[SS] 二つのシーグラス
「待ってくれ! 待って! くれ!」
声のかぎりに叫ぶ。
思うように先に進めない。
ぬるつく足元。
体が持っていかれそうになる。
腕の中の小さな命。
必死で抱きかかえる。
「待ってくれ! 頼む! 行かないでくれ!」
遠ざかる背中に縋るように繰り返す。
「ま!」
そう叫んだ時、腕の中から鳴き声。
懸命にしがみついている、泣き叫んでいる。
ハッと我に返った。
「大丈夫、大丈夫だ。落ち着け、大丈夫だ。」
優しく頭を撫でる。
目線を戻した。
もう、誰もいない。
影も形も見えない。
「そんな….。」
冷たい全身、腕の中だけが暖かい。
必死に肩にしがみつく小さな手。
恐怖に怯える顔、悲しそうな声。
その手を力強く握る。
「大丈夫だ、帰ろう。」
私は振り返り、来た道をゆっくりと戻り始める。
「ふう。」
海の匂い。
潮風、波の音。
どれもこれも懐かしい。
隣とはだいぶ離れた一軒家。
父の家を訪れるのは、いつぶりだろう。
父の最後は病院で看取った。
病院には通っていたが、家には中々来れなかった。
小さな一軒家、懐かしい。
ポケットの中の鍵、玄関に差し込む。
カチャリ、ガラガラ。
少し錆びついた引き戸。
すえた匂い。
主人がいない家の匂い。
扉、窓という窓を全開にする。
家の中を換気する為だ。
冷蔵庫の中、空。
三角コーナーや、ゴミも無い。
綺麗なものだ。
実に父らしい。
今日やる事、それは一つだけ。
遺品の整理。
この家は売りに出す事になっている。
兄弟もいない、ここに住む理由もこれと言ってない。
寝室、台所、トイレ、風呂。
一人暮らしには十分な家だ。
切れたプロパンガス、火はつかない。
押入れ。
綺麗に畳まれた布団と枕。
他には何も無い。
居間のタンス。
色褪せた木のタンス。
これも懐かしい。
引き出しが6つ。
昔は大きく見えたが、今はそうは感じなかった。
一番下から開けていく。
着替え、カメラ、フィルム。
アルバム、通帳。
将棋の駒と盤面、懐かしい。
そんなものが綺麗に整理されて入っている。
「ん?」
一番上の引き出し。
力一杯引っ張るが、開かない。
「鍵?」
タンスの中には無かった。
それらしい場所をみて回るが、どこにも見当たらない。
「あそこか….?」
居間の片隅、閉じた仏壇。
気が進まない。
優しい親父が唯一、激怒した場所。
「ここしか無いしな…。」
誰にいうでもなく呟く。
そして、ゆっくりと近づく。
黒塗り、観音開き。
記憶の中で一度も空いていたことのない仏壇。
「ふう、開けるぞ。親父。」
扉に手をかける。
ギイ、立て付けの悪いドアのような音。
中身は空。
何も入っていない。
母の位牌があるかと思っていたのだが、無い。
お線香立ても、無かった。
「これか?」
小さな鉄製の鍵。
大きさからして、これがそうだろう。
「これ、母さんの仏壇?なんだよな?」
母さんは俺が小さい頃、病気で亡くなった。
父は、そう言っていた。
俺がここを開けようとすると、いつも父に怒られた。
それでも開けようとしたら、手を叩かれた。
最初で最後、父が俺に激怒したのはそれだけだ。
それ以来、俺はここに触れる事は無かった。
「よほど大事なものが入ってるんだろうな。」
引き出しの鍵穴に鍵を差し込む。
ふと、誰かの視線を感じた気がした。
仏壇の方か?
「気のせいだよな。」
真昼間、窓もドアも全開。
何かあったら、庭に飛び出そう。
鍵を回す、カチャ。
引き出しをゆっくりと引っ張った。
がま口。
合皮製のようながま口が一つ。
その下に挟まれた封筒。
がま口の口を開ける。
中には石のようなものが一つ。
透明なガラスのような石。
「なんだろう、綺麗だ。」
スマホで検索する。
シーグラスというらしい。
海に流れ出たガラスが、波や砂に揉まれて角の取れたもの。
確かに、角は取れていてスベスベしている。
琥珀糖のような形、日にあてるとキラキラと輝く。
「なんで、こんな石を?」
下に挟まれていた封筒を取り上げた。
表面は真っ白。
裏を見ると、俺の名前。
父の字。
「俺宛?」
ビリビリと口を破る。
中には便箋が数枚。
俺はそれを取り出して開いた。
息子へ。
最初に謝っておく、すまん。
直接話したい、そう思っていたが中々話せず
気づけばだいぶ、長い時間が経ってしまった。
ずっと考えていた。
正直、怖かったのかもしれないな。
すまん。
これから話すのは、本当の話。
そして、お前の母さんの話だ。
「母さん!?」
父さんに何度聞いても教えてくれなかった話。
ずっと気になって、気になってどうしようもなかった話。
それが、ここに。
はやる気持ちで、続きに目を通す。
最初に、お前の母さんはもういない。
いや、正確には分からない。
お前の母さんは、海に帰ったんだ。
何を言っているんだと思っていると思う。
俺だって、そう思う。
でも、あれは本当の出来事だ。
そして、お前が今生きている事が何よりの証拠だ。
俺は、大学生だった。
父が亡くなり、この家をもらった。
唯一の資産だった。
あの日、俺はこの家の縁側から海を見ていた。
海はいつも通り穏やかで、何も変わらなかった。
ふと、タンスの中にカメラがあるのを思い出したんだ。
父の唯一の趣味だった。
ここから見える海が最高なんだ。
父は俺によく言って聞かせた。
あの日、なぜかその景色がふと見たくなった。
見よう見まねでカメラを構えた。
そしてファインダーを覗き込んだんだ。
海はキラキラと輝いていて、確かに綺麗だった。
わけもわからずシャッターを切った。
夢中だった。
そのうち、波の中に何かが見えた気がしたんだ。
それは、人の手のように見えた。
まるでこちらに向かって、手招きしているように
シャッターを切るのも忘れて、走り出していた。
何かに取り憑かれたように走っていた。
そして、彼女を見つけたんだ。
波打ち際。
綺麗な金の髪、女性が一人倒れていた。
もちろん顔は、めちゃくちゃ美人だったさ。
今思えば、この世のものじゃなかったんだろうな。
女性は、荒く息をしていた。
顔は真っ青で、まるで海の色みたいだった。
でもな、それよりも。
足が無かったんだ。
いや、正確にはある。
でも、それは人間のものじゃ無かった。
びっしりと生えた鱗。
綺麗な青に光る、鰭。
そう、魚の足だったんだ。
ヒレのような足はぴちぴちと跳ねていた。
水にあたってパチャパチャと音を立てていた。
息が止まるかと思った。
人魚、と呼んでいいのか分からない。
でも、そういう物が目の前にいる。
マンガでも、御伽噺でも無い、ただ、現実だった。
女性はさらに苦しそうに肩を上下させている。
顔の青は、さらに酷くなっていた。
俺は、その女性に近づくと、抱き抱えた。
なんで、そんなことをしたかって?
惚れたんだよ、一目惚れさ。
もしくは何かに魅入られたのかもな。
女性を抱きかかえると、体は冷たかった。
そして、小さな声で言ったんだ。
「血、血。」
と。
彼女は思い切り俺の手首に噛みついてきた。
不思議と痛みは無かった。
彼女は俺の手首に噛みついたまま、喉を鳴らしている。
目の前が少しふらついてきた。
喉が鳴るたびに、ふらつきは強くなってくる。
でもさ、思ったんだよ。
このまま死ぬならそれでもいいなって。
そして、気を失うギリギリ。
彼女はその顔を俺の方に向けて言った。
「ごめんなさい。」
その口は血で真っ赤になっていてな。
でも、とても魅力的だったさ。
自分の命がどうのこうのなんて
何も関係なかった。
「ごめんなさい。」
そう言って、彼女は海の中に帰って行った。
顔の色は俺たちと同じように肌色に戻っていた。
俺はそれを見送りながら
その場で意識を失った。
気がつくと、自分の家にいた。
たまたま散歩に来た、隣の人に助けられてな。
夢かと思った、最初はな。
でも、あったんだよ。
二つの穴。
手首のあたりに。
血は出てなかった、正確には穴の跡だ。
病院にも連れて行かれた。
病名は、貧血らしい。
隣の人は笑ってたよ。
そうそう、俺が倒れた時に手に握りしめていた物
それが、そのガラスみたいな石だ。
俺はそれをぎゅっと握っていたんだと。
「なんだ…、それ。人魚って….。」
立っていられない、箪笥に背中を預けて座る。
先を読み進める。
それからだ、カメラを覗くと
波の合間に人の手が見えるようになった。
手が見えると、波打ち際に行く。
そこには彼女がいる。
俺は毎回、血を飲ませた。
彼女は美味しそうに、それを飲んでいた。
喉を鳴らして、ゴクっゴクっと。
俺はその姿を見るのが好きだった。
頭を撫でると、恥ずかしそうにする彼女がな。
そのうち
俺たちは週に1度会うようになった。
そのうち、会話が出来るようになった。
彼女は自分を人間では無いと言った。
人魚かと、絵本を手に聞いたが、分からないと言った。
まあ、そういう物だろう。
何回も何回も、俺たちは時間を共有した。
波打ち際でだんだん時間は長くなって行った。
血を吸うだけじゃなく、話をしたり
本を読んで聞かせたり、彼女は楽しそうに笑うようになった。
そして、俺たちは恋に落ちたんだ。
そして….、結ばれた。
「!?」
結ばれた….って。まさか。
驚くだろうな、でもそうなんだ。
お前は、俺と彼女の子供。
そうなんだ。
彼女のお腹が大きくなり、動くようになった。
人間と同じだ。
そして、あの夜。
彼女は浜辺でお前を産み落としたんだ。
お前をこの手で抱いた。
あの時の手の感触は、今でも忘れられない。
俺たちは幸せだった。
この時間だけは夫婦だったんだ。
彼女はお前を抱いて座っていた。
そして、陸にいたい。
そう言ったんだ。
とはいえ、足はヒレのまま。
この姿じゃ何が起こるか分からない。
そこで、波打ち際に小さな小屋を建てた。
縁側から見えるだろう。
木製のほったて小屋が。
手紙を持って、立ち上がる。
縁側に座る。
確かに視界の端に小屋が見えた。
知ってる、そんなの知ってる。
「でも、あそこが….。」
最後の便箋を読み進める。
しばらくは楽しく暮らしたさ。
親子3人、文字通り水入らずでな。
でもな、そんな日は永遠には続かなかった。
お前が1歳の誕生日。
小屋に行くと、彼女は真剣な顔で言ったんだ。
「帰らなければいけない」と。
「どこに?」そう聞くと
「海に」と答えた。
「私の父も母も亡くなってしまう、私が帰らないと。」
彼女はお前を抱きながら、そう言った。
そして、お前を私に託すと小屋を出て行った。
俺はしばらく呆然としていた。
そんな想像してなかった、この日々がずっと続くと思ってた。
でも、バタンと閉まったドアの音で我に返った。
お前を抱いて追いかけた。
海の中にな。
どんどん深くなる、足がつくギリギリ。
彼女の背中を追いかけた。
今思えばな、死んでもいいと思ってた。
彼女を失うくらいなら、死んでもいいってな。
ギリギリ戻れなくなりそうになった時。
お前が泣いたのさ。
そして、その小さな手で俺のことをぎゅっとな。
俺は、岸に戻ってきた。
それ以来
彼女は母さんは、現れなかった。
この家でずっと待っていたんだ。
彼女が戻ってくるのを。
もう一度、3人で暮らせるのを。
でも、ダメみたいだ。
その日は来なかった。
先に俺に迎えが来ちまったからな。
思春期を終えて、お前が都会に行く
そう言った時、寂しかったさ。
一緒に行こうと言ってくれた時、嬉しかった。
でも、断り続けたのは、そういう理由だ。
仏壇を置いてはいたが、中身は空。
そういう意味だ。
開けるのが怖かった、置いたのは俺なのにな。
変だよな。
まあ、そういう意味だと、全部変か。
まあ、そうだよな。
さて、俺の話はこれで終わりだ。
ここに書いたことは事実だ、現実だ。
お前は、正真正銘、俺と母さんの子供だ。
戸籍上は、養子ってことになってるがな。
まあ、お前はぼーっとしてるから気づかないだろう。
とはいえ、特になんの問題もない。
最後にもう一度書いておく。
お前は俺と、彼女の子供だ。
こんなタイミングでの告白になってすまん。
愛している。
幸せにな。
「なんだよ…、それ。」
手紙は終わっていた。
海を見る。
今日も静かだ、到底こんな話信じられるわけもない。
突然の告白に、頭がぼーっとなった。
波の音だけが聞こえる。
石を見つめる、綺麗な石だ。
いや、ガラスなのか。
どちらにしろ、綺麗だ。
でも、何も知らなければ捨ててしまうかもしれない。
立ち上がると、箪笥に向かう。
カメラを取り出す。
そして、縁側から海に向けた。
カバーを外して、ファインダーを覗き込む。
「親父も、こうしてたのか。」
あたりを見回す。
ふと。
ふと何かが、何かが波の間に動いたように見えた。
人の手?
カメラをおいて、走り出した。
小屋に向けて、とにかく走った。
もちろん、誰もいない。
何もいない。
ボロボロの小屋があるだけだ。
周りを歩いて見た。
やっぱり誰もいない、何もいない。
帰ろうとした時。
何かがキラリと太陽の光を反射して輝いた。
「これ….。」
それは、綺麗な石だった。
親父が持っていたのと同じ色合い。
拾い上げる。
海は静かだ、何も見えない。
遠くの方も何も見えない。
もちろん近くにも、誰も何もいない。
「….、母さん….。」
ポツリと呟く。
父の家。
本当は土地ごと売ってしまう予定だった。
でも、全部辞めた。
そして、ここに住むことにした。
毎日、縁側から海を見る。
ファインダーを覗き、写真を撮っている。
時々写真には映らないが、手のような物が見えることがある。
手は、俺を招いてはいない。
まだなのか、もうなのか。
仏壇はあの日から開けたままだ。
父の位牌をおき、線香立てをおいて
毎日手を合わせている。
そして、二つのシーグラス。
父のと、俺の。
二つ並べて置いてある。
こちらの企画に参加させていただきました。
シーグラスって綺麗ですね。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
