AIが作る故人サービスをどう考えるか
「AIが進化してきてこそ考えられる故人サービス」について考えたお話。
このテーマはずっと下書きにありつづけたんですが、長く温めすぎても意味ないなと思ったのでこの辺りで残します(のちに改編するかも)。
AIを使った故人サービスに違和感を覚える人
書こうとしたきっかけは👇の緒方氏のポスト。
がんで他界した妻をAIで再現…「医師として末期まで気付けなかったことを謝罪したい」 “故人AIサービス”の是非 生前の意思表示が必要に?(ABEMA TIMES)#Yahooニュースhttps://t.co/RsDb0bkeJX
— 緒方恵美 (@Megumi_Ogata) September 25, 2025
…改めて。私は私の声を他界後に使って欲しくありません。あなたの目の前にいた私を、作品の声を永遠に。
他界した妻を再現した人のケースを例に緒方氏は「私の声を他界後に使ってほしくない」と述べています。主張のきっかけ元記事👇もご一読ください。
普通なら「わかるわぁ~」「えぇ~そうかなぁ」で軽く済ませてしまう話でしょうが、私の場合は違いました。
なぜ、自分の死後に自分の声を使ってほしくないと思うのか?
頭にこの疑問がすぐに出たんです。気になったもんだから、AIに関わる故人サービスを調べてみたら、ざっと3つありました。
〇Revibot
〇TalkMemorial.ai
〇想いあい
それぞれ見てみたけど「こんなサービスやってんだ…」ってな印象。どれもそれらしい社会的意義を提供しているように見える。先の他界した妻を再現された方も TalkMemorial.ai の利用者さんみたい。
AIを使った故人サービスにもやはり社会的意義と課題はあります。
意義
・故人の遺族の壮絶な死後悲しみのケア
・故人の記憶を後世に継承
・デジタル遺産という終活の新しい形
さらに課題も存在する。
課題
・故人のデータをどのように扱えばいいのかなどの倫理的問題
・AIで故人が再現されることの違和感や嫌悪感
・コストと普及性
これらより、AIを使った故人サービスというのはビジネスとしてどうなんだ?と疑問に思う反面、その意義を考えるとこれもアリだと思えたりする。
いったいどちらの考え方が今は適正なんでしょうか(あえて正しいとは言わない)。
AIと故人を結び付けた決定的な事例
少し前に「AI美空ひばりプロジェクト」というのがありました。
それまでは「AIと故人」というのは世間に認知されるほどのものではなかった。一部のどうしても過去を復活させたい人達がAIにすがる、みたいなあまりよくないイメージがあった。でもそれはAIができることはまだまだだ…という人間の慢心から来てたみたいです。
ところがAI美空ひばりプロジェクトでそれは実現可能な領域に今来ているんだということが知れ渡りました。
NHKスペシャルで放送されましたね。AIによって故美空ひばり氏に新曲を歌ってもらおう、のプロジェクトです。
このプロジェクトに私のお世話になってる方が携わってたこともあり、表裏いろんな話を聞く機会がありました。その中で「AIという言葉が付いた途端に嫌悪感がむき出しなる人が多い」という話題があったんです。
つまり👇のようなことらしい。
人は、夢の中で故人が出てきてメッセージをくれたことを嬉しそうに話すのに、AIで現実化できるとわかった途端にそれは違う!と毛嫌いする。
ある種の矛盾です。私にはこれが非常に疑問でなりません。
AIに{期待する | 使われる}に交錯する想い
いや、「そりゃそうでしょうよ!」という感覚は理解できるし、その通りだとも思います。でもそれがなぜなのか?の言語化がされていない。
生きている人がなぜ、故人サービスに注目するのか。
それは「死別の寂しさを紛らわせる」「いつでも会える希望を叶える」「心の拠り所を持ちたいと思う」、そんな理由からでしょうか。だから故人サービスの存在は一定の社会的意義を持つ。
一方で声高に言われる、故人サービスに使われるデータは故人のもの、これを勝手に使っていいのか?、使うなら個人の意思を尊重しないといけないのでは?という倫理的問題。
いや、これを倫理的問題としている時点で生きている人間の勝手な解釈に過ぎないと思うのですがね。
生きている人がなぜ、自分の死後に自分の何かが使われるのを嫌がるのか
この理由が説明できないんですよ、誰も、永遠に、絶対に。
だって嫌がってるのってまだ生きている人間ですよ。死んでないもん。だから死後に自分がどう思うかなんて絶対にわからない。生きているときに死後の自分がいるという前提での感情だもんね(究極の自己想像に過ぎない)。
乱暴に想像してみてもその理由はおそらく、「なんか気持ち悪い」「死後の自分の尊厳も尊重してほしい」「とにかく嫌だ」みたいな感じでしょうか。
そもそも、生前に「死後の自分を〇〇してほしい」と宣言すること自体って大切にされるほどのことではない、単なる個人の感情だと思うのです。大切なことは、その人の死後に「その人を想った人」たちがその人を記憶にとどめるためにその宣言を大切にする、ことじゃないでしょうかね。
AIを使った故人サービスに期待すること
故人サービスとしてAIは期待できるレベルのクオリティに達してきています。今後ますますクオリティは上がり、それと同時に物議を醸し出す度合いもまた上がるでしょう。
しかしどう考えても、AIを使った故人サービスは故人のためではなく残された人達のもの。だから残された人たちが「生きやすいように」使われていくべきであり、それを妨げるものはガンとして排除せねばならないと思います。
死別した人を再現したい!という希望は、残された人の中でずっと生き続けます。そしてそれを具現化して少しでも現実に存在させるのか、心の中で記憶のまま保持することを選ぶのかは人それぞれ。
でも、どちらを選んでも最終的な目的はただ一つ。
それでも 人生は 続く
ですね。これにつながればどんな形態でもAIが作る故人サービスは成功だと思うのです。そしてサービスを作ってる方々はそれを忘れずに最終的な目的からずれない開発をお願いしたいところ。
いろいろ考えることも必要だろうけども、考えすぎてもしんどい。
人生は続くよどこまでも♬ 的なノリがちょうどいいのかもしれません。
ちなみに私は、AIで再現されようがされまいが、noteで死ぬまでのことを残すのでどっちでもいいです(笑)。
死んだら天国か地獄かどこかわからないけれど、落ち着いて座って🍺でも飲みながら、死後の世界から残してしまった人の幸せを祈るだけですね。
あわよくば、残した人がひとりもいないようになってから、ひっそりと逝きたいものです。
ちょっと重めのテーマでしたがここで活字にしておいたよかったな。また未来にこれを読み返して、感覚が変わればまた書き直そう。
※AIに{期待する | 使われる} = 「AIに期待する、AIに使われる」の意
#AI #AIと故人サービス #故人サービス #生きる #死別 #15日ライラン #33日ライラン #66日ライラン
