【短編小説】そのフォルマントを
「まー、ホー、まー、ホー、まー、ホー、まーーー」
「まっ・ホッ・まっ・ホッ・まっ・ホッ・まっ・ホッ・まーーーー」
「まホまホまホまホまホまホまホまホまーーー」
「まあああおおひぃぃぃいいいいよホヲホヲホヲホヲホヲホーーーーーーー」
「ヨヲヲをぉーーれぃひイひイひいひいhi-eeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee」
地声と裏声を完全分離させた状態で交互に発声をおこない、音階を上昇させるとともに、切替のスピードも上げていく。声区の境が分からないくらい切れ目のない状態までスピードを上げたら、やがてそれを滑らかな一本の「音」に変えていく。途中でヨーデル発声を交えながら音量を増幅し、濁りや擦れを起こさないギリギリのラインを見極めながら、最高音まで到達させる。
その音の塊を、眼下に広がる雲海と山嶺へと叩きつける。
「EEEEEEEEEEEEaAHHHHHHHHHHHHHHaaaaaAAYYYYYYyyyyyy!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
私が決して大きいとは言えない身を震わせ、全身から氣を発するが如く発声したその「音」は、背後の森の野鳥を一羽残らず羽搏かせ、かろうじて大樹にしがみついてた赤茶けた最期の一葉どもを粉々の塵に変え大地に還らせる。ミミズは地震と勘違い地中から這い出し、二つ先の山峰に群れる狼たちが、同胞を想いレクイエムのような遠吠えを返してくる。
ここまで至るのに十年かかった。
しかし、まだ足りない。私の喉笛から鳴るこのか細い音ではまだ雲海を散らすことも、雪崩を起こすこともできない。
圧倒的共鳴! 超越的倍音! 人間の可聴域を超え、自然界すべての生者に届くフォルマント!
それを求めて山に篭もったのは、私が齢五十を迎えた頃のことだった。
※
幼い頃から私は歌が好きだった。合唱コンクールでは誰よりも大きな声で歌い、テレビやラジオから聴こえてくる曲は一度聴いただけで完璧な音程で歌うことができた。驚いた親に習わされたピアノは大して上達しなかったが、それでも芸大音楽科に現役入学できる程度の下手くそさで済んだ。
芸大では声楽やオペラを学んだが、私はポップスが好きだったのでバンドを組んだ。バンドはインディーズ界隈で少し話題になったが、ギターが私に恋愛感情を抱いたことをきっかけに関係に軋轢が生まれ、あっけなく解散した。ジャズ畑出身だったベースとドラムは別でバンドを組みメジャーデビューし、三年後に東京ドームでライブをしていた。
私は一人で歌うようになり、何度か音楽事務所の関係者に声をかけられ、CDを出せる話をもらったが、必ず条件が付いた。
・作曲はプロの作曲家に任せること
・顔出しをしないこと
初めのうちは自作曲で勝負したい気持ちがあったが、どの音楽関係者にも「詞が暗すぎる」「曲にパンチがない」「悪くないがポップス向きではない」と言われ続けたこともあり、最終的には条件を呑んでデビューした。
当時私はベリーショートだったのだが、長いウィッグをかぶらされ、まったく趣味でない服を着せられ、後ろ姿だけで撮られた写真が宣材に使われた。曲も好みではないラブソングだったが、デビューのためにあらゆる条件に従った。
シングル4枚、アルバム2枚。最高順位オリコン162位。
私のプロシンガー歴は丸三年で終わり、その後、私は事務所の紹介でアイドルグループのボイストレーナーになった。
しかし結局、一回り下の女の子たちを何度も泣かせてしまい、クビになった。シンガー時代のマネージャーに最後に言われた言葉は、「君のようには誰も歌えない。君の歌の才能は認めるが、君には人に教える才能が決定的に欠けている」というものだった。
音楽業界を離れ、ギリギリ二十代で事務職に就職し、結婚して退職し、数年で離婚して再就職した。歌は一人カラオケでしか歌わなくなった私は、そこでニコニコ動画に出会った。
「歌ってみた」
そのジャンルは私の心を再び奮い立たせた。
