親と子はお互いに選ぶことのできない「宿命」の関係であり、ある程度までは「地政学的なものの見方」は冷静に関係性を考えるヒントになると思った。
しかしそれだけで納得できるわけがない。鳥羽さん曰く、そこから「こぼれ落ちるもの」があるという。そして
「ストーリーは主観的な視点から作り上げられたもので、ひとつの意味づけに過ぎず、それ自体ではない。」
???すぐには理解できず、数日考えた。
正しく理解できたかわからないが、私は次のように思った。
親と子はひとつの面だけで成り立っているものではない。その瞬間はひどい叱責に見えても、そこには礼太郎くんに対する愛情あってこそかもしれないし(でも全く良くないこと)、中学3年生15歳になるまでに叱責だけではないたくさんのストーリーがあったはずだ。生まれた時の喜び、ヨチヨチ歩きの礼太郎くんをお母さんはきっと上手だねと言って抱きしめただろう。
あくまで妄想だが、礼太郎くんも、これまでのお母さんとの思い出や関係性を考えれば全てを憎み切れるものではないとわかっているから揺れているのではなかと思う。
そして眼前にあるその事象だけでははかれない親と子のストーリーがあることを知っているからこそ、鳥羽さんは6時間もの間、礼太郎くんとともに母親の言葉が止むのを耐え忍んだのではないだろうか。そうでなければ、第三者として警察を呼んでいるかもしれない。
鳥羽さんは「単一のストーリーに縛られ過ぎてはいけない」とも言っている。「罪悪感」がくるりと矢印の向きを変えて「怒り」に変わってしまったら、その怒りの感情に自分を支配されてしまうから。本当にその通りだと思った。
礼太郎くんは賢いからきっとそんなふうにはならないと思うが、今はその素直さ故にさぞ苦しい気持ちでいるだろう。
どうか彼の聡明さで少しずつ心が晴れ、時を経てまた鳥羽さんと楽しい気持ちでメロンソーダを飲んで欲しいと願わずにはいられない。
おわりに
このエピソード読んで、鳥羽さんは一体何者なんだろうとつくづく思った。多くの子供達を見てきた俯瞰的視点なのか、ご自身の実体験なのか、心理学という学問なのか、仏様なのか…本当にすごいとしか言えない。
それと、礼太郎くんのような子は他にもきっとたくさんいると思う。だからこそ本書は、親だけでなく高校生や大学生にも広く読まれてほしい。
次回予告
さて今回はちょっとせつないお話でしたが、次回は「スマホと嘘つき」と言うまさに身近なエピソードです。スマホは悪魔か?嘘は断罪されるべきか?そしてそれを咎めるお父さんにも私は親近感を持ちました。お楽しみに。
今回の礼太郎くんのエピソードに近い、私のZINE「ここに生まれたこと」もお読みいただけたら嬉しいです。子どもは生まれるところも、生まれることさえ選べないのに、気づいたら人生がはじまっています。それをどう捉えるかについて考察しました。
