見出し画像

透明な壁のように感じるものを、「人にわかってもらう」には

夏休み終わりましたね。
宿題終わった?

それより、この暑さはいつ終わるの……。

今年もまた海を見てないし、プールにも行ってない。(なんの報告?)


「わからない」ので知ろうとしたけど

就労移行支援事業所に行くようになって、スタッフの人と話すようになり、自分の状態、例えば体調不良や、メンタルの不調、
神経発達症(発達障害)によって何ができて、何が苦手など、

自分で自分のことを知る必要が出てきました。

でも、一言で言うと

わかんない。

まず、おそらくほかの人たちがごく普通に通過したであろう時期に、
具合が悪くなったり、挫折したり、無気力になったり、ひきこもったり、えーと……、(長い。省略)

つまり自分のことを「わかろうとする」ことが、うまくできなかった。

個人の意見ですが、
だいたい10代後半から20代あたりって、これからどうするか進路が決まる時期。アイデンティティができていく時期。

でも、あまりできていなくても、時間は過ぎていきます。

なんていうか、ほかの人のように、ちゃんと大人になれていないような気がしていて。ずーっと。コンプレックスみたいな。

幼少期の家庭環境とか、10代にどんな風に過ごしたかとか、
それも影響あるんでしょうか? 専門的なことは知らない。

さらに、2024年の12月、
「少しだけASD」とドクターに言われ。
そう、大人になってからわかったというパターンです。

たまにテレビで、ちょっと見聞きしていたけど、ASD、よく知らない。で、ネットを使ってあれこれ吸収していきました。

でも……、発達障害に対する、あまり知りたくないことを見聞きすることに。

「定型発達」という言葉を知ったあと、
「普通」と「普通じゃない」と認識してしまい、急に目の前にあった現実がいままでと変わったような感覚に。
認識が変わったせいで、世の中や、自分にも否定的なものの見方に。



「わかってほしい」が強すぎて、その結果

食い入るようにパソコンに向かい続け、Googleで検索したり、YouTubeで動画を見たり。

すると、おばが「またそうやって……」とあきれたように一言。
ネットやりすぎだと。

さらに、自分の過去のせいで、また不採用って続くんじゃないか、とか、
人に言わないほうがいいことができて、とか、
こんなの(発達障害だと)いまさらわかったところで……、などと、
愚痴をこぼし、ネガティブなことばかり言っていたら、

だんだんおばがわかりやすく、イライラするようになった。

おばはおばで、ボケた祖母のことなど日々忙しいので、
そうとうウザかったんでしょう。
しかし目の前が墨のように黒く、暗ーくなっていて、その時の私はまともな認識ができる状態ではなかった。

「そうやってずっと見続けたら、そうなっちゃうよ?」と言われる。

ええ……。

ネットで見続けたら、思い込みで〇〇になるの?

でも、私はおばに、「わかってほしい」と、神経発達症(発達障害)について知ってほしいと話したら。

ある日、図書館で本を読んできた、とおば。

そうやって、理解しようとしてくれたとわかったときは、嬉しかった。

ただ、「うーん……」と思うことも。

「なんでもそれ(少しだけASD)のせいにしないでよ」

「……」 ←言い返せない

私の場合、性格もあるし、
もしかしたらASD特有の「こだわり」とか、
「過去の記憶がよみがえりやすい
(だいたい、思いだしたくない嫌な思い出。瞬時によみがえって、メンタル不調になることもある)」
それもある、のかもしれません。

言葉にして、なにもかも説明ができるかというと、そうではない。難しい。

けど、言葉にしないと伝わらない。

ASDの特性があるからって、たまに調子悪くなるからって、
後ろ向きすぎるのはやめろ!
と励ましたかったんでしょうけど、
その時の私は、睡眠不足で頭がまわってなかったこともあり、
すんなりとは受け入れられず。

なんだかおばに距離を感じました。

距離、というより、壁。見える人には見える、透明な壁。

でも、別に何かの当事者ではなかったり、
正しい知識がなかったら、
こんな壁のような感覚なんて、人によっては「ない」のかもしれない。

誰かに言われないと、気づけないこともあるように。

こころのバリアフリー、の、「バリア」ってこういうこと?


あー、考えすぎ。また文章が長いよ(1700文字越えました)


いいなと思ったら応援しよう!