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わたしとピアノ 演奏会という夢

もう20年も前、まだショパンやラヴェルといった上級者レベルの曲にも意欲的に取り組んでいたころ、「いつか、自分の演奏会を開きたい」と夢を抱いていました。

演奏会といっても、コンサートホールで大勢の人に聴いてもらうようなものではなく、カフェやギャラリーのようなくつろげる空間で、弾き手と聴き手の距離が近く、みんなで<場>を創り上げる、そんな演奏会です。

当時のわたしは他のことはさておき、ピアノに関してはまあまあ完璧主義で、自分の思い描く演奏ができるようになるまでは、人前で披露することはごくまれでした。

一般的なリサイタルは1時間越えが普通。難しい曲をのんびり仕上げるのが好きなわたしには、何曲もレパートリーを持つなんて夢のまた夢。

<いつか>は、永遠に<いつか>かもしれない。


★☆☆★


あるとき、月に一度音楽好きが集まる席で、知人のMさんからピアノ演奏を所望されました。

「いまちゃんと弾ける曲がないんです。ごめんなさい」

丁寧にお断りすると、Mさんからは予想外のことばが返ってきました。


「上手い下手関係なく、あなたの演奏が聴きたいんです」


上手い下手関係なく?
わたしの演奏が聴きたい?

そのことばの意味を、すぐには理解できませんでした。

だって、誰しも上手な方が好きでしょう?
少なくともわたしは、下手な演奏をわざわざ聴きたくないもの。

結局、その後もMさんの前でピアノを弾く機会はありませんでした。

クラシックピアノの教育を受け、「ミス=音楽性を損ねる」意識が染みついていたわたしには、不完全な音楽を他人に聴かせるなんてとんでもないこと。いくら相手に求められても、自分自身に許可が出せませんでした。


数年後、その考えは転機を迎えます。


あるプロの演奏家のコンサートで、めずらしい場面に出くわしたのです。ご自身での曲紹介をはさみながら、やさしく心地よい楽曲が演奏され・・


ん?

なにやらおかしな音が広がっている。
リズムもおぼつかない。
あれ?どうしたんだろう?

そのとき、演奏がパタリと止みました。


「ごめんなさい、間違えちゃった。もう一回最初から弾きなおします」


あまりに自然なそのことばに、ふわりと会場の空気がゆるみました。観客の皆さんも、微笑みながら次の音を待っています。

プロでもこんなことがあるんだ、という驚きと、それ以上に笑顔でその様子を見守っている聴き手の優しさが、新鮮に映りました。


間違えても、いい。

この人が奏でる音が聴きたくて、ここに来ているから。

間違えても、弾きなおしても、それもまた演奏会なんだ。


★☆☆★


長らくお休みしていたピアノを再開して、
完璧ではない演奏も他人に聴かせられるようになって、
ついには<サロン>という名前で、演奏会のようなものを開いてみようと企てている。

20年前の夢を実現するために、一直線に頑張ってきたわけでは決してないけれど、遠回りしているようで気付けばすぐそこに、<いつか>は近づいていました。


「あなたの演奏が聴きたいんです」


またそう言ってもらえる日が来たらいい。

その日をたのしみに、きょうもわたしはピアノに向かいます。




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