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掛川市を外から見る者の想い     ~掛川100景のかけら~ つま恋

今回私がこのプロジェクト『掛川市の魅力ある場所や物事を集め、ネット上に記事を掲載する』に参加したきっかけはランサーズの新しい働き方LABです。「研究員制度」にご興味のある方はこちらへどうぞ。

今回企画に参加したことで、リサーチだけではなく、執筆の機会を得ることができました。2024年11月の上旬、夜明け前に掛川市に到着して見上げた空は、満天の星空で・・・まるでリサーチ、執筆した中にも取り込めなかった多くのキラキラしたかけらのようにも感じました。
そんな想いを【取材後記】として残すことにしました。


掛川100景を掲載しているnoteです

そして執筆に携わった つま恋 はこちらです。


研究員制度の終盤を迎える2024年11月、私は自身が担当した執筆の目途がついた。しかし『まだ書きたい!!もっと掛川市を知りたい(メンバーに関わっていたい)』願望にかられていました。今の高揚感が楽しくて仕方がなかったのです💕

メンバーが早々から積極的に動いていたのに、私はとても遅いスタートだったことを後悔しました💦 気持ちが変わらないうちに次の景に手を上げました❕それが つま恋 。(メンバー内でいうリサーチ、執筆の『おかわり』をしたということです。)

つま恋 = フォークソングの聖地 と言われた半世紀前、幼児とはいえ産まれていた自分が着手するのがいいかな?という考えでした。 


1.執筆の方法

いつもの通りネットで色々検索をしました。

調べた最初に驚いたのは、ずっと私はつま恋(つまごい)つまこいと勘違いしていました。何よりも

妻が恋しい ⇒ 愛妻家の某アーティストが開催するイベント

だと思い込んでいたのです。大変お恥ずかしい状態からのスタートでした。

2.取材アポイント(ファン目線)

たまたま元上司が、某アーティストのファンであったので、話を聞いてみようとアポイントをとりました。ちなみに元上司は歳を重ねても、音楽と海、地元愛に溢れる、いたずら少年のような方です。

半世紀前、掛川市に行った時の印象が(自身の居住地より)星空がきれいに見えたことが鮮明に浮かぶ』と聞き、やはり時を経ても変わらないものがあるんだと思いました⭐
(ということで、元上司を半世紀前に戻ってもらい?以下『きら星少年』と呼ばせていただきます)

久しぶりの連絡に喜んでいただけたのですが、主旨を伝えると『多分つま恋を語ると1時間では足りない』とのメッセージに、いい加減な情報だけでは失礼に当たると、当日までに色々なサイトに目を通しました。

3.取材レポート(ファンの想い)

2024年11月某日 私の都合に合わせていただき22時のファミレスとなりました。最初に今回の企画主旨を伝え取材スタートです。基本質問形式でしたが、この章は箇条書きになります。

会社にいるときは、珈琲をよく淹れていたことを思い出しました。

Q1.『つま恋』がヤマハから譲渡されていることについて

話しを聞くまで知らなかった。そもそもつま恋で野外コンサートが開催できたのは、当時のヤマハ社長がいたから実現したことで。。。以下略。(きら星少年の情報量に驚く💦)

Q2.コンサートが開催された1975年当時を振り返って

当時は学生だった。静岡県が18歳の夜間外出が禁止されていたこともあったので、学校では『コンサートには行かないこと』と言われていた。親にも当然反対されたが、『行かない』の選択肢はなかった

知り合いのレコード店に頼みこみ、チケットを1枚入手した。それまで1ヶ月程必死にバイトして、旅費をため込んだことを覚えている。

Q3.掛川市に着くまでのこと

現代のようにインターネットはない時代だったから、簡単に情報を得ることはできなかった。情報はラジオが中心だった。とにかく『開催される』『アーティストに会いに行く』ただそれだけ。

今は新幹線も止まる掛川駅だけど、当時は在来線で行くしかなかった。地元から東京駅に出るまで、東京駅から掛川駅に行くまで結局5、6時間はかかったと思う。

どれ位の時間がかかるか判らなかったので、3日前には家を出て掛川市に向かった。野外コンサートなので、早くいけば近くでアーティストを見れる!その思いが強かった!

運よく東京駅で大学生の団体に声をかけてもらい『俺たちも野外コンサートに向かっているところなんだ!一緒に行こう!!』と言われひとりじゃないって安堵したことを覚えている。

Q4.掛川に着いてからのこと

当時の掛川駅は何もないところだった。現地までは歩いて移動した。
途中にあった個人商店の位置を覚え、何かあったらここに買いにくればいいと思った。寄ったら店主に『ここ数日若者が多く訪れるのだが何かあるのか?』と言われたので、野外コンサートの開催は知らなかったんだろう。

つま恋に着くと既に多くの人が並んでいて、既に100人くらいはいたように思った。自分達も交代で並んで、買い出しやトイレに行った。日が経つにつれ人も増え、段々と商店から商品がなくなっていった。

自分がいる場所から後ろを振り返ると、たくさんの人達がいるのを見た。周りは人だかりだったが、夜見上げた空は⭐満天な星空⭐本当に綺麗 だった。

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Q5.当日のこと

始まったらもうアーティストの歌声に引き込まれ、今までの辛さは忘れてしまうくらい感動した!!最後はみんなで合唱して終わったんだけど、本当に完全燃焼したって感じだった。

Q6.もしあなたが掛川市民の立場だったらどう思うか

自分が商売人だったら儲けようと考えたと思う(いたずらっ子発動(笑))。でも情報が行き届いていなかったのかもしれない。

トイレも足りなくて女性は民家に駆け込みトイレを借りた、それ以外に道端でする方もいたようで、市民にはとても迷惑なことだったという記録も残っています。そのことを含めどのように感じますか

簡易トイレはあったけど確かに足りなかった。特に女性は大変だったと察する。トイレに並ぶのに30分は普通だった。予想以上の人が集まったんだと思う。最後はチケットがない人もいたし。ただ後ろは、間違いなくアーティストは見えないし、誰が歌っているのかわからない状態だと思う。

Q7.入り口でゴミ袋を配られたのは本当?

(この質問だけは褒められました(笑))配られた!でも水入れるのに使っていた。当時はペットボトルなんてなかったから。でも薄い袋だったしたくさん入れて破れたりしたりで大変だった。それだけみんな必死だった。


さいごに・・・

きら星少年から言われたことです。

当時は一緒に行く人もいなかった。
もちろん1975年の出来事を共有できる人もいなかった。まさかこんな形(取材)でも話ができて本当に嬉しかった。何より忘れていたことも聞かれて、楽しい時間だった。ありがとう。

今回の執筆において、ファン目線の印象は外せないと思っていました。

当時の某アーティストは、数年前に最後のツアーコンサートをしたということも伺いました。後で確認してみると「最後はつま恋で!」の記事を見て、多くの方々が 思い出を作り続ける場所 なんだと痛感しました。

ご協力戴いた半世紀前のきら星少年に感謝いたします。ありがとうございました。

もちろん賛否両論あると思う出来事ですが、半世紀前ひとりの少年は、掛川市のつま恋を目指した。それはきら星少年だけではなく、多くのファンが同じ思いを胸に向かったと思います。

そしてあの日のことは、今も色あせない思い出となり鮮明に覚えている。

半世紀を経ても、音楽の聖地、フォークソングの聖地 と、この先も言い伝えられていくことでしょう。もちろんこれからも、多くの人に思い出や伝説を生み出す地 になっていくと思います。

反省点💦💦

結局、執筆下書きはしましたが、訪掛は諸事情で叶いませんでした。
リライトさんにとても助けられました💦💦

名前の由来となった和歌の石碑も、メンバーが撮ってくれた写真を借用させていただきました✨メンバーに感謝です。

個人的には、つま恋にぴったりな1日1組限定のウェディングを開催しているエリアを見学したいです💕やはり つま恋 = 愛溢れる 印象には変わりありません。

ニュースイッチ 「音楽イベントで『自由』に絵を描きなさい」 つま恋を創ったヤマハ社長の思い
朝日新聞デジタル 「つまごい」を訪ねて(4) 
ウィキペディア 吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋





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