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バジルの残り香

今日は午後からお茶のお稽古だ
あんまり体調は良くないけれど
これを逃すと次はいつになるか分からない

お師匠さんはマグロのような人だから
なかなか捕まえられない
いつも動き回っている

早めの電車に乗ろうと家を出る
あっ、茶筅を忘れて来た
戻ろうか、やめようか
焦る気持ちに負けていた

考える間もなく駅に着くと

電車に飛び乗る

電車の中で可愛らしい赤ちゃんが
ベビーカーを覗き込むとまつ毛がクルクルしている
ずっと会っていない孫っちに会いたくなった

でもわたしにはお茶のお稽古がある
自分の道を進んでゆこうと気持ちを切り替える

お師匠さんちの最寄り駅
駅から歩く道のりにJAの店舗がある
今日は店舗前に花の鉢植えが売られている

冬には野菜が並んでいた

ふと目に止まるのはバジルの苗
これからお稽古なのに手に取って一つ買っていた

ずっとバジルが欲しかった
何故だかバジルが欲しかった

生協のweb限定で売っていたが
欲しいけど買えないでいた
買えるのに買えないでいた
それは鉢植えではなく葉先だけだから

店番のおばさんに
「今帰り?」と聞かれる
「これから出かけるところです」
「エコバッグは?」
「あります」
私はリュックの中からガサゴソとエコバッグを取り出すと、おばさんはバジルを一鉢、大きめのビニール袋に入れて、エコバッグの中にそっと入れてくれる

お互いに「ありがとう」と言い合った

バジルの匂いに誘われながら
蒸し返す道を歩いてた

ほどなくお師匠さんのお稽古場に…
四階まで階段を登ると

玄関先に顔を出したお師匠さんに「バジルいりますか?」と聞く
「欲しい」と即答された

えっ、二つ買ってくれば良かった…
仕方ないけど、お師匠さんに差し上げよう

「かなちゃんの持って来るものは私も欲しいに決まっている」
とお師匠さんのうれしい一言…

まだむっちゃんはやって来ない

「もう一つ買って来ます」

私はそそくさとエコバッグ、スマホと財布だけを持ち
もう一度、階段を駆け降りて、また元来た道を歩く
駅までの途中だから、さっきより道のりは短い

店先でもう一鉢バジルを取り、お金払う
「また来ました、知り合いからも欲しいと言われて…」
店番のおばさんはさっきよりもうひとまわり大きなビニール袋に苗を入れつつ
「葉っぱを使ってあとの芯だけを水につけておくとまた根っこがでて来るから、そこからも増やせるのよ」と教えてくれる

二回目は汗が滴るくらい身体は暑くなる

再びお稽古場に戻るとお師匠さんは既にバジルの苗を植え替えていて、水を沢山掛けている

やることが早い

お稽古場の玄関口に荷物を置くとバジルの香りがふんわりと

むっちゃんとのお稽古は相変わらずタツ先生から指摘されるように、ゆっくりと笑いとおしゃべりの多いお稽古だった

むっちゃんの茶筅を借りて、盆略点前のお稽古は二回ずつする
いつも二回目は上手く出来る
薄茶も二杯飲む
お菓子も干菓子と水無月をしっかり頂く


間もなく炉のお稽古に変わると言われる

えっ、盆略点前も満足に出来ないのにもう進むの?
やっぱり同じところにはとどまれないのか

襖の開け閉めや立ち振る舞いはお茶をやっている人の形になっているとお師匠さんには言われるけれど

むっちゃんは昔取った杵柄だから、私に合わせてくれている
「かなちゃんと一緒がいい」とゆっくりと

ずっと初心者のままにいる訳にはいかない
不器用者も少しずつ、進んでいる

毎回手を替え、品を替え、覚えることができてくる
やっぱりお師匠さんは魔法使いか…
いやいや前世はインド人


お茶のお稽古が終わり、むっちゃんはもうすぐ発表会のある篠笛をお師匠さんに教えてもらっている

お師匠さんは篠笛の名取でもある

私も部屋の端っこでお師匠さんから借りているプラかん(プラスチックの篠笛)の音出し練習をする
一番最初に吹いた時にまぐれ当たりに音が出て、まわりからは「できる、できる」と言われるけれど、
その後は何回やっても音が出ない

私にはお茶だけで十分すぎるのに
「 (篠笛は)やらないよ」と言っても妹弟子のむっちゃんは笛入れ袋を作ってくれた

みんなのように形だけ袋に入った篠笛を持ち歩く
どこへ行くにもリュックに入れて

むっちゃんの篠笛のお稽古が終わり、私にもお師匠さんは篠笛の指導をして下さる

本当に不器用者は笛を鳴らすも指先が痛くなる
どこもかしこもカチカチらしい

私はカチコチに生きてきたのか

二人のお稽古が終わり、帰り道を急ぐ

「むっちゃん、バジル欲しい?」
と聞くと「うん」と言われる

えっ、やっぱりこのバジルの苗も私の元には来ないのか…

むっちゃんにバジルの入った袋を差し出すと
むっちゃんはバジルの苗の先っちょを一本摘んだ
「これでいい」
「えっ、こんなのでいいの」
「うん、家あるトマトと玉ねぎを刻んで、このバジルでサラダを作るから、これで十分」
とむっちゃんは摘んだバジルの葉っぱの匂いをかいで、自分のバッグにしまっている

むっちゃんと一緒に帰る時には私がむっちゃんの電車の乗り換えをスマホで検索をする
最初に降りる私はいつも「○○駅で乗り換えて」と言い残して電車を降りる

まるで母がいた時のように

家に帰って、しばらくボォっとしているうちに
むっちゃんからお師匠さんと三人のグループラインにバジルとトマトと刻み玉ねぎのサラダの写メを送られてきた

飲兵衛のむっちゃんはワインの写メも添えて来る

お師匠さんも「美味しそう」と言っている

私も慌ててバジルの苗をもう真っ暗な中で鉢の植え替えをして、外の日の当たるであろう場所に置いておく

本当は焦らないで明日の朝にやれば良いことなのに


今日も無事に一日が過ぎてゆく

私には大切な人たちがそばにいてくれる
ありがとうと感じてる

あゝ、バジルの香ばしさ
残り香を感じている

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