権威や常識を大事にしすぎると、真実が見えない。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:世の中ってのは、常識という記号でできている。常識というセリフが言えない演者は編集委員になれないし、テレビの解説委員になれない。常識は権威と言ってもいい。でも決まり切った古い常識を振り回す権威を鵜呑みにする態度からは、知的成長はないと断言しよう。オープン・ユニバーシティに来たほうがずっといい。
誤読を避けるのがマスコミとアカデミアの作法
新聞の論説委員や学者は、誤読を恐れているんだ。
誤読とは、常識と外れた解釈のこと。
権威をないがしろにする、読み方でもある。
日経新聞にしたって、ノーベル経済学受賞学者にしても、権威でものを言っているだけだ。
他のマスコミや学者たちも、右に同じ。
誰かが作った権威や既成理論を自分の言葉のように、または引用して、一遍の記事にしたり、論文にするのが、インテリゲンチャーの現実だ。
彼ら彼女らにしたって、常識や権威の言うことを一生懸命、暗記してきただけで、その呪縛から解き放たれるのはむずかしい。
だから、キミの「そもそも経済学者の言うことは、正しいの?」という疑問には血相変えて反論する。
彼ら彼女らは、権威を傘にきて、既成理論をタテにして、疑問をはねつけ、異論を排除しようとする。
世の中は記号としての既成概念に溢れているのだ。
受け売りをするだけでは考える力は育たない
自分は権威だから正しいとばかり、若者の素朴な疑問に、「理論はどうした」「リクツはどこにある」とあくまで高飛車だ。
常識や理論は正しいから、暗記しなさい、そうすれば就職試験でも有利だし、会社に入っても出世が早いよ、とアドバイスする先生は普通だ。
でも、
ノーベル賞だろうが、ピューリッツアー賞であろうが、オッパツピーだ、そんなの関係ねえ!。

異論こそ、そもそも論こそ、教育は大事にすべきではないか。
実るほど頭を垂れる稲穂かな、世間的に偉い専門家こそ、謙虚にならないといけないのではないだろうか。
人間は権威で自分を飾ろうとする
しかし、彼ら彼女らも内心ヒヤヒヤなのだ。
自分たちの理論に足りないことがある、十分でないことくらいわかっている。
だから、賞を取って、博士号を取って、教授になって権威を勝ち取りたいのだ。
えばって、そして自分の城を築きたいのだ。
それを壊すのが、オープン・ユニバーシティでありたい。
トリクルダウン理論なんてデタラメだ!
こんな大学だったら楽しいし、エキサイティングだ。
オープン・ユニバーシティの学生のキミが、そもそも論をぶちかます。
「そもそも、トリクルダウン理論とやらで、金持ちを優遇すれば、文字通りそのおこぼれが庶民に注がれてくるのがアベノミクスということでしたが、それはそもそも間違ってたんじゃないですか?」。

たしかに。
でも先生役の僕は、こういう意地悪を返す。
「何いってんの!経済理論なんだよ、権威なんだよ!頭が高い!」
すかさず、他の学生仲間が加勢して、僕は袋叩きにされる。
経済学者の多くは、自分の経験値の中でしか、経済事象を考えない癖がある。
その最たるものが、人種とか性差とか文化の違いをはなっから無視して、人間とは白人アメリカ人のことであり、経済はアメリカの現象という、無意識の前提に縛られている。
理論が自分のアイデンティティだから、常識に反しても自説を曲げず、「経済理論じゃぞ、頭が高い!」となる。
テレビという劇は、カタチでできてる
テレビに出てくる経済学者は、ほぼみんなそんな感じだ。
まだ世の中を動かしているテレビ界も、「それでいいのだ」だ。
そうさ、何度も言っているように、世の中は権威と常識でできてんだぞ!
経済学者という権威が、理論という印籠を視聴者に突きつけて、何も考えない権威に盲従する大衆は納得する、構図を作れば視聴率も取れるし、文句も出ないからだ。
そこに、オープン・ユニバーシティのキミが
『そもそも経済学は傲慢すぎる。本当の経済の真実は行間に宿る。理論は全部行間を捨てており、むしろ経済は庶民の実感が正しい』と、ゲスト席から茶々を入れる。
放送事故だ。
あくまでこのテレビ番組は、型から外れてはならない。
登場人物とセリフとお約束は守らなければ、この型は成立しない。
登場人物:専門家、大学教授
せりふ:理論や権威に基づく言葉、表現
お約束:上から目線、断定形、キャスターやゲストはかしこまって聞き、反論などしてはならない
オープン・ユニバーシティの学生諸君、テレビやマスコミを盲従したら、頭が悪くなることは保証しよう。
その姿勢は自分で考えずに、単なる受け売りだからだ。
その態度はもういい、キミは小中高で刷り込まれた間違った姿勢だ。
オープン・ユニバーシティで、そもそも論をのろにぶつけてみよう。
もちろん、のろもわからない。
でも、誰が本当の経済をわかるんだって。
誰もわかってやしないさ。
大事なのは、キミの考えをぶつける相手がいることだ。
そいつは、専門と幅広い見識を持っていて、意見を押し付けず、上から目線じゃなく、一緒に考える姿勢を持っている大人です。
僕もそういう人物になりたい。
野呂 一郎
清和大学教授
