プロレス&マーケティング第127戦「モノ」としてのプロレスパンフレット
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:人類はやっとネット時代をへて、怪しげな目に見えないものより、目に見えるモノの価値に気づいた。SNSに高い代償を払って、今ようやく五感で確かめられるモノが、自分たちを豊かにしていることに思いが至ったのである。この変化を感じ取ったのは、やはり時代の寵児、若者であった。って、最後は新潟プロレスになっちゃった。
失ってはじめて分かるモノの価値
きのう、若者の「モノ回帰」について書きました。
モノを集めるなんて、そもそもモノ自体にこだわるなんて、閉じてる、引きこもりだ、オタクだ、という向きもあるかもしれません。
しかし、モノとはそれを眺め、触り、思いを馳せ、慈しむことで人間性を豊かにする道具だったのです。
彼と別れて、かけがえのない存在だと知った。
故郷を離れて初めてふるさとのありがたさに気づいた。
人間は何かをなくさないと、その本当の価値がわからないのです。
プロレスグッズの本当の価値
僕も少年の頃、10年間せっせと溜め込んでいた、東スポのプロレス記事の切り抜き、入場券の半券、パンフレットなどを親に勝手に断舎離されたことがありました。
眼の前が真っ暗になると同時に、「ああ、俺はそんなにもプロレスがスキだったのだな」と、自分の異常な偏愛(笑)に気がついたことを思い出します。
あれはお宝探偵団に出したらいくらの値がつくだろう、闘道館の泉館長ならどのくらいで買ってくれるだろう、いやそもそも金に替えられるような代物ではないだろう、などとひとり妄想することもあります。
モノというのは、何かを産み出そうとする者にとっては、単なる執筆や創作の資料ではなくて、積極的な常にインスピレーションをくれる、創造の源でもあることに気がつきました。
失われたグッズ類がもし手元にあったなら、拙著「プロレスの経済学」ははるかに面白いものになっていたに違いありません。
プロレスのパンフレットという「モノ」
今も肩書だけは残っているのですが、新潟プロレスの大会パンフレット「新潟プロレスマガジン」の編集長をやっており、第15号まで出ています。

デジタル時代、「パンフレットなんてスマホで読むようにダウンローでいーんじゃなーい」と、ウーバーイーツのCM風に言われたこともあります。
もう10年も前の話ですが、僕はモノにこだわり、デジタルパンフレットなんてとんでもないとはねつけたのです。
モノの感触、ながめる喜び、パンフを丸めてメガホンにして応援するも良し、いずれの芸当もデジタルパンフにはできないワザでしょう。
パンフレットはめくる楽しさ、もあります。
次のページをめくるワクワク感ですね。
もちろん、読ませますよ。
僕は、従来の団体パンフレットに納得がいかなかったんです。
大会ごとに表紙は同じだけれど、選手紹介は同じ、あとは広告と「本実の取り組み」と相撲か!と思わせる試合の組み合わせが書いてあるだけ。
でもファンは会場についたなり、パンフレットを買うのが「儀式」ですから、そんなのはどうでもいいんですが。
あれから数十年たって、自分がパンフレットを創る側になるとは、夢にも思いませんでしたが。
そうそう、そこで「今迄のパンフレットみたいなつまらないものは書かないぞ!」と決めて、過去の号と同じ記述は絶対にしないようにしたんです。
選手紹介も毎回変えました。
連載ものも入れて「野呂一郎の新プロレスの経済学」なんていうのを毎回書きました。
リッキー・フジ物語なんていうのも、ありましたよ。
ある有名なレスラーから、「オレノ自伝を書いてほしい」といわれたこともありますが、いろいろ事情があって・・
週プロの鈴木健さんが、新潟プロレスのパンフレットをすごく気に入ってくださり、ご自身のニコニコ動画配信で、僕の特集を5分くらいやってくれたのは、うれしかったですね。
ああ、なんかモノの話をしなくてはいけないのに、いつの間にかプロレスの話になってるな。
いいや、タイトルも「モノの時代がやってきた」から、プロレスに変えちゃえ。
モノ回帰の続きは明日しますね。
野呂 一郎
清和大学教授
