【AI で Flamenco 12】カンテの起源をたどる
前の記事ではClaudさんに調べてもらったフラメンコギターの歴史をまとめました。ついでにカンテについても調べてもらいました。なぜか、出典が日本の文献ばかりとなりました。カバー画像はClaudさんが描いた、「歌っているヒターナのシルエット」です。どうしてこうなっちゃうのかしら。。
1. すべてはカンテから始まった
フラメンコは、カンテ(歌)、バイレ(踊り)、トーケ(ギター)という3つの要素によって成り立っています。しかし、この3つが最初から揃っていたわけではありません。国立音楽大学の展示資料によれば、カンテから始まり、バイレが生まれフラメンコが形成されていく過程で、この2つにトーケの伴奏がようやく付いた、という順序をたどっています。
別の資料でも同様の見立てが示されています。フラメンコはおそらく最初に歌(カンテ)として始まり、その後バイレとトケが加わったと考えられており、最古のパロとされるトナーは、ヘレス、カディス、トリアナで生まれ、当初はギターや踊りの伴奏なしで歌われていました。声だけの、あるいは手拍子だけを伴う歌が、フラメンコという大きな芸術の出発点だったわけです。
ギターが主役級の存在として定着するのは、実はかなり後のことです。Wikipediaの記述によれば、1870年代にプロの舞踊家が登場し、ギターがフラメンコの主流の楽器となったとされており、これは19世紀半ばに登場した「カフェ・カンタンテ」(フラメンコが定期的に上演される飲食店)が興隆した時期と重なります。つまり、カンテという種があり、そこにバイレという芽が出て、カフェ・カンタンテという土壌を得てようやくトーケという枝葉が茂った、というイメージです。ご存知の順番の理解で間違いないと言えるでしょう。
2. カンテの源流、どこまで遡れるのか
ここからが少し込み入った話になります。「フラメンコという芸術形式が確立した時期」と「その素材となった音楽的ルーツ」は、分けて考える必要があるからです。
フラメンコという形での確立は18世紀末とされ、最古の文献記録は1774年のホセ・カダルソによる『モロッコの手紙』に見られます。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラは、この芸術の初期の痕跡が確認される場所として頻繁に引用されます。
カンテの最古の様式とされるトナーについても、文献によれば18世紀にはすでにトナーらしき歌が歌われていた記録があり、当時はかなり多くのトナーが存在したものの、現在まで伝わっているのはわずか3つのメロディだけだとされています。無伴奏・自由リズムで歌われるこのトナーが、いわば「フラメンコの原点」ということになります。
しかし、その素材となった音楽文化はさらに遡ることができます。インド北部から発生してヨーロッパへ拡散していったジプシー(ロマ)民族が、初めてスペインの記録で確認されたのは15世紀のことでした。アンダルシアにやってきた一部のジプシーが、自らの音楽と土着のアンダルシア音楽をミックスして作り上げたものが、今日のスタイルに一番近いフラメンコだと言われています。さらにその背景には、中世のスペイン、すなわちイスラム時代に北アフリカから様々な民族集団が渡来し、とりわけアンダルシアに定住したという、8世紀からの長い歴史の蓄積があります。
こうして時系列を並べてみると、次のような重層構造が見えてきます。
ジプシー(ロマ)のスペイン定住 ― 記録上は15世紀
アンダルシアの土着音楽との融合が進んだ時代 ― イスラム支配下(8〜15世紀)からレコンキスタ後にかけての長い期間
カンテ(トナー)が独自の様式として文献に現れる ― 18世紀
フラメンコという名称・芸術形式としての確立 ― 18世紀末〜19世紀
一つの「起源」を指し示すのではなく、何世紀にもわたる異なる民族・文化の音楽が幾重にも折り重なって、ようやく18世紀にカンテという形に結晶した、と捉えるのが実情に近いようです。
3. カンテの前身となった歌 ― ロマンセという物語詩
では、カンテそのものの「前身」にあたる歌はあったのでしょうか。もっとも重要な手がかりとして挙げられるのが**ロマンセ(Romance)**です。
多くのフラメンコの曲にロマンセのメロディーと歌詞が見られ、カーニャ、ハレオ、ポロ、マルティネーテ、トナー、ソレア、ロメーラ、ビジャンシーコ、ナナ、サエタ、ペテネーラ、セギリージャ、ブレリアといった主要なカンテに影響を与えたことが分かっています。ロマンセはカスティーリャに古くから伝わる物語詩の伝統で、決まった拍子を持たず、ギター伴奏なしで自由に歌われるものでした。初期のカディスのフラメンコのアーティストたちは、古い歴史を語ったり、楽しんだりするためにこのロマンセを演奏していたとされ、中世スペインの語り歌の伝統が、カンテの土台の一つになっていたことがうかがえます。
興味深いのは、この起源をめぐる議論が現在もなお続いているという点です。1971年にルイス・スアレス・アビラという研究者が『カンテ・フラメンコの真の起源(Corridos, corridas o carrerillas, verdadero origen del cante flamenco)』と題する小冊子を発表し、エル・プエルト・デ・サンタ・マリア(カディス)のヒターノたちのロマンセ歌手を研究材料に、独自の起源論を展開しています。
ロマンセ以外にも、しばしば言及される要素があります。アラブ(ムーア人)音楽に特徴的な旋法や装飾的な節回し、セファルディ(スペイン系ユダヤ人)の礼拝歌に見られる詠唱の伝統、そして何より、ジプシー自身がインドから中東・北アフリカを経てスペインに至る長い道のりの中で獲得してきた独自の歌唱様式です。これらが、下層階級やヒターノ・コミュニティの生活の中で長い時間をかけて混ざり合い、18世紀頃にトナーのような最初期のカンテとして結晶化し、そこからマルティネーテ(鍛冶屋の労働歌が起源とされる無伴奏カンテ)やセギリージャなど、各パロが少しずつ枝分かれしていった、というのが大まかな流れのようです。
おわりに
カンテの起源をたどっていくと、一本の川を遡るというよりも、いくつもの支流が長い時間をかけて合流していく様子に近いことに気づかされます。インドから旅をしてきたジプシーの声、アンダルシアの大地に根づいた土着の旋律、イスラム支配の記憶を宿すアラブの節回し、そしてカスティーリャの物語詩ロマンセ ― これらが幾世紀もかけて混ざり合い、18世紀のアンダルシアでようやく「トナー」という最初の結晶を結びました。この分野は口承伝統ゆえに史料が乏しく、研究者によって解釈が分かれる部分も多いのですが、だからこそカンテには、まだ語り尽くされていない奥行きが残っているのだと思います。
出典
国立音楽大学音楽研究専修「フラメンコ ~歴史と、現在のその姿~」https://www.lib.kunitachi.ac.jp/wp-content/uploads/2023/12/tenji0610.pdf
EL FLAMENQUITO「フラメンコの歴史:起源、影響、そして進化」https://flamenquito.online/2025/04/04/
フラメンコ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フラメンコ
カンテ・デ・ナランヒータ「トナー」(フラメンコ百科事典データベース)http://flamenco-jp.net/db/DB-Palo/cn27/pg295.html
flamenco.one「ロマンセ(Romance)・フラメンコ用語集」https://flamenco.one/ja/用語集/ロマンセ/
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