別れのログローニョでエスプレッソが教えてくれたこと 【あの恋⑤】
2週間近くカミーノで一緒に過ごしたニコラスとは、ヴィアナという街のバルで2人で最後のランチを食べて、私はそこで彼とお別れすることにした。
今日がカミーノを歩く最後の日で、明日の夜にはマドリードに戻り明後日には日本に飛び立つからだ。
別れの思い出として、昨夜の「mezzanotte」の曲で充分だった。
誕生日になったばかりの夜中にあの曲を一緒に聴いて、気持ちが吹っ切れたから、お昼に爽やかに去る方がいいような気がして、
ニコラスは歩くのをヴィアナでやめ、私は次の街のログローニョまで歩くことにし、
頑張って最後まで歩くこと、
私はまた来年この道に戻ってきて必ず歩くことを約束して、
それ以外は何も約束はしないようにして別れた。
1人でゆっくりとログローニョまでの道をまだ暑い中歩いた。悲しかったけど、その気持ちに浸れないくらい暑かった。
後ろから仲のいいブラジリアン2人組が来て一緒に歩いた。「ニコはどうしたの?」と聞いてきたが、ニコラスとはヴィアナで別れたことを告げ、今日で私が最終日と知っていた2人は黙ってハグしてくれた。
暑いのとしんどいのとでそれどころではなかった私だが、ログローニョの町の手前でブラジリアンのイニュエルが黄色い花を私に摘んでくれて、「よくやったね」とラストウォークを祝ってくれた。
町に入って宿の2階からアメリカ人のルークが「ヘーイ!」といつものように私の名前を呼び、手を振ってくれていた。
この年最後の巡礼宿にチェックインし2階に上がるとダイニングでルークが「今日も最後の到着だったね、Good job!」と言ってくれて、「ニコはどうした?」と彼も聞いてきた。
「ヴィアナでお別れしたんだ。今日で私、最後だから」と言うと、ルークが「カモン」と手を広げてくれて抱きついて泣いた。
ニコラスと違って柔らかい脂肪に包まれたハグだったから安心して泣けた。(ごめんルーク)

私の誕生日祝いにオランダガールズと3人でちょっといいレストランに行き、ディナーを奢ってもらい、また会う約束をして盛り上がって、結局飲み過ぎて酔っ払って眠った。
「もう明日から歩かなくていいからゆっくり眠れる」と私は言ったが、翌朝、早朝から宿のいろんな人たちが私のベッドに来てお別れを言いにきてくれた。
泣いてくれた人、この先も気持ちは一緒に歩くからと言ってくれた人、スペイン語しか話せないおばあさん2人組がきてずっと何か話してくれてハグとベソの嵐にあったり、かさばるからだと思うけど要らなくなった枕をくれた人などたくさん来てくれて、ニコラスショックよりも、こんなにも色んな人から別れを寂しく思ってもらえるなんて、とおセンチになってしまった。

みんなを見送り一番最後にチェックアウトし、朝ごはんを食べようと思いブラブラしてみた。
ピアドラ橋という昨日渡った石橋に出たので、綺麗だなと思って見ていると、向こうからやってくる人が見えた。
ニコラスだった。

私のところへバックパックを捨ててまっすぐ走ってきてくれた。
私ももちろんそうして、まるで一昔前のトレンディードラマのようなことになった。クルクルとスローモーションで何周か宙に回った気がする。
彼は「また会いたいと思って歩いていたらこんなに早くまた会えた」と言った。
この再会を運命のように思ったが、まあ巡礼路は基本的に1本道だし、そういう意味でも必然の再会だと思う。
ニコラスは「最後の朝ごはんを一緒に食べよう」と言い、バルへ行き一緒にボカディージョのセットを食べた。

オレンジジュースとエスプレッソとどちらかでオレンジジュースを選んだつもりだったが、食後にエスプレッソもきた。両方くるのはスペインではよくあるセットだということは翌年に知った。
イタリア人との別れなんだからエスプレッソを飲む方がいいシチュエーションだと酔いしれてチビチビと全部飲んだ。
苦さは恋の味だと酔いしれていた。
ボカディージョは最初にピレネーで食べたものより美味しくなかったが、あの時と2人の関係は近づいていたし、明日になればピレネーの時よりも距離は遠くなるなと思っていた。
マドリードに向かうバスの時間がお昼で、それまでニコラスは巡礼路を歩くのを数時間休止して付き合ってくれて、教会や公園に行ったり、バラ園に行ったりした。朝露に濡れたバラがとても綺麗だったのを覚えている。



ログローニョの観光案内所でクレデンシャル(スタンプを押す巡礼者の手帳)にスタンプを押した。
そのデザインが可愛いのと、「ログローニョ」という名前の可愛さと、別れの場所の記念に、2人で腕にスタンプを押した。
タトゥーがいくつもあるニコラス。
そして私のファーストタトゥー。
消えなければいいなと思ったが、予想通り次の日にはあっけなく消えていた。




街の角でいよいよお別れすることになり、長いトレンディードラマタイムをして、
「歩き終わったら、旅が終わったら今度は君と…」という話をニコラスがしようとするので、
「次に会う約束をするのはやめよう、carpe diemやで。ニコちゃん、グラッツェ」
と11歳歳上お姉さんな私が言って、赤く焼けてヒリヒリしてそうなニコラスの頬と鼻と耳に日本の性能の良い日焼け止めを丁寧に塗ってあげて、
「Buen camino!」と元気よく別れた。
涙はなかった。
それからバス乗り場に歩いて向かう途中、悲しみのあまり体が震えてきた。そういえばさっきから気分が悪い。
涙の代わりに冷や汗が出て、ニコラスとの別れが震えるほど辛いのかとびっくりしていたら、壮絶な吐き気が襲い、さっきのバルに戻ってトイレでめちゃくちゃ吐いた。
朝食で気取って初めて飲んだエスプレッソのせいだとピンときた。
私はコーヒーアレルギーなのでコーヒーを飲むとこうなることをすっかり忘れていた。学生時代に家庭教師のバイト先で出されたアイスコーヒーを断れずに飲んで帰り道の駅のトイレでこうなったのを思い出した。
さらに遡って小学生の頃、遠足の日にだけ帰ってきたら飲まないといけない瓶のコーヒー牛乳を飲んでいつもすぐに吐き出していたことまで思い出した。
別れの悲しみに浸ろうかと思っていたのにコーヒーにぶち壊された。
エスプレッソはもう何があっても飲まないと心に誓った。
ニコラスは私に「どうしたいのか、どうして欲しいのか、ちゃんと言わないとダメだよ」と旅の間中ずっと言っていたのに、私は最後に、「コーヒーが飲めないんだ」と言わなかったばかりか、黙って無理して飲み干した。
そして「約束するのはやめよう」と言って別れた。
もしかしたら私はニコラスの前でいつも無理をしていたのかもしれないなとも思った。
これは教訓だ。
エスプレッソは一生飲まない。
たとえ、今後また素敵なイタリア人と出会い恋をして、お別れの場面がやってきたとしてもだ。
その時は必ずオレンジジュースだけにしようと思う。
鼻水と涙と別のものを流しながらトイレで誓った。
何とか全て吐き出してマドリード行きのバスに飛び乗った。
私の1年目の巡礼旅は終わった。

いいなと思ったら、よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは、世界2周目の旅の費用に使わせていただきます!いつか1周目で残した宿題をしにいきます。
