人生のラストに、#朝鮮人強制労働の福島県を調べる?
重たい話ですが、 気の向くままに、書きました。
私の人生の残りは、少ない。
いつも、動作が遅い 私の愚鈍のせいもある。
楽しいこともやらないと、帳尻が合わない。
せめて、大学生くらいの年齢を越えて成長したなら、子供達に、オトナから語らなければならない。
わたしの生まれ育った地域では、朝鮮人の「ち」の ひと文字すら、誰も口にせず、匂わせもしなかった!
5年ほど前の、毎日新聞の記事をネットで見た驚きは、激しく 大きかった。
その時、私は すでに50才を越えていた。
関係はないが、、
かつて、西郷隆盛は、こう 評されたらしい。
龍馬について - 高知県立坂本龍馬記念館 HPより
元治元(1864)年8月中旬には勝の使者として西郷隆盛(さいごうたかもり)と面会した。『氷川清話』によると、龍馬は「なるほど西郷という奴はわからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口(りこう)なら大きな利口だろう」と勝に報告した。
私や、私と同世代の友人たちは、みんなで 周囲の大人達に感謝すべきなのか?。それとも恨み言のひとつも言うべきなのか?
誰ひとり、若い頃の私達に 語らなかった。 秘密を集団で、一致結束して、守り通したオトナたちの 見事な 固い思いと行動に。。
(まるで江戸時代の僻地の村のオキテのようだ。)
なぜ?、私達の世代をーー 息子たちや娘たちを信じ 語らなかったのか。
50才を越えて、はじめてネットで知り、衝撃を受け、ひたすら ずっとうろたえ続けている、この私なのだ!
後を継いでいく、世代の 「私達なりの」苦悩の道を、想像しなかったのか?
ヒントすら、与えなかった。
苦悩と行動に対する、デバイスも 伝授されていない!
◆◆
現在の韓国や北朝鮮の人々は、福島県やいわき市のわたしたちの町や村を どう?思うのか。 どのように 思ってきたのか?
そして、、、
いわき市周辺の日本人は 皆、
深夜、目を閉じる 睡眠の暗闇の布団の中で、地の底からの「声」を聴きながら生きてきたのである。
長年の間。。祖父から父、父から子へ
今もそうだ。。
そして、それは 日本語ではない!
怪しい呪文ではない!
JR常磐線にふたたび 乱暴に乗ってでも、ワタシは西へ帰りたい、帰りたい、
海を 渡り 帰りたい、と
願う、叫びの声だ。
深い地の底からの、声だ。
