それいけ!ネットバイリンガル世代
裁判所の小さな法廷。
あるお店を巡る民事裁判が最大の山場を迎えていた。
証言台にはスーツ姿の年配男性が座っている。
清潔な身なりと丁寧な言葉遣い。
そして、いかにも詐欺師仕様の人工的な笑み。
相手側の切り札証人だ。
相手側弁護士のエスコートのもと、シナリオどおりの証言が着々と語られた。
次は私が質問し、証言に潜む矛盾を追及する番だ。
裁判官がこの証人の証言を信じるか、信じないか。
今から始まる「反対尋問」で私がこの証人の嘘を暴けるか。
それが、この裁判の勝敗を決める。
真実はこちらにある。
敗れるわけにはいかない。
依頼者の人生がかかっている。
オマケだが、私の弁護士報酬もかかっている。
裁判記録は入念に読み込んだ。
証言の矛盾点もチェック済みだ。
もちろん、かの詐欺師は口八丁で切り抜けようとするだろう。
だがその穏やかな微笑みに潜むドス黒い影は裁判官の目にも映るはずだ。
私は証人の左横に立ち、1通の書類を差し出した。
相手側の若い男性弁護士も自席から出てきて、後ろを支えるかのごとく証人の右横に立った。
「営業譲渡契約書」
相手側が先代経営者から全ての株式を譲り受けたことが詳らかに書き記されている……偽造書類だ。
ひとつ、ひとつ、質問を進める。
この道20余年の経験をグッと凝縮する。
まずは自信満々に語らせるところから。
嘘を嘘で塗り固め、後戻りできなくなった頃合いを見計らって矛盾する証拠を突きつける。
罠だと気づかれないために息づかいひとつも重要だ。
トーンを抑え、だが、少し早口で焦りを装う。
優越感に浸らせてエサに食いつかせるのだ。
私が問い、証人が答える。
答える度に嘘が深まる。
いい感じだ。
そろそろ自分が罠の中にいることに気づくだろう。
証人の言葉が少し途切れた。
嘘が重なって説明に迷い始めたのだろう。
それでも穏和な笑みは崩れない。
さすがは筋金入りの詐欺師だ。
不意に、傍らの相手側弁護士が視界に入った。
……ギョッとした。
ワイシャツの下の胸板が激しく前後に動いていた。
呼吸じゃない。
心拍だ。
微かだがドッ、ドッ、と空気の震えが耳にまで届いた。
鼓動が目に見えることなどあるのか?
隣の人に聞こえることがあるのか?
血圧、大丈夫か?
このまま倒れるんじゃないか?
この弁護士は知っているのだろう。
この証人が嘘つきなのだと。
鼓動までは見えないとしても、この異様な姿は裁判官にも見えるだろう。
弁護士の全身から滲み出る焦燥が事件の真相を物語っている。
……私は確信した。
勝訴だ。
閉廷。判決期日は1か月後に指定された。
法廷のドアの外で見た証人の顔には、証言台での穏和な微笑みはなかった。
2026年、民事訴訟が歴史的なオンライン化を迎えた。
証人尋問でさえweb画面越しでできてしまう。
矛盾を突かれたときに見せるわずかな手の動きも、嘘を重ねるときに微かに荒くなる息づかいも、webモニターには映らない。
我々「代理人弁護士」も、そのオンライン化の渦中にいる。
ほんの数年前までは5分足らずの裁判期日に出席するために飛行機に乗って東京の裁判所まで赴いた。
それが義務だった。
今はネットで画面を繋ぐだけだ。
私と同じ外見の映像が私の代わりを務めてくれる。
アナログ世界に住む生身の存在であるはずの「証人」「当事者」「代理人」は、無数の0と1が紡ぎ上げるデジタル世界の画像と音声で代替される。
「代替」という言葉も正しくないのかもしれない。
モニターが出力する顔も声も「私の顔」「私の声」と一致するし、私の意思に基づいて動く。
その映像が「私」ではなく「私の代替物」に過ぎないのだとすれば、「私」と「私でないもの」の境界は一体どこにあるのだろう?
ふと、不安に駆られる。
この境界が薄れ続けた末に、私たちは今と同じように代替性のないたった1つの個体でいられるだろうか?
便利なデジタル化の裏で、何か重要なものを失おうとしてはいないか……?
その瞬間、もう一つの感情が湧き出て、
その不安を冷ややかに笑う。
東京の裁判所でのたった5分のために丸一日が潰れるという理不尽。
それが数分のパソコン作業で済むという大いなる恩恵。
ネット社会の利便性を素直に喜べば良いのに、なぜかそこに「我々の存在とは」とご大層な概念を持ち出して、ざわめきたがる。
それなら徹底的にアナログを貫くか?といえば(ひと世代上の弁護士にはそういう人もいる)一日潰して上京するのはやはり嫌で、web画面で済ませてしまう。
デジタル世界の恩恵は喜んで利用するくせにアナログ世界への回帰をどこかで願う、どっちつかずの中途半端。
笑いもの以外の何でもない。
分かってはいるのだけど、あと一歩の割り切りができない。
瞼の裏に焼き付いた昭和の終わりのあの風景が……
「ネット」といえば虫取り網か二槽式洗濯機のゴミ取り網でしかなかったあの時代の残像が、ヘドロのごとく心の底にへばりついて、私のOSを完全なデジタルへアップデートさせてくれないのだ。
幼い頃の住まいは5階建ての四角い建物が立ち並ぶ団地群の一角だった。
あっちの家にもこっちの家にも同世代の子どもがいた。
分厚いテレビにファミコンを繋いで、皆で興奮を分かち合った。
目に悪いということで、1日30分の厳しい時間制限があった。
40キロバイトのロムにセーブ機能などあるはずもない。
毎日がゼロからの挑戦だった。
母のお腹が重たくなって、父が日曜日に自転車で買い物に出るようになった。
1週間分の買い物袋が自転車のカゴと両ハンドルを埋め尽くした。
うちは4階。
エレベーターなどない。
大量の荷物を運び上げるのは一苦労だ。
特別ルールが設定された。
父が買い物に行っている間、兄と私はファミコンで遊んで良い。
その代わり、買い物を終えた父が階段下から大きな声で呼びかけるので、兄と私は即座に階段を駆け下りて父と一緒に荷物を運び上げる。
ファミコンの時間が増える!
兄と私は大喜びした。
このルールを何が何でも維持したかった。
ファミコンに熱中しつつも父の呼び声にしっかり注意を払い続けた。
何回目かの日曜日だった。父が買い物に出た。
早速、兄がスーパーマリオのカセットを入れた。
私は応援役だ。
今日こそクリアしてピーチ姫を見てみたかった。
今までになく調子が良かった。
2機を残して最終ステージに来た。
兄も私も夢中だった。
1機やられた。掌に汗が滲んだ。
もう1機が粘った。
クッパの足の下をくぐり抜けて、斧を掴んだ。
クリアだ!
兄が歓喜の叫びを上げた。
私も飛び上がった。
次の瞬間。
画面がプツっと消えた。
リセットボタンを押す太い指があった。
父がいた。
沢山の買い物袋が床に並ぶ。
その表情で、何があったのかすぐに分かった。
長いお説教の末、特別ルールは打ち切りになった。
今であれば、スマホで全てが解決する。
特別ルールを失うこともなかった。
あの時代にあったのはグルグル巻きの線に繋がれたダイヤル式の黒電話だけ。家の外から人を呼ぶには声を張り上げるしかなかった。
不便な時代だった。
その不便を埋め尽くすように、団地の窓には毎日毎日いろいろな音が反響していた。
友だちを遊びに誘う子どもの声。
石焼き芋や竿竹屋のラジカセ。
自転車のベル。
メジロのさえずり……
雑然こそがあの頃の当然だった。
アナログで溢れていた時代。
デジタルはまだ小さくちらつく影でしかなかった。
自然界そのままの連続的で滑らかなものをアナログ、非連続性を失わせて極小のパーツに分割し、0と1の記号で表したものをデジタルと定義する、という。
アナログ時代を小さな足で駆け回り、デジタル時代で大人を務める身としては「連続・非連続」の部分には多少の違和感がないでもない。
アナログ世界こそ、幅と重量という限界がゆえに何もかもがブツ切りだった。
小学生のとき、お盆の帰省にレンタカーが導入された。
高速道路の後、田舎の山道を1時間半ほど走る。
カーナビなど、もちろんない。
しっかり者の私がナビ役に選ばれた。
「マップル」という分厚い地図冊子がたった1つのアイテムだ。
大きな林檎のカッコイイ表紙は魅力的だが、最大の欠点はページの切れ目。
少し走ると現在地がページの端に達してしまう。
次のページに続きの地図があるという単純な話ではない。
続く道路が上か下か右か左か。
それによってページが違う。
ページを間違えて現在地を見失えば山道で迷子だ。
途切れることなく地図や道路とにらめっこしてタイミングを待つ。
切れ目が迫る。
大急ぎでページをめくる。
地図の非連続を緊張の連続でつなぎ止めるしかなかった。
あれこそがアナログ世界の姿だった。
ブツ切りで、デコボコで、とにかく粗い。
それに比べて、どこまでも切れ目なく続くスマホのマップは何となだらかで連続性に満ちているのだろう。
階下から声を張り上げるしかない意思伝達。
切れ目だらけの紙の地図。
デコボコでブツ切りな世界をインターネットは滑らかに整え、結合してくれた。
どちらが便利かなど、言うまでもない。
それなのに、デジタルが削ぎ落としてくれた不便さと一緒に何か大切なものが消えようとしている気がしてならない。
切れ目を渡る緊張感。デコボコを越える躍動感。
整序された平坦な記号では表しようがない、雑然たる生命の振動。
そこだけに現れる、ありのままの世界…………
裁判は、人の営みの中の争いごとに白黒を付けるものだ。
人がアナログで厚みのある存在である限り、人の営みを記号情報として平面に落とし込めば、多くの真実が潰され、均質化されてしまう。
あの証人尋問での相手方弁護士の激しい鼓動も、
証人の口元からわずかににじみ出る腹黒さも、
記号化の過程ではノイズとして除去されるだろう。
そうやって平らに整形された資料から「真実」が見えるとは思えない。
あの場面。あの生身の人間ならではの姿が、裁判には必要なのだ……
判決までの1か月はあっという間だった。
証人の怪しい笑み。弁護士のただならぬ姿。
全ての真実は、確実にあの場にさらけ出されていた。
受け取った判決書を大船に乗った気持ちで開いた。
目を疑った。
請求棄却と書いてある。
当方が原告。
つまり、敗訴だ。
あの証言の場面を見て、なぜそうなる?
裁判官は昼寝でもしていたのか?
判決書を一字一句漏らさず読んだ。
判決理由には証言の詳細さと迫真性がつらつらと述べられていた。
あの不自然な笑みも、弁護士の脂汗も、行間にすら現れなかった。
ベテラン詐欺師ならではの堂々たる証言態度が全てを決めていた。
そこまで彼に注目するならば、心臓に生えた大量の毛まで見破って欲しかったのだが……。
衝撃だった。
が、ショックを受けている暇はない。
控訴状を出すまでの猶予期間は短い。
依頼者への説明や書類の手配も必要だ。
立ち往生する暇はない。
マップルのページの切り替え以上にスピード感が要る。
動きながらも、どうにも絶望感が払拭できない。
控訴審が行うのは書面審査だけだ。
控訴審では、証言は録音というデジタルデータに置き換えられ、その反訳書だけが審査対象になる。
裁判官たちは証言の現場を見ることはない。
あの仮面のような微笑みも、
相手側弁護士のただならぬ動揺も、
反対尋問でガタ落ちになった証言のトーンも、
全てが除去され平坦な文字記号へと整形されてしまう。
控訴審の裁判官にこそ、あの生々しい場面を見てほしいのに。
どうすれば伝わるか?
パソコンの前で控訴理由を書いては消し、また書き直す。
左奥の銀歯がギリっと大きな音を立てる。
ページが進まないままに時間だけが過ぎていく。
「やるしかない」
不意に口を突いて出た言葉があった。
この言葉には今も鮮明な記憶がある。
D判定のまま迎えた大学受験の本番、シャープペンの太いグリップを握りしめながら何度も繰り返した言葉だった。
起死回生で勝ち抜いた、あの受験戦争。
そして訪れた18歳の春。
そう。その春。
私は記号が作る世界に初めて出会い、魅了され、熱中したのだった。
私が大学に入学するのとほぼ同時期にキャンパスの一角に「情報棟」という建物ができた。
エアコンの効いた大きな部屋に数百台のパソコンが並んでいた。
新入生全員の必修科目に「情報処理」があった。
受験勉強のどの科目とも違う。
ノートもペンも使わない。
新しい世界だった。
ルールに従って<html>やら<br>やらソースコードを打ち込む。
打ち込んだアルファベットの羅列とは似ても似つかない綺麗なレイアウトが画面に現れる。
動き、瞬き、音まで出てくる。
魔法のようだった。
私たちはあっという間に虜になった。
地の利ならぬ「時の利」もあった。
大学が情報処理教育に大きく舵を切った時代背景。
新しい概念を喜んで受け入れる18歳の柔らかな思考。
そして何よりも、私というデバイスの最適化されたコンディション。
受験戦争のための膨大な知識でパンクしかけていた脳内ストレージ容量も、苦手な数学でフリーズ寸前だった文系仕様のCPUも、合格通知とともに見事なリセットを遂げていた。
その広大な空き領域に、デジタルという魔法の世界が次々とインストールされていった。
私たちは授業の合間を縫って情報棟に通い詰めた。
UNIXの操作を競って覚え、教え合い、手打ちのソースコードで自分のホームページを立ち上げ、アピールしあった。
団地の和室でファミコンを囲んで、復活の呪文を手分けして書き取って、皆でボス戦に熱狂したあの感動が……それ以上のものがそこにあった。
今振り返れば、デジタルのようで半アナログな、泥臭い作業でもあった。
今どきの若者にとっては作業はソフトが担うのが当たり前だ。
ソースコードを1文字間違えて、不格好なソースのかけらがページの真ん中に露出する姿など見たこともないだろう。
生まれた時からインターネットが身近な世代を「ネットネイティブ」と呼ぶらしい。
彼らの情報の入手速度、デジタルへの親和性と柔軟性には、我々中年世代はどう足掻いても敵わない。
だが我々にも、アナログ育ちゆえのアドバンテージがある。
紙の塊を片っ端から漁る手作業でのデータ発掘。
たった1つのエラーで全てがゼロに戻ってしまう挫折感と、それを乗り越えた経験。
我々はこの「泥臭さ」を体験し、アナログ世界の厳しさとダイナミズムを自分の基礎にたたき込んだ。
それに続いて、吸収力豊かな若者時代にデジタル言語を自分の言葉として修得し、虫取り網の一部品だった「ネット」が世界を覆う情報網へと意味を変えていく瞬間を目撃し、その波に飛び込んだ。
そして今、AIにプロンプトを打ち込みつつ、高速から爆速へと移りゆくネット社会に昭和仕様の気合いと根性でしっかりとしがみついている。
そう、我々は、アクティブなネットユーザーとしてネットネイティブ世代の思考に共感し、少し息を切らしつつも、彼らと同じ速度で会話を展開できる。
同時に、昭和の記憶の保持者として、アナログ世代の美学を理解し、何十回と聞かされた武勇伝に悟りの境地で頷きつつも、アナログ世代の生活にネットの恩恵をこっそり挟み込むことができる。
我々はまさに「時の利」によって生み出された特殊な世代……両世代の言語を自在に操り、双方の価値観を縦横無尽に渡り歩くことができる「ネットバイリンガル世代」なのではなかろうか。
ネットバイリンガル。
こんな言葉、あったっけ?
検索したが、出てこない。
今、私が勝手に作った造語のようだ。
行き詰まりかけた控訴理由の起案。
口を突いて出た「やるしかない」と、大学時代の記憶。
そしてこの「ネットバイリンガル」という新たな言葉にたどり着いたこと。
何か運命的に思えてきた。
ネットバイリンガル世代。
卓越した橋渡しスキル。
だとすると、かの敗訴判決の控訴事件も諦めるのはまだ早いかもしれない。
このスキルを鍵に、前進できるかもしれない。
控訴審は文字記号だけに依拠するシステムだ。
期日への出席もオンライン対応。
が、昔ながらのリアルでの出席が禁止されているわけではない。
私はかの証人尋問の生々しい現場をこの目で見た。
控訴の裁判所までは車で片道1時間半。
行けない距離でもない。
行こう。
生身の人間として期日に参加し、かの証人尋問の鮮烈な現場を……呼吸と拍動を持つリアルを、控訴審の記録審理に巧みに挟み込んでみようではないか。
若い頃を思い出すと自信と元気が湧いてくる。
控訴理由を意気揚々と書きあげた。
控訴審での期日が指定された。
相手方の若い弁護士はオンライン参加だという。
もちろん私は現地参加だ。
その日の予定は丸々空ける。
ガソリンは満タン。
前日の睡眠もしっかりと取る。
ネットバイリンガルの腕の見せ所だ。
30分前に裁判所入りして、ロビーの椅子で法廷のやり取りを何度かシミュレーションしながら開廷時間を待った。
開廷3分前。
法廷の扉が開いた。
控訴人席に鞄を下ろし、選りすぐった数通の資料を机の上に並べた。
開廷時間になった。
裁判官たちが入室した。
……裁判期日は、2分とかからなかった。
まずは、お決まりの事務手続。
話し始めようとする私に見向きもせず、弁論終結宣言。
判決期日は1か月後に指定。
閉廷。
裁判官たちは即座に退出。
1秒の隙もなかった。
裁判官たちの背中を見送り、扉が閉まる音を聞いた。
書記官が相手側弁護士を映していたwebモニターのスイッチを切った。
声を出すこともできないまま広げた書類を鞄に入れて、私は法廷の外へ出た。
ロビーの椅子に、また腰掛けた。
開廷前の私の体温がまだちょっと残っている。
こうなるはずではなかった。
これではここに来た意味がない。
私は何を間違えたのだろう?
若かりし頃の記憶に浮き足立って、ネットバイリンガルとしての橋渡しなどという失笑ものの妄想を抱えて、片道1時間半を走ってきたのだろうか。
依頼者は期待しながら期日報告を待っているだろう。
報告メールだけでも今のうちにスマホから送っておかなくては。
結果はどうなるとしても、経過だけでも誠心誠意対応しなければ。
ご年配の依頼者だ。
分量の多さが「丁寧さ」として評価される。
誤字・脱字は論外。
2分で終わりました、とはとても言えない。
まずは冒頭の挨拶。
この訴訟の意義。控訴理由の内容。
審理終結と判決期日の報告。
勝訴・敗訴のそれぞれのケースでの今後の流れ。
スマホ画面に指を滑らせて、ひとつひとつを丁寧に文字に起こす。
そこそこの分量になった。
あとはチェックだ。
冒頭に戻って読み返す。
誤字脱字なし。不適切な言い回しもなし。
控訴審の期日開始から20分経った。
タイミングとしても適切だ。
さあ、送って良いか?
右上の送信マークに指を移しながら宛先ミスがないかをチェックしようとした瞬間、スマホがブルブルと痙攣しはじめた。
画面の上部からポップアップ通知が矢継ぎ早に垂れ下がってくる。
「あのさ」
「夏休みのボカロの」
「確定した」
「前泊いいよね?」
「じいちゃんち」
高校生の娘からのメッセージだ。
全部繋げても100文字もない文章をなぜか細切れで連投してくる。
ここで動じてはならない。まずはメール送信だ。
容赦なく画面上部に覆い被さる通知を次々とフリックして弾き飛ばす。
内容は一応、頭の片隅に入れる。
宛先を確認して、連続フリックでつりそうな指で送信マークをタップする。
「送信しました」の表示を確認。
次は高校生の短文言語へと頭を切り替える番だ。
立て続けのメッセージはごく単純な要件だった。
前から行きたがっていた夏休みのボーカロイドイベントの会場参加が確定した。
会場へのアクセスが良い東京郊外の私の実家に前泊したい、という話だ。
ボカロこそオンラインで見れば良さそうだが、どうしても欲しい会場限定グッズがあるという。
私も一緒に来て欲しいというが、来て欲しいのは私の財布だろう。
夏休み価格の飛行機代。
会場までの電車賃。
……で、ボカログッズ代?
一瞬ためらいかけたが、
こんな時でもないと祖父母宅には行きたがらない年齢だ。
親孝行の値段なら仕方ない。
実家に日程を伝えるべく、受話器マークをタップした。
帰り道の1時間半は安全運転に専念しようと思っていた。
が、あれこれと頭の中に浮かび上がってくる。
観念して1人反省会を開始した。
間違えたなら反省をして進むしかない。
控訴審に生の尋問現場を示すこと。
それが必要だと信じてここに来たはずだった。
惨憺たる勘違いだった。
アナログとか、デジタルとか。
そんな区別はそもそも戦場ではなかった。
体に染みついたアナログへの憧憬と、境界の見えないデジタルへの不安。
それをかき消したくて作り上げた「橋渡し役」という無駄な自意識。
自分の行動はそれだけのものだった。
判決書を受け取った後、依頼者にどう説明すればいいだろうか……
思いを巡らせているうちに1時間半の道のりが終わっていた。
自席に腰を下ろして夏休みの飛行機を探そうとスマホを出した。
依頼者から返信が届いていた。
「わざわざ遠い裁判所まで行ってくれてありがとうございます。」の文字。
胸がギュッと締まるのを感じつつ、航空券アプリをタップした。
控訴審判決までの1か月はあっという間だった。
これがアラフィフの時間軸だろう。
控訴審から封書が来た。
受け止める覚悟はできている。
封筒にハサミを入れた。
三つ折りの分厚い判決書を取り出した。
折り目を広げて紙面に目を落とす。
主文
原判決を取り消す。
控訴人が有限会社A商店の全部の株主であることを確認する。
……え?
当事者欄をもう一度見た。
間違いない。あの事件の判決書だ。
一審の敗訴判決は取消し。
依頼者は奪われた営業権を取り戻す。
完全な逆転勝訴だった。
判決理由には、客観証拠で裏付けられた事実が理路整然と述べられていた。
かの証言は、複数の矛盾と証拠書類との不整合でバッサリ切り捨てられていた。
証人の心臓に生えた毛を見抜き、私があの証人尋問の中で暴き出そうとした真実を拾い上げたのは、五感に響く呼吸でも血流でもなかった。
平坦な文字記号の配列だった。
弁護士1年目で聞いた、ある講話を思い出した。
『自分たちは裁判の主役ではない。
我々弁護士は主役である依頼者と法律を繋ぐ、ただの道具。
その本分をわきまえた上で、道具として全力を尽くす誇りを持て』
そんな話だった。
依頼者が報酬金を払いに来てくれた。
ネットバイリンガルの華麗なる活躍は花火のように散って消えたが、依頼者の笑顔という一番大切なものは……そしてあくまでオマケだが、飛行機代とボカログッズ代は残ってくれた。
夏休みが来た。久々の実家だ。
イベント当日は朝早い出発だった。
小さな鞄を肩にさげて玄関を出ようとする娘と私を父が呼び止めに来た。
左手に朝刊。
右手に2本の折りたたみ傘。
新聞の天気予報だと昼過ぎから雨だから傘を持っていくように、という。
情報が古い。
天気は何度もアプリでチェックしている。
昨日までの予報はだいぶ後ろ倒しになって、最新の予報では雨が降り出すのは夜の10時頃。
イベント会場を3時には出て5時前には帰宅できるから、雨に遭う可能性はほぼゼロだ。
「降らないから」
一言だけ言って娘は玄関を出てしまった。
娘は既にスマホで最新の天気予報を把握している。
とはいえ、新聞を最高の情報源と信じる祖父にそれを説明しようとはしない。
お天気アプリの画面を見てもらおうとポケットのスマホを取り出した。
「最新の天気予報では……」という言葉が喉まで出かかった。
父はまだ2本の折りたたみ傘を手に、心配そうにそこに立っている。
言葉を飲み込んだ。
「ありがとう。持っていくね」
昔よりずいぶん細くなった指から2本の折りたたみ傘を受け取った。
父がホッとして顔をほころばせた。
玄関を出た。娘はだいぶ先を歩いている。
その背中を追いかけながら、
私は2本の折りたたみ傘を自分の鞄にそっとしまい込んだ。
想定外の荷物で鞄が不格好に膨らんで、紐が少し肩に食い込んできた。
肩の鞄をかけ直した。
苦笑いがこぼれた。
アナログ世代の重量と体積に満ちた心遣いと、ネットネイティブ世代のミニマムでエコな合理性。
我々ネットバイリンガル世代は、その二つの世界を理解し、両者に共感し、その間を縦横無尽に往来できる。
できてしまう。
某国民的ヒーローが自分の顔を分け与えて「元気が出ない」とへたり込んでしまうように、我々世代もまた両者への愛にほだされて、気がつくとつい、余計な荷物を自分の肩で背負いこんでいる。
私の肩こりがなかなか治らないのも
……歳のせいという説もないわけではないが……
多分、きっと、こういうことだろう。
小走りをして、娘に追いついた。
チラリともこちらを見ない娘の隣を並んで歩く。
予報が外れて雨が降ってくれないかな……
カッコ良く傘を出せるんだけどな……
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