保育監査の「質」と「視点」はズレている?
保育監査という現実
保育という仕事は、子どもの笑顔を守っているように見えて、実際は“社会のインフラ”と未来そのものを支えている。
けれど、その裏側で、保育者がどれほどギリギリの精神で走っているか、
どれほど心と時間を削られているか、どれだけの人が知っているだろう。
「保育は誰でもできる?」
「保育なんて誰でもできる」そんな声を聞くことがある。
確かに、親になるのに免許はいらないし、資格がなくても働ける職場もある。形式だけ見れば“誰でもスタートは切れる”。
だが問題はそこではない。
排泄介助、食事の見守り、噛みつきや叩かれたりも日常茶飯事。
お昼寝準備、片付け、掃除、制作、ご飯もゆっくり食べられず、トイレだって満足に行けない。
日中は子どもと向き合えば書類は一行も進まない。だから埋め合わせは残業か持ち帰り。
これが現実だ。
保育者が“保育以外”に奪われている膨大な時間
保育園には毎年、行政による複数の監査が入る。
安全管理、午睡チェック、避難訓練、消毒、温度管理、給食運営、栄養、検食記録、アレルギー対応…。
すべて“子どもを見ながら”“現場を止めずに”“記録を残しながら”やる。
監査当日、園内のすべてが見られる。
おもちゃ、棚、火災設備、動線、個人情報、午睡の呼吸確認、ヒヤリハット、事故フロー…。
これを保育者の背後で淡々と確認していく。
これをこなしながら、どうやって本来の保育に集中しろというのか。
監査自体が悪いわけではない。命を守るために必要だ。
だが、監査対応が現場の時間を確実に削っている事実からは目をそらせない。
絵本を読む時間、一人ひとりと関わる時間──
そこに使いたい時間が、チェックリストと書類整備に消えていく。
監査の「質」と「視点」がズレている問題
現場感のない人、経験が不明な元保育者…。
そんな人が監査に来ることも珍しくない。
だから“数字で測れる部分”ばかりを見ていく。人数配置、面積、書類の抜け…。
でも本当に見てほしいのはそこじゃない。
子ども一人ひとりに目が届く体制か
職員が燃え尽きない働き方か
園内でどんな研修をして、何を大切にしているか
こうした“質”の部分はほとんど見られない。
さらに監査官ごとに言うことが違う。
ある人は「紙は不要です」、別の人は「全部印刷してください」。
現場は混乱し、その揺れを受け止めて疲弊する。
書類が増えるのは誰のせいなのか?
保育園が書類地獄になる理由のひとつは、
“社会から突っ込まれないため”
何か起こると
「ちゃんと見ていたのか」
「なぜ防げなかった」
と責められる。
だから園は、証明のために書類を増やす。
しかし書類が増えるほど、保育者は疲弊し、子どもを見る時間がさらに減る。
これは負のスパイラルだ。
そして、その構造をつくっているのは一体誰なのか?
不適切保育の発生源は、多くの場合“疲弊”である
ギリギリの人数。
休憩がとれないシフト。
時間に追われる日々。
行事と書類の山。
監査対応のストレス。
限界を超えた保育者。「限界保育士」が増えている。
不適切保育を本気で減らしたいなら、
まず“現場の余白”を取り戻すしかない。
書類を増やす前に「これは誰のため?」を問う
チェック項目を増やす前に、休息と研修を確保する
保育者が壊れる前に、クッションを用意する
これは贅沢ではない。子どもを守るために必要な基盤だ。
監査の「あり方」を見直す時が来ている
監査は必要だ。
だが、今のやり方では現場を救えない。
本当に必要なのは、
文書確認の監査 → “現場の質を見る”監査へ
罰する場 → “改善を共に考える場”へ
年に数回の覗き見 → “継続的に理解する出向制度”へ
現場に1日来て、数分子どもを見て、書類をめくっただけで何がわかる?
保育者の疲弊も、職員間の関係も、子どもの変化も、保護者対応も。何もわからない。
その程度の理解で偉そうに指摘される現場の気持ちを、想像してほしい。
最後にこれだけは伝えたい
保育者は、書類のために働いているわけではない。
点数のためでも、監査のためでもない。
ただただ、
「目の前の子どもを守りたいから」
働いている。
だからこそ、監査も制度も、
子どもにとって良い方向へ、保育者が働き続けられる方向へ、
少しずつでも変わってほしい。
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