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生成AIについて思うこと。

最近、ずっとこの事について考えている。

うまく言葉にできるかわからないが
あまりにモヤモヤが酷いので、ちょっと書いてみる。

生成AIが本格的に使えるようになって
色々な所で作成されたものを見るようになった。

画像、文章、音楽、声、色々な物が日々生成されて、公開されている。
生成されるものは日々進化し、1ヶ月先が読めない時代。

色々な物が瞬時に
しかも、(ある程度かもしれないが)自分の思い通りの物が作れる時代。
これは本当にすごい事だと思う。

出来上がった物を見ると
クオリティも十分、内容に関しても面白い物が多い。

だけど、どこか虚しさを感じる。

本来、"作る事"は楽しいことではなかったのか。

苦しい事が多いかもしれない。
産みの苦しみ、0から1を作り出すのは本当に大変で
こんな文章でさえ、うんうん唸りながら書いている。

言葉を、一つ、一つ選んで
どうすれば伝わるのか、イメージできるのか
そんな事を考えながら文章を書く。
書き直して、書き直して、結局公開しなかったり。
でも、次の日にこれでいいやと公開したり。

そういう繰り返し、プロセスそのものが楽しかったなあと思う。

その結果、思いが気持ちが伝わって、読んでくれる人の中に何かが残って
それが何か別のものになったり
日々を少しでも良いものにする事がもしも出来たら
この上なく幸せだし、嬉しいと思う。

自分の世界を表現できなかった人が、出来るようになる
絵が描けない人、文が書けない人
そういう人が自分の世界を人に伝える事が出来る。
つまり、あくまでサポーターとしてであればいいのかもしれない。

ただ、それが、プロンプトと呼ばれる言葉で
それを考える事が創造と呼ばれるのに少し違和感があるのだと思う。

人が何かを考える時に、昔見た何か、経験した何かを元にする
それは生成AIが学習する、という事と似ているのかもしれない。
でも決定的に違うのは、"その人が"ではないという事だと思う。

この進化は止められないのだろうし、もっと進化するのだと思う。
そのうち、個人別に調整されたAIが望むままのものを生成してくれる。
娯楽はそんなふうになっていくのかもしれない。

プログラムがいらない時代。
絵描きがいらなくなる時代、小説家がいらなくなる時代。
アニメも、エロさえも生成される時代。

その先に何があるのだろう。
効率化、いわゆるコスパ・タイパの時代。
その先にあるものはなんなのだろう。

その先には、何も見えない。
それこそただの虚無な気がしている。

行き着いた先が、ただの荒野でない事を祈るのみ。


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