短編『欲しがりさん』 下
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半月ほどが経った。
少し前から、マサキの様子がおかしい。私といる時、頻繁にため息をする。彼の笑顔は最近は殆ど見ていない。講義の時も、今までは隣に座っていたのに、講義にもっと集中したいだのなんだので、一人で前の方に座るようになってしまった。明らかに距離を置かれている。
ユキトも、急によそよそしくなった。私の事を避け出すし、メッセージの返事も遅くなった。会った時の反応もぎこちないなと思ったら、急にぬいぐるみのキーホルダーをプレゼントして、とにかく挙動不審だ。
私は日に日に募る不安に擦り潰されそうだった。
なくなる。私の居場所が。私の全てが。それも両方とも。
何かあるに違いない。
しかし、ユキトは私を避けているが、この程度の事は過去に二回ほどあった。いずれも、私に内緒でアダルトビデオを買ったとか、その程度のしょうもない理由だった。今回もきっとそうだろう。
それよりもマサキだ。彼の距離の置き方は顕著だ。真面目な彼なら、多少の粗相は正直に私に言うに違いない。
絶対に何かを隠している。それも私に言えないような事を。
問い詰めるしかない。
ラーメン屋の裏手はその雑多で無機質な外観に反して、茹る麺の甘めの匂いで満ちている。いつも店でこの匂いを嗅ぐと気持ちが安らぐが、今はそれが鬱陶しくてしょうがなかった。
私はいつものように大学で彼と別れた後、彼の後を尾行して、バイト先を突き止めた。彼に見つからないように裏手に回って、彼のシフトが終わるまで身を潜めて出待ちしていた。
そろそろだ。
店の中から終業の挨拶が聞こえる。店の玄関から店員がばらけて出てきた。
……いた。
「マサキ!」
彼は驚いたのも束の間、何か言う間もなく店の裏手に連れ込まれた。
「ねぇマサキ、私に何か隠してるでしょ?」
「ちょっと待ってよ、なんでここに─────」
「答えてよ!私に言えないような事を隠してるんでしょ!?マサキ最近すっごく私に冷たいよね?もしかして浮気?浮気してるの?私はマサキの事こんなに愛してるのに!?」
「ちょっとサツキ、何の話をしているの?」
「とぼけないで!じゃあなんであんなに私と距離を置こうとするの?私とっても悲しくて寂しくてさ!マサキは私の事好きじゃないの!?」
「いや、それは……………ん?」
「よそ見しないで!」
「…あれっ先輩?今日シフトじゃないっすよね?」
「今は私と話して─────」
振り返ると、信じられないものを見た。
「もう店終わっちゃいましたよ」
「ユキト先輩」
なんで?
*
病院の帰りだった。あの日、起きたら突如として股間が痛くなり、ありえないところから膿が出てきたため、急遽バイトを休んで病院へ行った。所謂性病というものだった。
感染源は誰だろう?俺はここ数ヶ月は彼女以外の女性と行為はおろか接近すらしていない。ともすると感染源は彼女だ。彼女は誰から…?俺以外と行為に及んだ相手がいるのか……?いや、そんな事はありえないが……。
俺は悶々とした気持ちと共に、見慣れない住宅街の中を歩いて帰っていた。
二つ目の角を曲がろうとした時、曲がった先で信じられないものを見た。
「え……サツキ…?」
反射的に角に身を隠した。俺の恋人のサツキのように見えた。サツキのような人が知らないアパートの部屋を開けている。一瞬こちらを見られたような気がしたが、近付いて来る気配はない。
俺は恐る恐る角から顔を出した。アパートの前には誰もいなかった。
見間違いだよな……。
その日は足早に家路を急いだ。
忘れられない。あの光景が脳裏に焼き付いている。
あれは確かにサツキだった。あのアパートは何だ?今までサツキから聞いた事がない。親戚の家か?そんな話をしていたか?分からない。
こんな事で狼狽えるなんて俺は本当に小さい男だと思う。
でも、
あれがもし男の家だったら…?手に持ってた袋の中身がゴムだったら…?サツキがもう俺に愛想を尽かしていたら……?
嫌な妄想ばかりが膨らんで、どんどん疑心暗鬼になる。
確かめるしかない。
恋人にこんな事をするのは絶対ダメだって分かってる。こんな事をする俺は最低だって分かってる。
けど、このままだと俺はサツキを正面から愛せない。
これはサツキの潔白を証明するだけだから。だから─────
*
─────抜かった。
ユキトにもらったぬいぐるみのキーホルダー。
まさかずっと、ずーっとこれで居場所が監視されてたなんて。
酷い。
「私ユキトの事信じてたのに」
「俺だってサツキの事信じてたんだよ」
ユキトは天を仰いだ。
「けどもう無理みたいだ」
待って。
「俺はしっかりサツキの事愛せてたと思うんだけどな」
そうだよ。ユキトの愛はちゃんと伝わってたよ。
「どこで間違えたんだろうな」
何も間違えてないよ。『誰も』間違えてないんだよ。
「ごめんな。サツキ」
なんで謝るの?なんで?
「さよなら」
なんで?
なんで?なんで?なんで?分かんない。なんで?なんで?なんで?行かないで。行かないで。お願い。行かないで。なんで?なんで?なんで?行かないで。お願い。分かんない。分かんない。分かんない。分かんない。分かんない。なんで?行かないで。行かないで。行かないで。行かないで。行かないで。行かないで。行かないで。お願い─────
「行かないで…」
私の声は大きな暗い空に吸い込まれた。ユキトは何も言わずに去っていく。追いかけようとしたが、上手く歩けない。千鳥足になって転んでしまった。
あぁ……。
すると、誰かが手を差し伸べてくれた。
マサキだ。
そうだ。まだマサキがいる。マサキさえいてくれれば私は─────
「大丈夫?」
私はマサキの手を借りて起き上がった。
「ありがとう。あのね、私ね─────」
「サツキ」
マサキの声が重く響いた。
「ごめんね」
彼はいつもの優しい声色のまま言った。
「もう二度と会いたくないや」
綺麗だ。
眼下にある夜の街は私と対照的だった。
やっぱり屋上は風が強いな。
この風が今までの事を全部吹き飛ばしてくれたら良いのに。
私って何だろう。
良くないって分かっていたのに。ずっとずーっと分かっていたのに。
抗えなかった。欲望に。
私は端っこに向かって歩き出した。
足りなかった。一人分の愛じゃ。
選べなかった。どちらを愛するか。
そのために、二人に嘘を吐いてしまった。愛する人に吐く、醜い嘘。
そして、二人とも傷つけた。本当に、本当に大好きだったのに。
全部台無しになっちゃったけど、あの時、あの瞬間だけは本当に幸せだった。二人からありったけの愛を注がれて、罪悪感が紛れて、私は満ち足りていた。
私を満たしてくれる人はもういない。
私はフェンスの向こう側に立った。
私はただ欲しかったんだ。二人とも。二人の愛が。二人の身体が。二人自身が。
私って何だろう。
私って─────
「ふふっ…欲しがりさんだね」
もうすぐ眠れそうだ。 〼
こちらの企画に参加しました。主要キャラが増えると、書き分けも大変になって、最初の方は些か書きづらかったです。けど、初めて長めのお話が書けて、とても楽しかったです。
サツキは何かあった未来の私なんだろうなって書きながら思いました。
