「子ども誰でも通園制度」と、どう向き合うべきか
保育の現状を知った上で、それでも進めるのかという問い
現場の負担と、事故が起きたときの「責任」はどこに行くのか
「子ども誰でも通園制度」は、理念だけを見ればやさしい制度だ。
家庭で子育てをしている保護者を孤立させない。
子どもに社会との接点をつくる。
その目的自体を、全否定するつもりはない。
しかし、制度は理念だけでは成り立たない。
それを受け止める現場が、どんな状態に置かれているか、その制度を安全に抱えられるかどうか。
そこを抜きにして語られる制度は、危うい。
すでに不安定な、今の保育環境
今の保育現場は、決して安定した環境とは言えない。
慢性的な人手不足
日常的に積み重なる疲労
事故を起こせないという強いプレッシャー
多くの園は、「余裕をもって安全に」ではなく、
「ギリギリだが回っている」状態にある。
この前提を無視したまま、新たな制度を上乗せすれば、
現場にさらに不確定要素を持ち込むという意味になりかねず、
保育環境そのものが乱れないと言い切れるだろうか。
子ども誰でも通園制度がもたらす「環境の揺らぎ」
この制度の特徴は、「短時間」「一時的」「利用者が固定されない」点にある。
一見すると負担が軽いように見えるが、
現場から見ればむしろ逆だ。
利用する子どもが固定されない
利用日数も連続しない
関係性が積み上がらない
という特徴がある。
これは現場にとって、
日々、環境が揺れ続けるということを意味する。
毎日ちがう子が来る
毎日ちがう配慮が必要
毎日ちがうリスクが生まれる
保育者はそのたびに、
安全面の確認
情緒面の見極め
関わり方の調整
をゼロから行わなければならない。
保育環境は、「慣れ」と「予測」によって安定する。
その土台が揺らげば、子どもにとっても、保育者にとっても、
安心できる空間は保ちにくくなる。
これは通常の在園児対応とはまったく別の負荷であり、
「短時間だから楽」という話ではない。
毎日が慣らし保育になりかねない現実
子どもは、大人のようにすぐ環境に適応できる存在ではない。
だからこそ保育園では、時間を短くし、少しずつ慣らしていく。
ところが子ども誰でも通園制度では、
利用が1日限りで終わる?
次は別の園になる?
関係が積み上がらない?
という状況が起こり得る。
その結果、
子どもは常に緊張する
行動が不安定になる
本来の姿が見えにくくなる
子ども自身も、疲れてしまう。
これは慣らし保育ではない。
毎日が初日であり、毎日が緊張状態だ。
慣れる前に終わる体験を、何度も繰り返す状態だ。
通常の慣らし保育は、
同じ園
同じ保育者
同じ流れ
の中で、時間だけを少しずつ延ばしていく。
子どもは、環境が安定しなければ安心できない。
安心できなければ、本来の姿も見せない。
その状態で、安全な保育が本当にできるのか。
疑問は残る。
保育環境が乱れたとき、何が起きるのか
環境が不安定になると、何が起きやすくなるか。
事故のリスクが高まる
子どもの行動が読みづらくなる
保育者の判断が遅れたり、荒くなったりする
これは、努力や意識の問題ではない。
環境の問題だ。
では、もしこの制度のもとで、
事故が増えたら
不適切な関わりが増えたら
そのとき、誰がどう責任を取るのか。
問われるべき「責任の所在」
ここで、避けて通れない問いがある。
もし現場で事故や不適切保育が増えた場合、
こども家庭庁はどう考えるのか。
制度設計の問題として検証するのか
現場の過重負担を認めるのか
それとも「運用の問題」として切り離すのか
現場から見れば、もっと率直な疑問が浮かぶ。
結局、責任はすべて受け入れた園に押し付けられるのではないか。
書類が足りなかった
体制が不十分だった
管理が甘かった
そう言われて終わるのではないか。
それでは、
制度を進める側は安全な場所に立ち、
リスクだけが現場に残る構図にならないだろうか。
「書類」と「対話」で守れる安全の限界
制度を肯定する立場からは、
「書類を整えればいい」
「保護者とよく話せばいい」
という声が出てくる。
だが現場で安全を守っているのは、
その子を知っていること
日々の小さな違和感に気づくこと
継続した関係性の中での判断
書類や説明は補助にはなるが、
それだけで事故は防げない。
関係性が浅く、環境が安定しない中で、
安全の責任だけを現場に負わせるのは、
あまりに無理がある。
問題は「制度」より「前提条件」
誤解してはいけない。
この制度が悪意から生まれたわけではない。
問題は、前提条件が整っていないまま進められていることだ。
人が足りていない
疲労が蓄積している
すでに高いプレッシャーの中で保育が行われている
この現実を踏まえずに、
「工夫すればできる」
「プロなのだから対応できる」
そう言われ続ける現場に、本当の安全は残らない。
なぜ「否定寄り」にならざるを得ないのか
私は、この制度に対して否定的な立場に近い。
現場の現実を前提にすると、
安全に運用できるとは思えないからだ。
人手不足
疲労の蓄積
環境の不安定化
責任の所在の曖昧さ
これらを抱えたまま進める制度は、
子どもを守る仕組みではなく、
リスクを拡散させ、現場を追い込む仕組みになりかねない。
制度と向き合うために必要な視点
子ども誰でも通園制度と向き合うとき、
問うべきことは単純だ。
今の保育現場の状態で、
この制度は本当に子どもを守れるのか。
制度を続けることが目的になっていないか。
支援という名のもとに、現場に無理を押し付けていないか。
保育環境は本当に守られるのか
事故が起きたとき、制度設計側は責任を引き受けるのか
現場に「やらせている」だけになっていないか
制度を進めること自体が目的になった瞬間、
子どもと現場は置き去りにされる。
最後に
子ども誰でも通園制度と向き合うとは、
制度の善悪を語ることではない。
制度は、人の上に成り立つ。
人が壊れる前提の制度は、長く続かない。
子ども誰でも通園制度を進めるなら、
まず現場が守られる条件を整えること。
それができないのであればーーー
その問いに、正面から答えることだ。
向き合うべきは、制度の正しさではなく、
その制度を受け止める現場の現実である。
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