「歩く習慣」が後半の人生を決める!編集後記③『歩くという哲学』
『歩くという哲学』フレデリック・グロ(山と溪谷社)を読んで、『「歩く習慣」が後半の人生を決める!』で私がやりたかったのはこれだと思った。
歩くことは生きること
歩くことは、スポーツではない。
(中略)
足を交互に出してゆくだけの、子供の遊びだ。結果もスコアも関係ない。
冒頭がこうだ。私も当初から「歩くこととウォーキングは違う」という命題を掲げていた。歩幅は身長の何%、腕は肘を直角に曲げ後ろに振る、速度は…といったウォーキング理論が溢れているが、歩くというのはもっと原始的なことじゃないか。私たちは、赤ちゃんが立ち上がって一歩歩いたその日から、誰に教わることなく日常的に歩いている。体のクセがあるように歩き方にも個性があって、それを矯正する必要があるのだろうか。
『歩くという哲学』は、そこに直接的な答えはないものの、偉人たちの歩行と思索(小説、詩、哲学)について考察していく。ランボー、ワーズワース、プルースト、ソクラテス、プラトン、ニーチェ、ルソー、ソロー、ガンジー、キング牧師…。彼らの歩き方は、時に孤独で、時に破滅的で、時に自由で、時に禁欲的で、時に政治的で、つまり生き方そのものだということが見えてくる。
偉人たちの歩き方、生き方については本を読んでいただくとして、それ以外で私が感動した3箇所を挙げてみたい。
一定のペースで歩く
まず、著者の体験を記した「遅さ」という章には、こんな一節がある。
わたしたちが細くて急な道を登り始めて数分経過した頃だったろうか。背後から何かにあおられるような感じを覚えた。若者のグループが足音を大きく立てて、すぐ後ろに自分たちが来ていること、わたしたちを追い越したいのだという意志を示していた。わたしたちが端にのいて道をあけてやると、がやがやとした一行は得意そうに微笑みながら、礼を言って去っていった。マテオがわたしに言った。「おやおや、あんなに急ぎたがるのは、よっぽど到達できる自信がないんだな」
山歩きに自信がある人は、必ずゆっくりと登ってゆく。速さの対極にあるゆっくりではない。ただ、ペースが一定で、均一であるということだ。
山歩きをする人には常識でもある「ゆっくり登る」ということ。今回取材した、市毛良枝さんも佐々木俊尚さんも言っていた。実際、佐々木さんの歩くスピードは見事にペースが一定で均一で(あまり休まず)、だから疲れないんだと感動したものだ。そんな経験もあって、ゆっくりというのが速さの対極にあるものではないという表現に妙に納得できた。
人生もそうなのかもしれない。体力に任せて駆け上がったり、疲れ果てて座り込んだり、私はどちらかというとムラばかり。一定のペースでコツコツ歩くほうが結局は楽に上まで行けるのだろう。自分のペース、それを習慣というのかもしれない。
歩くことはクリエイティブ
『歩くという哲学』のamazonの紹介に「歩くことは、もっともクリエイティブな行為」と書かれている。
歩くことによって、人はむしろ、アイデンティティという概念そのものから抜け出すことができる。なにものかでありたいと思う気持ちや、名前や歴史を持ちたちと思う気持ちそのものから解放される。
これも今回の取材で多く聞かれた声だ。佐々木さんは月に一度の山行が脳疲労を回復する習慣になっているというし、江面旨美さんはバッグづくりに煮詰まると外に出て歩いて気分転換をする。
スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグなど歩きながら考えをまとめる著名人も多いけれど、クリエイティブな発想を必要としない仕事なんてないと思う。歩いてみて、アイデンティティという概念から解放された時に自分に何が浮かぶのか試してみない理由はない。
フランス語の「歩く」
こういった開放感は、ルームランナーではなく少なくとも外気、できれば自然豊かな場所のほうが容易に味わえる。究極は、山歩きになるのだろうか。海ではなく山な気がする。歩くことはスポーツではないし、登山はスポーツだけど、歩くことと山歩きはとても地続きな気がずっとしていた。訳者あとがきを読んだ時は、やっぱり!と思った。
本書のタイトルであるmarcher(歩く)というフランス語の動詞は、単独でも「山を歩く」という意味を持つことがある。「山歩きをする」という意味で、ただ「歩くことをする(faire de la marche)」と言うことがあるし、よく山に行く人は「歩く人(marcheur)」と呼ばれる。したがって、本書の序章のタイトルであり、巻頭文でもある「歩くことは、スポーツではない」という一文は、「山を歩くことは、スポーツではない」と訳してもよいのだ。
フランス語、いいな、さすが。「歩く」と「山を歩く」が同じ言葉だというの、なんかわかる。すごくわかる。
まとめ
『歩くという哲学』は面白かった。偉人たちひとりひとりの生き方が繋がって「私も歩こう」という気持ちになる。偉人たちがそれぞれ何をした人かバックボーンの知識があれば、さらに興味深く読めるだろう。
でも、わざわざソクラテスやニーチェを引っ張り出さなくても、いまこの日本で元気に歩いている先輩がたの話のほうがずっと親近感がある。『「歩く習慣」が後半の人生を決める!』で取材したかたがた10名の話には、歩く習慣をつけるためのヒントがたくさんあるし、歩き方、生き方、それこそ哲学的に、いろいろ考えさせられる。
『「歩く習慣」が後半の人生を決める!』は、『歩くという哲学』の日本版!現代版!ビジュアル版!ぜひ手にとってみてください。

