♯216_考え_81年前の昨日
おはようございます。
虫の音が、静かに聞こえてきます。
81年前の昨日の広島市は、どんな朝を迎えていたのでしょうか。
おそらく、わたしが今住んでいる場所と同じように、虫の声や鳥の声が聞こえていたのかもしれません。
きっと、セミの声もたくさん響いていたことでしょう。
昨日は、原爆が広島に投下された日でした。
追悼行事がテレビで放映されたり、さまざまな場所で取り上げられているのを目にしました。
わたしは、その時間に黙祷をささげることはできませんでしたが、少し時間が経ってから、静かに祈りを捧げました。
わたしがこのnoteを書くようになったきっかけは、
ちょうど黙祷のあとに次のお客さままでの長い道のりがあり、
道中どうしようかと考えていたところ、朝日新聞が提供しているポッドキャストを聴くことにしたことでした。
そのとき「核といのち」と題して、
被爆者の方がご自身の体験をありのままに語られているインタビュー、というよりドキュメントのようなものが配信されていました。
それを聴かせていただきました。
2時間弱で、すべてを聴くことはできませんでしたが、
その語り口や、当時の様子を伝えることばが、とても分かりやすく、体験したことのないわたしにも、強く心に響いてきました。
お客さまへの道のりは一時間近くありましたが、正直、その時間は耳と目だけに意識が向いていて、
運転をしながらも、途中で涙が止まらなくなり、サングラスをかけていたものの、涙腺はすっかりゆるんでしまっていました。
その内容を聴き終えたあと、しばらく車を止めて、何も考えないまま、遠く離れたところへ、もう一度そっと黙祷を捧げました。
お話の内容は、一度聴いていただくと伝わるかと思いますが、
子を持つ親として、もし自分の子どもだったらどうしただろうか、今の親たちは、それだけの覚悟を持てているだろうか、と、いろいろと考えさせられました。
変わらない日常が、どれほど大切なことか。
戦争という行為が、いかに罪のない人々、とりわけ子どもたちの命を奪っていくものか。
核爆弾や核ということばは、日常では、つい軽く使われがちですが、その重みは計り知れないほど恐ろしく、その傷あとは、今もなお続いています。
わたしたちの今の暮らしのなかでは、その恐ろしさを、少しずつ忘れかけているのかもしれません。
かといって、そのことばかりを考えていては、人は恐ろしさと悲しみのなかだけで生きていくことになってしまいます。
人は、本来、そのために生きているわけではないと思います。
わたしは、こう思いました。
わたしには、三人の子どもたちがいます。
まず、わたしたち夫婦自身もそうですが、広島、長崎に投下された原爆について、正しく理解すること。
それは事実と現実です。
そして、それをきちんと子どもたちに伝えていくということです。
とくに、知的な面でも配慮が必要な3人の子どもたちを育てているわたしにとって、どうすればそれを伝えていけるかは、大きな課題です。
ことばだけではなく、体験を通して、実際に現地へ足を運び、五感で感じてもらうことが大切だと、あらためて痛感しました。
長男とは「二人旅」と名付けて、中学生の夏休みに広島へ連泊で出かけてきました。
次男とも三男とも、タイミングを見ながら、一緒に行くか、あるいは個別に行くか、これから計画していきたいと思います。
今、わたしが暮らしているこの状態は、とても幸せなことなのだと、あらためて感じました。
何気なく過ごしている毎日ですが、実は、とても大切なことなのですよね。
子どもたちにどのように伝えていくか。
まず、わたし自身が事実を正しく理解することが、その第一歩だと思います。
終戦記念日まで、わたしなりに、この思いを掘り下げていきたいと思います。noteは、ここで一旦閉じさせていただきます。
戦争のない、核のない、平和な世の中でありますように。
※誤解を招くような表現がありましたら、大変申し訳なく思いますが、あくまでも個人の思いを綴ったものですので、あらかじめご了承いただけますと幸いです。
素敵な一日をお過ごしください。
2026年8月7日 金曜日 晴
※少し、わたくしのお話を。
昨日は、少し早めに、左肩のリハビリに行ってきました。
この夏から秋、あるいは冬までのあいだに、しっかりとリハビリに通って、きちんと治し、体づくりも本格的に進めていきたいと思います。
明日からお休みのところもあるようです。
今日は、夕方まで、いろいろと仕事が詰まっています。
体調を崩さないよう、自己管理をしっかりして、乗り切りたいと思います。
あっ、セミの声が聞こえ始めました。
さて、そろそろ朝食の用意をしようと思います。
