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「子ども誰でも通園制度」と、どう向き合うべきか

保育の現状を知った上で、それでも進めるのかという問い

現場の負担と、事故が起きたときの「責任」はどこに行くのか

「子ども誰でも通園制度」は、理念だけを見ればやさしい制度だ。
家庭で子育てをしている保護者を孤立させない。
子どもに社会との接点をつくる。
その目的自体を、全否定するつもりはない。

しかし、制度は理念だけでは成り立たない。
それを受け止める現場が、どんな状態に置かれているか、その制度を安全に抱えられるかどうか
そこを抜きにして語られる制度は、危うい。


すでに不安定な、今の保育環境

今の保育現場は、決して安定した環境とは言えない。

  • 慢性的な人手不足

  • 日常的に積み重なる疲労

  • 事故を起こせないという強いプレッシャー

多くの園は、「余裕をもって安全に」ではなく、
「ギリギリだが回っている」状態にある。

この前提を無視したまま、新たな制度を上乗せすれば、
現場にさらに不確定要素を持ち込むという意味になりかねず、
保育環境そのものが乱れないと言い切れるだろうか。


子ども誰でも通園制度がもたらす「環境の揺らぎ」

この制度の特徴は、「短時間」「一時的」「利用者が固定されない」点にある。

一見すると負担が軽いように見えるが、
現場から見ればむしろ逆だ。

  • 利用する子どもが固定されない

  • 利用日数も連続しない

  • 関係性が積み上がらない

という特徴がある。

これは現場にとって、
日々、環境が揺れ続けるということを意味する。

  • 毎日ちがう子が来る

  • 毎日ちがう配慮が必要

  • 毎日ちがうリスクが生まれる

保育者はそのたびに、

  • 安全面の確認

  • 情緒面の見極め

  • 関わり方の調整

をゼロから行わなければならない。

保育環境は、「慣れ」と「予測」によって安定する。
その土台が揺らげば、子どもにとっても、保育者にとっても、
安心できる空間は保ちにくくなる。

これは通常の在園児対応とはまったく別の負荷であり、
「短時間だから楽」という話ではない


毎日が慣らし保育になりかねない現実

子どもは、大人のようにすぐ環境に適応できる存在ではない。
だからこそ保育園では、時間を短くし、少しずつ慣らしていく。

ところが子ども誰でも通園制度では、

  • 利用が1日限りで終わる?

  • 次は別の園になる?

  • 関係が積み上がらない?

という状況が起こり得る。

その結果、

  • 子どもは常に緊張する

  • 行動が不安定になる

  • 本来の姿が見えにくくなる

子ども自身も、疲れてしまう。

これは慣らし保育ではない。
毎日が初日であり、毎日が緊張状態だ。
慣れる前に終わる体験を、何度も繰り返す状態だ。

通常の慣らし保育は、

  • 同じ園

  • 同じ保育者

  • 同じ流れ

の中で、時間だけを少しずつ延ばしていく。

子どもは、環境が安定しなければ安心できない。
安心できなければ、本来の姿も見せない。
その状態で、安全な保育が本当にできるのか。
疑問は残る。


保育環境が乱れたとき、何が起きるのか

環境が不安定になると、何が起きやすくなるか。

  • 事故のリスクが高まる

  • 子どもの行動が読みづらくなる

  • 保育者の判断が遅れたり、荒くなったりする

これは、努力や意識の問題ではない。
環境の問題だ。

では、もしこの制度のもとで、

  • 事故が増えたら

  • 不適切な関わりが増えたら

そのとき、誰がどう責任を取るのか。


問われるべき「責任の所在」

ここで、避けて通れない問いがある。

もし現場で事故や不適切保育が増えた場合、
こども家庭庁はどう考えるのか。

  • 制度設計の問題として検証するのか

  • 現場の過重負担を認めるのか

  • それとも「運用の問題」として切り離すのか

現場から見れば、もっと率直な疑問が浮かぶ。

結局、責任はすべて受け入れた園に押し付けられるのではないか。

  • 書類が足りなかった

  • 体制が不十分だった

  • 管理が甘かった

そう言われて終わるのではないか。

それでは、
制度を進める側は安全な場所に立ち、
リスクだけが現場に残る構図にならないだろうか。


「書類」と「対話」で守れる安全の限界

制度を肯定する立場からは、
「書類を整えればいい」
「保護者とよく話せばいい」
という声が出てくる。

だが現場で安全を守っているのは、

  • その子を知っていること

  • 日々の小さな違和感に気づくこと

  • 継続した関係性の中での判断

書類や説明は補助にはなるが、
それだけで事故は防げない

関係性が浅く、環境が安定しない中で、
安全の責任だけを現場に負わせるのは、
あまりに無理がある。


問題は「制度」より「前提条件」

誤解してはいけない。
この制度が悪意から生まれたわけではない。

問題は、前提条件が整っていないまま進められていることだ。

  • 人が足りていない

  • 疲労が蓄積している

  • すでに高いプレッシャーの中で保育が行われている

この現実を踏まえずに、
「工夫すればできる」
「プロなのだから対応できる」

そう言われ続ける現場に、本当の安全は残らない。


なぜ「否定寄り」にならざるを得ないのか

私は、この制度に対して否定的な立場に近い。

現場の現実を前提にすると、
安全に運用できるとは思えないから
だ。

  • 人手不足

  • 疲労の蓄積

  • 環境の不安定化

  • 責任の所在の曖昧さ

これらを抱えたまま進める制度は、
子どもを守る仕組みではなく、
リスクを拡散させ、現場を追い込む仕組みになりかねない。


制度と向き合うために必要な視点

子ども誰でも通園制度と向き合うとき、
問うべきことは単純だ。

今の保育現場の状態で、
この制度は本当に子どもを守れるのか。

  • 制度を続けることが目的になっていないか。

  • 支援という名のもとに、現場に無理を押し付けていないか。

  • 保育環境は本当に守られるのか

  • 事故が起きたとき、制度設計側は責任を引き受けるのか

  • 現場に「やらせている」だけになっていないか

制度を進めること自体が目的になった瞬間、
子どもと現場は置き去りにされる。


最後に

子ども誰でも通園制度と向き合うとは、
制度の善悪を語ることではない。

制度は、人の上に成り立つ。
人が壊れる前提の制度は、長く続かない。

子ども誰でも通園制度を進めるなら、
まず現場が守られる条件を整えること。
それができないのであればーーー

その問いに、正面から答えることだ。

向き合うべきは、制度の正しさではなく、
その制度を受け止める現場の現実である。

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