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誰かのため、という自己欺瞞

「こんなに頑張っている私を、誰もわかってくれない」

会社や家族、大切な人に対して、このような愚痴をよく聞く。

あなたのためを思って

私がやらないといけないと思って

喜んでもらいたくて

そう言いながら善意を向けてくる人たちは、それが理解されなかったとき、豹変する。

「こんなにやってあげたのに」「善意が踏みにじられた」と。


でも、どんなときも、一つだけ忘れてはならないことがある。

人は、自分にとって不利になる方向には、決して動かない。

どんなに「誰かのため」の行動だと思っていても、その奥底には必ず、自分の利益がある。

嫌われたくない。
無責任だと思われたくない。
常識ある人だと言われたい。
できる人だと思われたい。
….

相手のためにやっているのに、わかってくれない。

そう感じるとき、焦点を当てるべきは、「わかってくれない相手」ではなく、自分自身。

「相手のため」という行為の皮を一枚ずつ剥がせば、そこには、癒えない自己愛、満たされない承認欲求、そして隠しきれないナルシシズムがある。

それに気付かないまま、「善意」と思い込むほど、醜いものはない。

人間は、徹底的に自分勝手な生き物。

自己愛が、「誰かのため」という仮面を被って善人ぶる。

私は、自分のためにならないことは、何一つ選択できない。

これを自認したとき、これまでの言動や、感情浪費の大半が無意味だったことに気づく。

そして、誰かや何かに期待することも、意味をなさなくなる。

自分の行動のベクトルがすべて自分に向いていたことに気づいたとき、他人の行動にも寛容になれる。

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