友達の名言〜先週ヴァージョン〜
友達に名言好きな女がいて、
どうやら名言集とかが多分好きっぽくて、
私の言葉もなぜか大袈裟に「名言や!」と言ってくれる。
そんなでもないんやけど…といつも思っているが、素直に心に入れてくれる人なので、そういうところは自分にないものなので憧れる。
名言集のように「どう?こんな名言」ヅラされて誰かのチョイスで並べられるとしらけるが、私の普段の生活の中で、私の心に響いたちょっとした名言を探してみようと思った。
先週、色々と仕事でやさぐれでいた私に、友達と与太話したりLINEのやりとりをする中で見つけた名言をいくつか無許可でコピペして挙げたい。セリフの真偽は無関係でチョイス。
①人間には、示す側と示される側の2種類がいて、役割が変わることはないねん。示す側はずっと示し続けて生きていって終わるねん。
これは、このまま言われた。いつもの友達と、友の墓参りに向かう車内で、助手席で。すごないですか?この言葉。
「そうなんや、そうなんや」といつもパートナーの悩み事を聞いてあげても、自分の話にはちゃんと耳を傾けてもらえないという現象について彼女が言った言葉。
そうなんやー、大変やな、しんどいな、って言って傾聴しながら、こうやって自分の話も聞いてもらえたらなぁという願望をお手本として示しているが、示される側はそんなことは気づかない、という話。
仕事でも同じことが言えて、教える人はずっと誰かに対して教えてあげているし、人に聞きに行く人はずっと誰かに聞いて示してもらっている。示す側と示される側は、相手が変わっても同じ役割をするのだと言っていた。こんな風に言い切れるのすげーよ。カッコいい。
私も彼女と同じく「示す側」の人間らしいが、彼女といる時だけは特別に役割は変わり、いつも彼女から示していただけるから貴重な存在だ。そして、私のnoteでは「私に示す人」という意味で「しめちゃん」と呼ぶことにした。
②自分が言えないから、かわりに言って欲しいんやろ。私らは毒持ってるのにピュアで正義感強いから。その後、自分の出した毒のことが気になったり何日も考えたりするのに、代わりに言ってもらった人がケロッとしてるの見ると、心の毒がピュッと出て、毒性が弱くなる音がするわ。
これは長くて、かまいたちのネタみたいで一見、何のことを言ってるか分からないかも知れない。
はっきり言えないモジモジな人の相談に乗り、それを聞いてあげてると自分のことのように腹が立ってきて、「そいつ、何なん?!」と代わりに怒って毒舌放つと、ついつい言い過ぎてしまい後々反省するんだけど、はっきり言えない人本人は自分の口を汚さずにケロッと、いやむしろスッキリしているという現象についてのもどかしさを表している言葉。
「自分の毒を他人に無駄遣いされた」とも書いていた。
この意味不明な現象が分かる人がいたら語り合いたい。
かなり毒舌な友達なのだが、言い回しも独特だから面白くて好きだ。自分の心の毒性が弱くなる音なんて聞いたことがないから、聞こえる彼女を尊敬する。
③「愛していると言ってくれ」の再放送を今観たら自分がどんな感想を持つのかに興味あるわ。
これのどこが名言?と思った方。
これは深いのです。
ドラマとか映画って、初めて見た時の印象が強いものって、何年も経って見てみたら全然違う印象になることがある。
例えば、「東京ラブストーリー」は、見ていた頃は完全にリカ派でさとみがムカついて仕方なかった。だけど、大人になってから見るとリカのしんどさ、さとみの複雑でずるい気持ちも分かってしまう自分になっていて、関係ないがこの職場やったらカンチよりも西岡徳馬もアリやん、って思えるようになっていた。
また、まだ大人じゃない時に見た映画「マディソン郡の橋」はおじさんおばさんが何かエロいことになった映画、としか認識してなかったけど、旅で色んなことを体験して数年前に見たら心が震えた。名作やん!じじいやと思ってたけどめっちゃクリント・イーストウッドはめちゃくちゃ色気あるし、ああ、別れるしかないよね涙、という感想を持ってしまった。
昔の作品を今見ることで、自分がどんな風に生きてきたかが、少し映し出される気がしてる。
そうひそやかに思っていた私に、全く同じ思いを持っている人がいて響いた。
そしてなんと、他にも2人の友達(①②の名言の人)が別々に同じようなことを私にLINEしてきたのが興味深かった。
まあ、40代のドラマ好き女たちにとって、25年前の高校生の頃に見た「愛していると言ってくれ」というドラマがどれほど特別なものか考えると当然のような気もする。再放送をやるとなれば、そりゃドラマ好きは湧き上がる。
私の好みの男性は、「白い自然素材の長袖服をさらりと着こなす長身で、走ってもあまり汗をかかない涼しさがあり、少し長めの黒髪で、背が高く、美しく大きな手のひらを持つ細身の男」だと常々言ってきているから、おのずと、このドラマのトヨエツが私の永遠の王子様だと知っている人が3人いるというだけのことかもしれないが。



(25年前の女子高生の私が当時このドラマの榊晃次ことトヨエツを見た時「胸がドキドキ!!」しか無かったが、今の私がこのトヨエツを見た時、生命の危機を感じるほどの動悸と変な汗と全身の火照りと悶絶があった。私はこの25年で、悶絶なんて言葉を使う生き方をしてきたのだった。)
④太極拳では、歩くことは、気を鎮めるのに一番やねんて!身体はわかってるなー。
これは、仕事で腹立って腹立って、フルスロットルで(上司に)怒った金曜の夜、例のごとく長距離を歩いて帰っていたら、友達が教えてくれたこと。
太極拳での教えなど知らなかったが、心と体の声を聞いたら、不思議と長距離を歩いていた。家に辿り着いたのは23時を過ぎていたが、気は鎮められていた。気を鎮めるために必要な時間と距離だった。
心と体の声を聞くのはとても大切だと思った。
⑤才能なくても、もう少し続けてみたら、なんか違うもんが見えるんかも(見えへんのかも)って思ってるからやってるけど。
これはポン子さんの言葉。
私は、例えばギターを弾くなどの「物事の才能」以外に、
ギターの練習を続けるという「物事を続ける才能」っていうのがあると思っていて、この続ける才能がないといくら努力しても何かを成し得るのは難しいんじゃないかという仮説を私は持っている。私にはその続ける才能が致命的にない。ルーティンのようにある程度まで続けたら、いつも突然放り投げてやめてしまう。生きること以外ほぼ何も続いていない。
ポン子さんの「もう少し続けてみたら、違うものが見えるかも」ってのがいいなと思った。
「続けたら、何かを得たり、成長したりできる!」というところまで言われると、あまりにポジティブ方向で遠すぎて、全くそこまで思えない私だが、
「なんか違うもんが見えるかも(見えへんかも)」くらいの前向きさは自分にも取り入れられて続けられそうなポジティブな種だと思った。
この種を植えれば、芽が出るかも知れないし、枯れるかも知れないし、出ないかも知れないけど、そう思って何かを続けて生きるのはとても大事な気がした。
私と似た感覚で①や②の言葉を放つ、一緒にやさぐれる友達たちの言葉はいつも救いになるのだが、それとは打って変わって、希望を持ってポジティブにハッピーに生きることを時々魅せてくれる人は私の周りにはポン子さんだけと言っても過言ではない。この人は丁寧に生きている。眩しすぎない程度のポジティブな種を時々頂戴したいと思っている。
以上が私が先週友達からもらったクセの強い名言集だ。
この言葉たちの中に、これを読んだ人の心にも同じように響くものがあるとは全くもって思えない。
よく分からない言葉もいくつかある。
これはあくまで先週の私の心に響いた言葉であり、
今週の私に響くとも限らない。
大半は取るに足らないやり取りの中の言葉で、記憶の彼方に消えていく。その中のいくつかは、なんとなく心に残る。
その時の心に響いたことは確かなものとして救いになるが、
それもまたしばらくして消えていく。
友達の言葉ってそんなので溢れてるなと思った。
なんとなく感謝。
そして今週も頑張る。
追記:来週の日曜日もあの25年前のトヨエツに再放送で会えると思うと頑張れる。そんな40代女性は多いと思う。
写真はトヨエツを無許可でスクショさせていただきました。無許可だぞとトヨエツ本人から注意を受けるのが狙いです。
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