300日目の献呈
これまでの自分が得たを経験を元にしたこの記事をある方に献呈します。
noteを書き始めて300日が経ちました。

ここまで、3日とて同じことを続けることがなかった自分が、大した気負いもせずなぜ、専門領域でもない『書く』ことを続けられたのか。
キリ番の300日を超えたこの節目に、ここまでの振り返りと心の『こえ』に耳を傾けて記しておこうと思います。
最初に書いた記事👇
2024年2月18日。noteにささやかな願いと小さな野望を含めた最初の記事を投稿しました。
noteの存在は創業時から知りつつも、自分とは無縁の世界であると思い込んでいました。昔から学業も仕事も私生活も今に精一杯を注ぎ込むスタンスで生きてきた自分が、何かを残すなんて考えたことありませんでした。
そんな中、ある人をとても傷つけてしまいました。そしてその人にはもう自分の言葉は届かなくなってしまった。
とても残念でした。何を言っても伝えられないもどかしさと腹立たしさしかなかった。
でもそれはすべて自分の責からきていることは事実。だからやりきれなさが溜まりに溜まっていた。
そんなときにふと、昔に見たことがあったnoteの世界を改めて覗いてみたんです。
そこにはいろんな人たちがいました。彼らはいろんな世界観を持ち、自分との向き合い方に苦悩しながらも楽しく書いている。それを見ていて『ここなら自分も居れる場所なんじゃないか』と思えました。
ずっと昔から考えていたこと
「人が発した言葉は、その人となりに関係なく、その他の人にどんな影響を与えることができるのか」
この考えは、ある人に届かなくなった言葉を伝えるのに発言者(自分)の存在を言葉から引き離して言葉が持つ意味と内容だけにすれば伝えられるんじゃないかという想いが強くなったことがきっかけで、実現してみようと決めるに至りました。
その手段としてnoteの世界はうってつけだったんです。
夢中で書き始めました。
右も左もわからないなか、いろいろな人が書く文章を読ませてもらいながら、いろいろな世界観を体感させてもらった。
実際にnoteを毎日書いていくと、ぶち当たるのは壁ばかりでした。続けることがこんなにしんどいことだったのかと、もう辞めてもいいんじゃないかと。何度も何度も自分と向き合った。
そのうち、note書いてる多くの人は続けることが大切だとわかってはいても、それがなぜ大切なのかまではもしかして理解されてないのでは?そんな疑問さえ湧いてきました。
でもね、ここであるときに気づく。
続けるって
『明日のために毎日を刈り取る』ことなんです。
そして刈り取らなかった日は2度と帰ってこない。その日しか刈り取れない。
こう考えたら立ち止まるわけにはいかない。
そしてなにより、傷つけてしまったある人にいつか、自分の想いを残した文章だけで伝えられれば…。そのときまでに自分が残せるものはすべて残していく。1日も無駄にできない。毎日を刈り取って明日のために残していく。
ある人がいつか、よくわからないディエムというやつが残していった記事を見て何かを得てくれればそれでいい。
その動機があるから1日たりとも立ち止まりたくない。
私のこころの『こえ』はこれでした。
このこえがあったから300日もの間、続けてこられた。そしてありがたいことに書いた記事を読んでもらえる方々がいる。言葉と発言者を切り離して見ていただける環境がある。
ありがたいこの環境を使って、これからも続けていきますので、よければみなさまお付き合いください。
しかしねー、続けるって『動機発見の旅』だね。何回も何回も自問自答して何やってんだろうって思って、思っては立ち上がり、立ち止まっては思い直す。
でもそれは続けることの中で一番大切なことだと思います。
300日の節目にこれを書こうと決めてたところに、以下の記事を目にしました。
大好きなクロサキナオが壁に当たった⁉️
読ませていただいたとき素直に思った。『自分で気づいてるのすごいなぁ』って。
彼女はわたしがnoteを始めたときにすでに先頭を行ってる人だったのでずっと注目してました。そんなナオさんでも壁に当たる。
当たり前ですね。みんな当たるものです。そして壁に当たったひとに、こうすればいいああすればいい、と言うのは簡単ですが、そんなことはあまり必要ない。
『だよねぇ、壁。出たよね〜😊やっぱり』
壁に出会えた人は自分にきちんと向き合えてる人。そんな人を前にして言える言葉は、
おつかれさま。
ちょっとだけ休んで
動機を見つけナオそう。
そしてまたやろっか☺️
こんな感じかな。
長々と書いてしまいました。
自分の振り返りと共に綴った拙い内容ですが、クロサキナオ氏にこの記事を献呈いたします。
