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「致知」を読むということ

ボクは雑誌『致知』を読む時、
情報を取りに行っている感覚ではない。

知識でもない。

ましてや、
「ビジネスの成功法則」を読んでいる感覚でもない。

もっと重たい。

もっと静かな行為だ。

『致知』を読むというのは、
脳で理解するというより、
“肝に命じる”作業に近い。

いや、
作業という言葉でも少し軽い。

儀式に近いのかもしれない。

世の中には、
頭が良くなる本は山ほどある。

効率化。
マーケティング。
AI。
ロジカルシンキング。
ファイナンス。

読めば賢くなった気がする。

でも、
肝が座る本は少ない。

『致知』には、
時々、異様な人が出てくる。

命を削ってきた人。

逃げなかった人。

黙って耐えてきた人。

何十年も同じことを続けた人。

今のSNS時代だと、
一瞬で“地味”と処理されるタイプの人たち。

でも、
ページをめくっていると、
だんだん怖くなる。

「ああ、この人、本当にやってきたんだ」

という迫力がある。

しかも『致知』って、
あまり読者を甘やかさない。

“あなたはそのままで素晴らしい”
みたいな空気がない。

むしろ逆で、

  • どう生きるのか

  • どう働くのか

  • どう耐えるのか

  • どう人を育てるのか

を静かに問うてくる。

だから、
軽い気持ちで読むと、
途中で疲れる。

真正面から読むと、
自分のズルさとか、
甘さとか、
逃げ癖とか、
全部見えてくるから。

ボクは時々、
『致知』を読むと、
「背筋が伸びる」
というより、
「肝が冷える」感覚がある。

こんな生き方をしてきた人が、
本当にいるのか、と。

しかも、
そういう人に限って、
言葉が静かだ。

声が大きくない。

自慢もしない。

だから余計に重い。

最近の本や動画は、
“すぐ役立つ”が多い。

でも『致知』は違う。

すぐ役立たない。

むしろ、
あとで効いてくる。

数年後、
苦しい時に思い出す。

「あの人、ああ言ってたな」

と。

だから『致知』は、
読むというより、
“肝に置く”ものなんだと思う。

本棚ではなく、
自分の内側に。

それにしても一ヶ月で読み切るのが大変だ。笑。
活字を高速で読むという行為ではなく、
肝に銘じるので、時間がかかる。苦笑。


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