【10/100】絶望の淵で出会った、一羽のハチドリの一雫
こんにちは!
石垣島で毎日ゴミを拾いを継続している南の島の拾人(ヒロインチュ)こと田中秀典です。
100日連続投稿、おかげさまで10日目を迎えました!
昨日、一昨日と、僕が活動の中でぶつかった「巨大な壁(絶望)」について書きました。 拾っても拾っても、また流れ着くゴミ。拾ったゴミを島の埋立地に移動させているだけで、地球規模で見れば何も解決していないのではないか――。
そんな、底の見えない絶望感。
石垣島特有の、肌にまとわりつくような湿気を帯びた生暖かい海風が、当時の僕の重たい心にさらにのしかかっていたのを覚えています。
「もう、やめてしまおうか」
そんな無力感に溺れかけていたとき、僕の元へ届いた物語がありました。
それは、南アメリカの先住民に伝わる、こんなお話です。
「ハチドリの一滴(ひとしずく)」
森が燃えていました。
森の生きものたちは、われ先にと逃げていきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけは、いったりきたり。
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、火の上に落としていきます。
動物たちがそれを見て 「そんなことをして、いったい何になるんだ」 といって笑います。
クリキンディはこう答えました。
「私は、私にできることをしているだけ」
「笑う側」だった自分
はじめてこの話を読んだとき、僕はハッとして、胸が締め付けられました。
物語の中では、逃げ出した動物たちは「臆病者」で、ハチドリを笑う「嫌な奴」に見えるかもしれません。でも、当時の僕は正直、動物たちの気持ちが痛いほど分かりました。
だって、森は燃えているんです。 圧倒的な火力(=年間500トンもの漂着ゴミや、地球規模の環境問題)を前にして、小さなくちばしで運ぶ一滴の水なんて、物理的に考えれば「蒸発して終わり」です。
「そんなことをして、何になるんだ?」
この動物たちのセリフは、まさに僕自身が、毎日ビーチで自分に投げかけていた言葉そのものでした。論理的に考えれば、逃げる動物たちの方が「賢い選択」なのかもしれない、とさえ思っていました。
けれど。クリキンディの答えは、理屈ではありませんでした。
「私は、私にできることをしているだけ」
結果が出るからやるんじゃない。誰かに褒められるからやるんじゃない。「今、目の前にある火に対して、自分が運べる一滴があるなら、それを運ぶ」。
ただそれだけなんだと、この小さな鳥は教えてくれました。
僕たちの一滴は、無駄なのか?
今の世の中を見渡すと、あの燃えている森と同じように見えることがあります。 気候変動、争い、マイクロプラスチック問題、貧困。あまりにも問題が大きすぎて、「自分ひとり動いたところで、世界は変わらない」と、目を伏せたくなることばかりです。
僕がやっている「ゴミ拾い」も、地球から見れば、小さな小さな一滴かもしれません。地球が後戻りできなくなってしまうまでの時間を、ほんの数秒遅らせるだけの小さな小さな抵抗なのかもしれません。
それでも、僕は決めました。
「何もしないで嘆く賢い傍観者」になるより、「無力だと分かっていても一滴を運ぶ、愚直なハチドリ」でありたい。
そう腹を括った瞬間、不思議とあの湿った風が、少しだけ心地よく感じられたのです。
物語の続きを、僕たちが
このハチドリの物語には、続きがありません。 森の火が消えたのか、それとも燃え尽きてしまったのか、誰にも分からないのです。
でも、僕は勝手にこう想像しています。 ハチドリの姿を見た他の動物たちが、「お前バカだなあ」と苦笑いしながらも、一匹、また一匹と戻ってきて、最後にはみんなで力を合わせて火を消したんじゃないか、と。
これから僕が挑むのは、そんな「続き」を描くことです。 一人の一滴は小さくても、それが百人、千人と集まれば、それは「一滴」ではなく「雨」になり、やがて「川」になります。
「一人の百歩より、百人の一歩」
僕が大切にしているこの言葉も、実はこのハチドリから勇気をもらって確信した言葉です。
