ー『脳だけになっても、私は私なんですか?』ー 司書と司書教諭の会話 (SF編)
― キャプテン・フューチャーと仮面ライダーで考える、SF・身体・永遠の命 ―
序章 SF棚では、脳がよく働かされる
放課後の学校図書館。
夕日が書架の背表紙を、オレンジ色に染めていた。
八洲ミライは、古いSFの棚の前で立ち止まっていた。
手には一冊の本。
もう片方の手には、石ノ森章太郎の『仮面ライダー』。
「恵子先生」
「なに?」
カウンターで資料整理をしていた楠木恵子が顔を上げる。
ミライは、真剣な顔で言った。
「脳だけになっても生きてる人、多すぎません?」
恵子は一瞬だけ黙った。
そして、少し笑った。
「SF棚では、脳は意外とよく働かされるのよ」
「働かされるって言い方!」
「だって、身体を失っても脳だけで生きる、機械につながる、ロボットの身体に移る。SFではかなり伝統的なテーマなの」
「伝統なんですか」
「ええ。しかも、ただの奇抜な設定じゃないわ」
恵子はミライの持っている本を見た。
「そこには、“人間とは何か”という問いがあるの」
「脳だけでも人間なのか」
「そう」
「身体が変わっても本人なのか」
「そう」
「記憶が残れば、私は私なのか」
「まさにそこ」
ミライは本を見下ろした。
『キャプテン・フューチャー』。
そして『仮面ライダー』。
「なんだか急に、脳が重くなってきました」
「身体は軽いまま?」
「肩こりはあります」
「脳だけになっても、その質問はしそうね」
二人は笑った。
こうして、放課後の学校図書館で、脳だけで生きるSFの話が始まった。
第1章 脳だけで生きる男、サイモン・ライト
「まずは、キャプテン・フューチャーね」
恵子は古いSF本を開いた。
「キャプテン・フューチャーは、エドモンド・ハミルトンによるスペースオペラ。主人公はカーティス・ニュートン。太陽系を舞台に冒険する、いかにもパルプSFらしい作品よ」
「スペースオペラって、宇宙で歌うんですか?」
「歌わないわ」
「ちぇっ」
「宇宙を舞台にした冒険活劇のこと。で、この作品には“フューチャーメン”と呼ばれる仲間たちがいるの」
「未来男たち」
「直訳すると雑だけど、まあ近いわね」
恵子は指を折りながら説明した。
「怪力ロボットのグラッグ。変身能力を持つアンドロイドのオットー。そして、サイモン・ライト」
「その人が脳だけの人?」
「そう。通称、“生きている脳”」
ミライは本を閉じた。
「肩書きが強すぎます」
「元は高名な科学者だったの。病気で死が迫っていたところを、脳だけを摘出し、培養液の入った透明な金属ケースに収められた」
「透明ケースに脳」
「視覚センサーや聴覚装置、発声装置も備えている。つまり、身体はないけれど、見たり、聞いたり、話したりできる」
「脳だけなのにチームメンバーなんですか?」
「そう。むしろ知性担当ね」
「戦闘では?」
「基本的には分析や助言。ただ、シリーズが進むと移動装置や磁力牽引ビームのような機能も加わっていく」
「脳だけなのにアップデートされるんですね」
「SFだからね」
「でも、グラッグとオットーは脳移植なんですか?」
「そこは大事。グラッグもオットーも、誰かの生身の脳を移した存在ではないの」
「違うんですか」
「グラッグは人工頭脳を持つロボット。オットーは人間そっくりの人工生命、アンドロイド。つまり、サイモン・ライトだけが“生身の脳を保存された存在”なの」
ミライはノートに書いた。
サイモン・ライト=生きている脳。
グラッグ=人工頭脳ロボット。
オットー=人工生命アンドロイド。
「なんか、図書館でいうと」
「どういう例えになる?」
「サイモンは古い名著を特殊ケースに保存してる感じですか?」
「いい例えね。グラッグとオットーは、新しく作られた本」
「サイモンは原本保存」
「そう。しかも、ただ保存されているだけではなく、まだ読まれ、話し、考え続けている原本」
ミライは少し黙った。
「身体はないけど、人格と知性は残っている」
「そうね」
「それって、けっこうすごい設定ですね」
「そして、怖い設定でもあるわ」
「怖い?」
「もし脳だけで生き続けられるなら、それは救いなのか。それとも終わりのない孤独なのか」
ミライは透明なケースの中の脳を想像した。
図書館の夕日が少しだけ冷たく見えた。
この章のまとめ
サイモン・ライトは、キャプテン・フューチャーに登場する「生きている脳」である。
グラッグやオットーとは異なり、彼は生身の脳を保存された元人間であり、知性と人格を保ったままチームの顧問として活躍する。
ここには、「身体を失っても人格は残るのか」というSF的な問いがある。
第2章 本郷猛はなぜ「脳だけ」になったのか
「次は仮面ライダーね」
恵子は石ノ森章太郎の漫画を手に取った。
「テレビ版の仮面ライダーは知っています。変身して、バイクに乗って、怪人と戦う」
「そうね。でも原作漫画は、かなり暗い」
「暗い?」
「かなり」
「どれくらい?」
「夕方の図書館で読むと、ちょっと心が沈むくらい」
「それ、今じゃないですか」
恵子はページをめくる。
「本郷猛は、ショッカーによってバッタ型の改造人間にされる。ここまではよく知られているわね」
「はい」
「重要なのは、改造には二段階あること。肉体改造と脳改造」
「肉体改造は、強い身体にする」
「そう。脳改造は、ショッカーに忠誠を誓わせるための洗脳」
「つまり、本郷猛は身体は改造されたけど、心は改造されなかった」
「その通り。脳改造の直前に脱出したから、人間の心を保ったの」
ミライはノートに大きく書いた。
脳=人格の座。
「ここが後の展開につながるのね」
「どういうことですか?」
「物語の中盤で、本郷猛はショッカーライダーたちに倒される」
「えっ」
「肉体は破壊される。でも脳死には至らない」
「ちょっと待ってください。テレビ版よりかなり重いですね」
「原作漫画は、改造人間の悲劇性が強いの」
「それで?」
「一文字隼人によって、本郷の脳髄は研究所に保存される。培養液の中で、脳だけが生き続けるの」
ミライは固まった。
「本郷猛も、脳だけに……」
「そう」
「仮面ライダーなのに」
「仮面ライダーだからこそ、かもしれないわね」
「どういう意味ですか」
「本郷猛は、もともと“人間でありながら人間ではなくなった存在”でしょう。改造人間という設定そのものが、人間性の境界を問うものなの」
「身体は変わった。でも心は人間」
「そう。その極限が、脳だけになっても本郷猛は本郷猛なのか、という問いなの」
「しかも、一文字隼人と脳波で交信する」
「ええ。助言を与え、感覚を共有する。肉体はないけれど、意志は残っている」
ミライはしばらく黙ってから言った。
「それ、ヒーローというより、ほとんど幽霊ですね」
「でも幽霊ではない。脳は物質としてそこにある」
「そこが怖い」
「そして終盤、本郷の脳は機械の身体、ロボットボディに移植される」
「復活するんですか」
「ええ。再び戦いの場に立つ」
「燃える展開なのに、切ないですね」
「そう。石ノ森作品では、機械化は単なるパワーアップではないの。力を得ることは、何かを失うことでもある」
「改造人間の苦悩」
「そう」
「強くなったけど、人間の身体ではなくなった」
「そして、脳だけになってもなお、正義の意志は残り続ける」
ミライは小さく息を吐いた。
「仮面ライダーって、こんなに重かったんですね」
「だから長く残ったのかもしれないわ」
この章のまとめ
原作漫画『仮面ライダー』では、本郷猛は肉体改造を受けたが、脳改造の直前に脱出したため人間の心を保つ。
物語中盤で肉体を失った後も、脳髄だけが保存され、一文字隼人と交信し続ける。
終盤では機械の身体に脳を移植され、再び戦う。
ここには「脳が人格の連続性を支える」という強い前提がある。
第3章 サイモン・ライトと本郷猛を比べる
「では、比べてみましょう」
恵子はホワイトボードを引き寄せた。
「図書館にホワイトボードが常備されているの、便利ですね」
「司書教諭の戦闘装備よ」
「戦闘するんですか」
「資料と」
恵子は書いた。
サイモン・ライト
本郷猛
「まず、脳だけになった理由」
「サイモンは病気を避けるため」
「そう。死を回避するために、脳だけを保存された」
「本郷猛は戦闘で肉体を失ったから」
「そう。事故的、悲劇的ね」
恵子は次に書いた。
保存方法。
「どちらも培養液の中の脳というイメージがあるわ」
「見た目はかなり近い」
「ただしサイモンは透明金属ケースに視聴覚センサーや発声装置がある。つまり、脳だけでも会話できる」
「本郷猛は?」
「当初は研究所のカプセル内で、主に一文字隼人と脳波でつながる」
「サイモンは外向き、本郷は内向きですね」
「いい整理ね」
次に、身体の有無。
「サイモンは基本的に“生きている脳”のまま活動する」
「本郷は最終的に機械の身体を得る」
「そう。ここは大きな違い」
ミライは少し考えた。
「サイモンは、脳だけであることがキャラクターの個性」
「うん」
「本郷は、脳だけになったことが悲劇で、機械の身体への復活がドラマ」
「その通り」
恵子はうなずいた。
「仲間との関係も違う。サイモンはフューチャーメンの顧問で、父性的な存在。カーティスを見守る知性の象徴」
「本郷は一文字隼人に意志をつなぐ」
「そう。後継者との継承関係が強い」
「同じ培養液の脳でも、片方は頼れる博士、片方は悲劇のヒーローなんですね」
「そう。設定は似ていても、作品が問いかけるものが違うの」
「サイモンは、身体がなくても知性は生きる」
「本郷は、身体を失っても正義の心は生きる」
「おお」
「どうしたの?」
「今の、帯に書けます」
「やめなさい」
「noteの見出しには?」
「少しなら」
二人は笑った。
この章のまとめ
サイモン・ライトと本郷猛は、どちらも「脳だけで生きる」存在だが、意味は異なる。
サイモンは知性と冒険の象徴であり、本郷猛は喪失と復活、正義の継承の象徴である。
同じモチーフでも、作品のトーンによってまったく違う問いが生まれる。
第4章 これは影響なのか、それとも時代の共有モチーフなのか
ミライは腕を組んだ。
「ここで聞きたいことがあります」
「どうぞ」
「じゃあ、仮面ライダーはキャプテン・フューチャーのパクリなんですか?」
恵子は即答した。
「その言い方は雑すぎるわね」
「すみません」
「でも、読者が気になるところではあるわ」
恵子は丁寧に説明を始めた。
「キャプテン・フューチャーの原作は1940年代から50年代にかけてのアメリカのパルプSF。日本語訳は1960年代後半から読めるようになった」
「仮面ライダーの原作漫画は1971年」
「そう。時期としては、石ノ森章太郎がキャプテン・フューチャーを知っていてもおかしくない」
「むしろ可能性は高い?」
「石ノ森章太郎は、ハヤカワSFシリーズなど欧米SFを熱心に読んでいたとされるから、サイモン・ライトのようなキャラクターを知っていた可能性は高いと考えられる」
「じゃあ影響あり?」
「ここが大事。知っていた可能性が高いことと、直接モデルにしたと断定することは別なの」
ミライはノートに書いた。
知っていた可能性
直接モデルにした証拠
これは別。
「なるほど」
「もし本人の発言や制作メモで、“サイモン・ライトを参考にした”と確認できれば、直接影響と言える。でも、そうした一次資料がない場合は、慎重に言う必要がある」
「じゃあどう言えばいいですか?」
「“サイモン・ライトは強い影響候補である”」
「おお」
「または、“同時代SFに広く共有されていた脳だけ生存モチーフを、石ノ森が独自に再構成した”」
「長いけど正確」
「批評では正確さが大事なの」
「でも、影響って何なんでしょうね」
「いい質問ね」
恵子はホワイトボードに四つの言葉を書いた。
影響
参照
共有された想像力
再構成
「影響は、ある作品が別の作品に何らかの刺激を与えること」
「参照は、意識的に元ネタとして使うこと?」
「そう。共有された想像力は、同じ時代に多くの作家が似たテーマを考えていた状態」
「再構成は?」
「既存のモチーフを、自分の作品のテーマに合わせて作り直すこと」
ミライはうなずいた。
「本郷猛の脳移植は、サイモン・ライトと似ている」
「ええ」
「でも、仮面ライダーでは改造人間の苦悩や正義の継承に使われている」
「そう」
「だから、単なる借り物ではない」
「その通り」
ミライは満足そうに言った。
「つまり、SFのアイデアは図書館の本みたいなものですね」
「どういうこと?」
「同じ本を読んでも、人によって書くレポートが違う」
恵子は少し笑った。
「いいまとめね」
この章のまとめ
キャプテン・フューチャーから仮面ライダーへの直接影響は、断定できない。
しかし、時期や石ノ森章太郎のSF読書歴を考えると、サイモン・ライトが強い影響候補であることは考えられる。
重要なのは、似た設定を単純に「元ネタ」と決めつけるのではなく、時代の共有モチーフと作家独自の再構成として見ることである。
第5章 脳だけ生存モチーフの源流
「そもそも、脳だけで生きる話って、どこから来たんですか?」
ミライが聞いた。
「かなり古い水脈があるわ」
「水脈」
「まずはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』」
「怪物を作る話ですね」
「そう。厳密には脳だけ生存ではないけれど、死体や身体部位を科学で再構成し、生命を作るという発想の原点に近い」
「生命を科学でいじる」
「ええ。そこから、身体、臓器、脳、人格を操作する物語が広がっていく」
恵子は次に言った。
「次に重要なのが、カート・シオドマクの『ドノヴァンの脳髄』」
「タイトルからして脳ですね」
「億万長者ドノヴァンの脳を摘出し、培養液の中で生かす話。ガラス容器に浮かぶ脳というイメージの代表的な古典ね」
「怖そう」
「かなりホラー寄り。サイモン・ライトのような頼れる顧問とは違って、脳そのものが不気味な存在として描かれる」
「同じ脳でも、味方か敵かで印象が違う」
「そう」
「ほかには?」
「E・E・スミスの『レンズマン』シリーズには、肉体を超えた知性や思考だけの存在に近いイメージが出てくる。スペースオペラ全体に、肉体を超えた精神という発想が広がっていた」
「宇宙規模になると、身体が邪魔になるんですかね」
「それは言いすぎだけど、SFではよくある発想ね」
「日本では?」
「手塚治虫の影響は大きいわ。『地底国の怪人』などには、頭部や脳への外科的介入によって知能や身体を変える発想が見られる」
「手塚先生から石ノ森先生へ」
「石ノ森章太郎は手塚治虫を深く尊敬していたし、子ども時代から日本SFや漫画表現に親しんでいた。さらに自身の『サイボーグ009』でも、改造人間、洗脳、組織からの脱出、肉体と心の問題を繰り返し描いている」
「つまり、脳だけSF界隈って、けっこう混雑してるんですね」
恵子は笑った。
「混雑というより、巨大な地下水脈ね」
「地下水脈」
「フランケンシュタイン、ドノヴァンの脳髄、キャプテン・フューチャー、レンズマン、手塚治虫、サイボーグ009、仮面ライダー。いろいろな作品が、“人間は身体なのか、脳なのか、心なのか”という問いを少しずつ形を変えて描いてきたの」
「そう考えると、仮面ライダーってSF史の中にもいるんですね」
「ええ。特撮ヒーローであり、SFの子どもでもある」
「かっこいい」
「でしょ」
この章のまとめ
「脳だけで生きる」「身体を再構成する」「人工生命を作る」というモチーフは、フランケンシュタイン以来の長いSF的伝統に連なる。
『ドノヴァンの脳髄』は培養液の中の脳という視覚イメージを広め、『キャプテン・フューチャー』はそれを冒険活劇の知性として描いた。
石ノ森章太郎の作品は、こうした水脈を受けながら、改造人間の悲劇として独自に展開した。
第6章 脳だけなら永遠に生きられるのか
ミライは自分の頭を両手で押さえた。
「つまり、脳だけ残せば、永遠に生きられるんですか?」
「現実には、そう簡単ではないわ」
「やっぱり」
「まず、脳も臓器なの」
「脳って、なんとなく特別扱いしてました」
「もちろん特別ではある。でも、酸素が必要。栄養が必要。血流が必要。老廃物の処理も必要」
「つまり、脳だけになっても、お世話は大変」
「そう。脳はただの情報装置ではなく、生きた組織だから」
「クラウド保存とは違うんですね」
「まったく違うわ」
「脳だけなら、老眼も腰痛もなくなりますね」
「でも、夕焼けのまぶしさや、温かいお茶の感じもなくなるかもしれない」
ミライは黙った。
図書館の窓の外では、夕日が校庭を染めていた。
「身体がないと、夕焼けも感じにくい」
「目の代わりにセンサーがあれば映像情報は入るかもしれない。でも、それを“まぶしい”と感じることは、身体の反応と結びついている」
「お茶の温かさも」
「触覚、温度感覚、匂い、胃がほっとする感じ。そういうもの全部が、経験を作っている」
「じゃあ、記憶や人格は脳だけで完結しない?」
「そこは難しいわ。脳が中心であることは確か。でも、私たちの人格は身体感覚や環境との相互作用の中で作られている」
「身体込みの私」
「そう」
「脳だけになったら、私はまだ私なんでしょうか」
「記憶が続いていれば、本人だと感じるかもしれない。でも、身体が変われば、世界の感じ方も変わる。すると、少しずつ“私”のあり方も変わっていくかもしれない」
ミライは考え込んだ。
「脳だけになったら、肩こりはなくなるかもしれない」
「うん」
「でも、肩をもんでもらう幸せもなくなる」
「そういうことね」
「それは……損かも」
「永遠の命は、単に長く生きることではないの。どう感じ、誰と関わり、何を経験するかが大事になる」
「脳だけで千年生きても、退屈だったらつらいですね」
「図書館に千年分の本があれば?」
「それは少し揺らぎます」
「揺らぐのね」
この章のまとめ
現実の脳は臓器であり、酸素や栄養、血流、老廃物処理が必要である。
また、人格や記憶は脳に深く関わるが、身体感覚や環境との関係も「私」を形作っている。
脳だけで生きることは、命の延長であると同時に、身体を通じた経験の喪失でもある。
第7章 機械の身体を得たら、人間かロボットか
「では、もし脳を機械の身体に移したら?」
ミライが聞いた。
「本郷猛の終盤の状態ね」
「ロボットボディに脳を移植して復活」
「ええ」
「それは人間ですか? ロボットですか?」
「難しい問いね」
「サイボーグ?」
「一般には、生体部分と機械部分が組み合わさった存在をサイボーグと呼ぶことが多い。脳が生身で、身体が機械なら、サイボーグ的な存在と言える」
「でも見た目が完全に機械ならロボットっぽい」
「そこが境界の面白いところ」
ミライは首をかしげた。
「脳が同じなら本人?」
「たぶん、多くの人はそう考えたくなる。でも身体が変わると、世界の感じ方も変わるの」
「さっきの話ですね」
「たとえば、機械の身体になって痛みを感じないとする」
「便利そう」
「でも痛みは危険を知らせる信号でもある」
「痛みがないと壊れても気づかない」
「そう。さらに、筋肉の疲労、心臓の鼓動、呼吸の苦しさ、空腹、眠気。そういう身体感覚がなくなったとき、感情も同じままでいられるかしら」
「たしかに、空腹だと怒りっぽくなります」
「それはとても身体的な感情ね」
「じゃあ、身体を変えると性格も変わる?」
「可能性はある。少なくとも、経験の仕方は変わる」
「記憶が同じでも?」
「記憶が同じでも、新しい身体で積み重ねる経験が違えば、少しずつ変わっていく」
「じゃあコピー問題は?」
「来たわね」
「脳の情報を全部コピーして、別の機械に入れたら、それは本人ですか?」
「本人と同じ記憶を持つ存在ではある。でも、元の本人が残っているなら、二人は別々の経験を始める」
「つまり、コピーは本人っぽいけど、本人そのものとは限らない」
「そう考える人は多いわ」
「本郷猛の場合は、脳そのものが移植されているから、連続性が強い」
「そう。記憶情報のコピーではなく、脳という物理的な本人の一部が続いている」
「そこが復活感につながるんですね」
「ええ。本郷猛の脳がそのまま機械の身体に移るから、読者は“本郷が戻ってきた”と感じられる」
「でも、完全に元通りではない」
「そこが切ないの」
ミライは小さくうなずいた。
「復活だけど、喪失もある」
「石ノ森作品らしいわね」
この章のまとめ
脳を機械の身体に移せば、人格の連続性は保たれるように見える。
しかし、身体が変われば、感覚、経験、感情のあり方も変わる。
記憶が同じでも、身体と経験が変われば、「私」は少しずつ変化していく。
本郷猛の復活は、勝利であると同時に、喪失を抱えた復活である。
第8章 石ノ森章太郎が描いたもの
「ここまで考えると」
ミライは本を閉じた。
「石ノ森章太郎は、ただショッキングな設定を入れたわけじゃないんですね」
「そう思うわ」
恵子は静かに言った。
「本郷猛が脳だけになる展開は、単なるSFガジェットではないの」
「ガジェット?」
「便利な道具や仕掛けという意味ね。脳移植、培養液、ロボットボディ。そういうものはSF的には派手な設定。でも、石ノ森作品では、それが人間性を問うために使われている」
「改造人間の苦悩」
「そう。仮面ライダーは強い。でも、その強さは本人が望んだものではない。拉致され、改造され、人間の身体を失った結果として得た力」
「力はあるけど、傷もある」
「ええ」
「本郷猛は、肉体を失っても正義の心を保つ」
「そして一文字隼人に意志をつなぐ」
「正義の継承」
「そう。仮面ライダーは一人のヒーローであると同時に、意志を受け継ぐ物語でもある」
ミライはノートに書いた。
機械化=パワーアップ
でも同時に
機械化=喪失
「これは『サイボーグ009』にもつながりますか?」
「つながるわ。拉致され、改造され、組織から逃れ、人間としての心を持ちながら戦う。石ノ森作品には、そうした構造が何度も出てくる」
「『人造人間キカイダー』も?」
「人間と機械、善と悪、心の不完全さを問う作品ね」
「石ノ森先生、ずっと“人間とは何か”を描いていたんですね」
「そう言えると思う」
「キャプテン・フューチャーやドノヴァンの脳髄みたいなSFの水脈を受けながら」
「うん」
「でも、仮面ライダーでは、それを“正義の心”の話にした」
「いい整理ね」
ミライは少し照れた。
「脳だけでも、心は残る」
「でも、身体を失う痛みも残る」
「強くなることは、失うことでもある」
「そして、それでも戦う」
二人はしばらく黙った。
夕日がさらに低くなり、図書館の床に長い影を落としていた。
「ヒーローって、明るいだけじゃないんですね」
「本当に長く残るヒーローは、影を持っているのかもしれないわ」
この章のまとめ
本郷猛の脳移植設定は、単なるSF的な仕掛けではない。
それは、改造人間の苦悩、人間性の連続と断絶、正義の心の継承を描くための装置である。
石ノ森章太郎は、欧米SFや手塚治虫から続くモチーフを、自身のテーマに合わせて再構成したと考えられる。
終章 今日の結論
図書館の閉館時刻が近づいていた。
ミライは机の上に並んだ本を見た。
『キャプテン・フューチャー』。
『仮面ライダー』。
古いSF。
古い漫画。
けれど、そこに書かれている問いは、少しも古びていなかった。
「恵子先生」
「なに?」
「脳だけになれば、永遠に生きられるかもしれない」
「うん」
「でも、身体がなかったら、夕焼けも、お茶も、肩こりも、図書館の匂いも、全部変わっちゃう」
「そうね」
「機械の身体をもらっても、元通りとは限らない」
「うん」
「記憶があっても、身体が変われば、世界の感じ方も変わる」
「その通り」
ミライは指を一本立てた。
「つまり今日の結論は」
「どうぞ」
「脳だけになれば、命は延びるかもしれない」
「うん」
「でも」
「うん」
「それだけで幸せとは限らない」
「そうね」
「身体があって」
「うん」
「記憶があって」
「うん」
「人との関係があって」
「うん」
「その全部で、私になる」
恵子は微笑んだ。
「だからSFは面白いの」
「未来の話なのに?」
「未来の話をしながら、今の私たちを考える物語だから」
ミライは本を閉じた。
「脳だけになっても、図書館には来たいです」
「その場合、貸出カードはどこに入れるのかしらね」
「透明ケースの横にカードポケットを貼ります」
「分類ラベルも?」
「もちろんです」
「件名は?」
「脳、SF、永遠の命、あと肩こり」
「最後だけ医学書架に行きそうね」
二人は笑った。
夕暮れの学校図書館に、古いSFのページをめくる音が残った。
そして、ミライは思った。
身体があるから、本を手に取れる。
目があるから、文字を追える。
指があるから、ページをめくれる。
誰かが隣にいるから、問いを言葉にできる。
脳だけではない。
身体だけでもない。
記憶だけでもない。
その全部が重なって、私は私になる。
SFは、遠い未来の話をしているようで、いつも今の人間を見つめている。
だからきっと、古い本はまだ読まれる。
そして放課後の学校図書館では、明日もまた、誰かが不思議な問いを持ってくる。
「恵子先生」
「今度はなに?」
「もし心だけ電子化されたら、延滞本の督促は届きますか?」
「届くわ」
「即答!」
「図書館は、魂にも厳しいの」
ミライは笑いながら、返却カウンターへ本を運んだ。
【書籍情報】
「このリンクはAmazonアソシエイトを利用しています」
タイトル: 『仮面ライダー』(全3巻・石ノ森章太郎デジタル大全/電子版)
著者: 石ノ森章太郎
出版社: 講談社
レーベル: 石ノ森章太郎デジタル大全
巻数: 全3巻
本書の概要
1971年に石ノ森章太郎が発表した『仮面ライダー』原作漫画。
テレビシリーズの原案となった作品ですが、内容はテレビ版よりもはるかにシリアスで、「改造人間とは何か」「人間の心とは何か」というテーマが物語の中心に据えられています。
物語では、本郷猛はショッカーによって肉体を改造されながらも、脳改造(洗脳)の直前に脱出したことで、人間としての心を守り抜きます。
さらに物語中盤では肉体を失い、脳だけが保存されるという衝撃的な展開を迎えます。そして終盤には、その脳を機械の身体へ移植して再び戦うという、SF史の中でも印象的な設定が描かれています。
