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旅人に戻るには、自分で旅を見つけるしかないと分かった金曜日の夜

私のブログの方と紐付けているTwitterでは、旅が好きな人ばかりをフォローしてるので、普段は主にインドやスペインやら色んな旅先の写真や旅のツイートが流れてくる。


普段の私は、人のツイートを眺めるのが多く、
自分が旅に出ている間は自分が後で振り返るために
自分の記録として呟き、
メモ代わりに使っていた。
自分のためのメモを垂れ流しているのを見て、
同じような旅をしている人やしたい人が
フォローしてくれるようになり、
時々やり取りをするようになり、
他の人の旅も楽しく見ていた。

そんな中、コロナ禍になって、
少しずつタイムラインが変わっていった。
フォローしている人たちの、
旅をキャンセルしようかどうしようかという迷い、
キャンセルした…という報告は、同じ痛みを持つ仲間として残念やなぁと見守っていた。

それからしばらくして、
海外残留組の異国での大変な事態の報告が並び、
これは世界的に偉いことになってきたなと思っているうちに諸外国がロックダウン。

日本も緊急事態宣言が出て、
今度は政府の批判の呟きばかりが並ぶようになった。誰かが誰かに怒っているのは疲れるなぁと、
ツイートの流し見のスピードをアップさせた。
最近のツイートで多いのが、
「#コロナで気が滅入るからみんなの写真で旅行しようぜ」というハッシュタグや、
「○年前の今日の写真」
と言って以前の旅写真を貼るやつ。

これを見るのが私は苦手なことに気付いた。

普段は、色んな人の旅写真を見るだけでウキウキするのだが、自分が旅に行けない状況で、他の人の旅の写真を見ても何の慰めにもならないし虚しくなることが分かった。
私はどこまでも自己中だと思い知った。
旅写真をポジティブに貼って呟いている人は本当に素敵だと思うし、いいと思う。
ただ、以前なら他の人の旅写真を見て、いつか行こうかな、次に行くのもありやな、なんて考えていたのに、
今の私には「いつか行ける」とはとてもじゃないが思えなくないくらい遠くに感じてしまうし、みんなで○○しようぜ、ってノリが苦手なのもあるかも知れないが、
Twitterに溢れるそういう旅写真に、今は全く興味が湧かないのだ。
また行けるようになるかもと想像もつかなくなってしまった。はっきり言って絶望だ。


楽観的に考えるポジティブタイプと思われがちだが真逆な私は、いつかまた行ける日が来る、という前向きなセリフが苦手で、最悪な事態を想定して諦めから始めたい。
だけど旅を諦めるのか…。
合理的に考えがちな私は、
自分の今後の参考にならないものに対しては何も心に響かないのか…
なんて心の貧しい人間になってしまったのか、
想像力と好奇心の欠如は死を意味する、
おもんない人間に成り果てた、
さらば私…。

Googleフォトを開けば、お節介なGoogleさんが
「1年前の今日ここを旅してたよ」「2年前…」「7年前…」と見せてくれる。そういえばこの時期は毎年旅をしている、こんな所に1人で行ったなんて遠い昔やなぁとため息が出る。旅をしていた自分が別人のようだ。

さてどうしようか。
このままだと旅人に戻れない。

noteで他の人の旅行記を読むのは大丈夫だった。
文章を読むのは物語として読めるから好きだし、
虚しいどころか楽しい。
Googleが提案して見せてくれる写真から、
過去の旅を思い出してnoteにアウトプットしているが、これがリハビリになるのかも知れない。
でもそれだけだと足りない気がして、
自分なりに何か他に手立てはないか考えてみた。

心と体は繋がっているから、
体のケアから始めようと思い、ステイホームを仕事終わりの帰り道だけ開放させることにして、
金曜日は仕事帰りに一駅手前の駅で降りて歩くことにした。
まず一駅分、4km、1時間弱、歩いてみた。
ニオイバンマツリの花が咲いている家の前を通った時、ジャスミンの花の香りに似ていて、スペインのコルドバを思い出した。
川沿いの遊歩道が気持ち良かったが、帰ったら足も腰も疲れ果てていた。

次の金曜日にはもう一駅手前で降りて1時間半歩いてみた。この日からkeenの靴を履くことにした。
心が少し元気になっていた。
たこ焼き屋「あほや」でたこ焼きを買って、誰もいない道でマスクをこっそり外して食べながら歩いた。
何とも言えない開放感があった。
極真空手の教室の近くを通ると、ソーシャルディスタンスを守って外で車道に向かって型の練習をしていてそれがシュールだった。

こないだの金曜日はさらにもう一駅手前で降りて8km歩いた。
その日の仕事中は帰り道に歩くのが楽しみで仕方なくなっていて、雨が降り出した時、今日はポンチョを着て2時間も歩けるのか!と心がはしゃいだ。
我ながら変なところにはしゃぎポイントがある。
18時半頃に仕事を終えて、歩き始めるのが19時頃からになりここから2時間三駅分、知らない道を雨の中を歩いて帰らないといけないのに、はしゃぐ自分がよく分からない。
こんな変な女と一緒に歩こうと思う人なんてきっといない。いなくていいのだ、一人がいいから。
雨の中、川沿いを歩くのは何だか水が多くて良い気分になるのは私だけかしら。

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本当は明るい時間帯に自然の多いところを歩きたいが、まあ、大阪の割と真ん中に住んでいて、治安的にそれほど悪くない場所の夜の散歩は好きだったから、
それを思い出せて良かった。
8kmの道中、雨の中、コロナのため閉鎖されたバラ園があって、誰もいなかったからフェンスに顔をはめ込んで外からバラを眺めた。19時半を回っていたし、ポンチョを被ってやっていることはただの不審者である。
でも、こんな所にこんないい場所があったのかあ、なんて思っていると、
ふと、これってもう旅なんじゃないかと思えてきた。
そうだ、これは充分旅だった。
金曜日の仕事帰りの旅をちゃんと楽しめている。
いい治療法だったようだ。
私の主治医の私先生はなかなか腕がいい。

今日はどうしようかな。
もう一駅手前にすると11kmになる。
ちょっと仕事帰りだと3時間近く歩くのは厳しいか。
少しずつ距離を伸ばしたら、そのうち職場から電車に乗らず歩いて帰ることになるかもしれないけど、それだと20kmだ。それはもはや電車通勤じゃないし。それは巡礼で仕事帰りにやるお楽しみを越えてしまう。
楽しみじゃなくなったら意味がないし、それより今日も3駅分の8kmにしておいて、違うルートを歩こうか。

そんなことを考えているうちに、
旅の楽しさを思い出せそうな気がしている。
結局私を元気にさせて私の機嫌をとり楽しませるのは私だ。自己中バンザイだ。


写真はフランスのオーブラック地方。
雨の中ポンチョをかぶって歩く人たち。


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