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セリーヌが顧客を総入れ替えして、世界を熱狂させた理由

ブランディングの教科書を開けば、そこには必ずこう書かれています。
「既存のファンを何よりも大切にし、彼らとのエンゲージメントを深めなさい」と。
それはビジネスにおける絶対の正義であり、顧客を裏切るような行為は、ブランドの死を意味すると誰もが信じて疑いません。

しかし、ラグジュアリーの歴史において、この鉄則をあえて捨て、既存の熱狂的なファンを切り捨ててまで「全く新しい熱狂」を生み出した、驚くべきメゾンが存在します。

それこそが、フランス・パリに本拠を置く「セリーヌ(CELINE)」です。

セリーヌの歴史を語る上で避けて通れないのが、伝説的なデザイナーであるフィービー・ファイロ時代から、ロックでエッジの効いたエディ・スリマンへの交代劇です。

それは単なるデザイナーの変更というレベルではなく、ブランドのDNA、ターゲット顧客、そして世界観を180度入れ替えるような、文字通りの「劇薬」でした。

「セリーヌは死んだ」「もう二度と買わない」

当時、世界中のセリーヌ信者から凄まじい大バッシングが巻き起こり、SNSは炎上しました。しかし、それから数年経った今、セリーヌの売上は当時の2倍以上に爆発的な急成長を遂げ、LVMHグループ内でもトップクラスの稼ぎ頭へと変貌を遂げています。

なぜ、セリーヌはファンを裏切るという暴挙に出たのか。そしてなぜ、顧客を総入れ替えするという大バクチに勝つことができたのか。

今回は、これまでに紹介してきたエルメスやゴヤールのような「不変の美学」とは対極にある、セリーヌの「破壊と創造」のブランディング戦略を解き明かします。


第1章【秘話】始まりは1足の「子供靴」―パリのママを魅了したリアルクローズの原点

現在のセリーヌといえば、モードで洗練されたハイファッションのイメージが強いですが、その原点を知る人は、実はセリーヌ愛好家の中にも多くありません。彼女たちの始まりは、ドレスでも高級バッグでもなく、なんと1足の「子供靴」でした。

1945年、第二次世界大戦が終結した直後のパリ。創業者であるセリーヌ・ヴィピアナは、夫のリチャードと共に、マドリード通りに小さな高級子供靴専門店を開きました。それは、自らの子供たちのために「最高品質で、動きやすく、かつ上品な靴を着せたい」という、一人の母親の純粋な想いからスタートしたものでした。

セリーヌが作った子供靴は、丁寧な職人技と上質なレザーが使われており、瞬く間にパリの上流階級のママたちの間で評判となります。靴があまりにも素晴らしい本格派だったため、ママたちはセリーヌにこう懇願するようになりました。

「子供たちだけでなく、私たち大人のための靴や服も作ってくれないかしら」

顧客の声に押されるようにして、セリーヌは1960年代に婦人靴、香水、そしてプレタポルテ(既製服)へとその領域を拡大していきます。そこで誕生したのが、馬車の柄をあしらったモカシンや、上質なトレンチコートでした。

当時のフランスで流行していたのは、上流階級のシックで小綺麗なライフスタイルを指す「B.C.B.G(良家のお嬢様・お坊様風のスタイル)」と呼ばれる文化です。
セリーヌはその代名詞となり、気取らないけれど圧倒的に上品な「パリジャン・シック」を確立しました。

この歴史から分かる、セリーヌの根底に通底する本質。それは、お飾りとしてのファッションではなく、「生活の中で、凛としてリアルに生きる女性のための服」という徹底した実用性と上品さの融合だったのです。

第2章 フィービー・ファイロ時代――「知的な女性の聖域」とロゴに頼らない美学

その後、時代の荒波の中でブランドのアイデンティティが揺らいだ時期を経て、2008年、セリーヌの歴史に最初の巨大な転換点が訪れます。イギリス人デザイナー、フィービー・ファイロのクリエイティブ・ディレクター就任です。

フィービーが作ったセリーヌは、ファッション界に革命を起こしました。
彼女が提示したのは、過度な装飾や男ウケ、そして「見せびらかすための高級感」を一切排除した、極めてミニマルで知的な女性像でした。

「女性が、自分のために、知的に働くためのユニフォーム」

彼女の創り出す、計算し尽くされたカッティングのワイドパンツや、上質なオーバーサイズコートは、世界中の自立した女性、クリエイター、ビジネスパーソンたちを熱狂させました。彼女たちのことを市場は敬意を込めて「フィロファイル(フィービー信者)」と呼んだほどです。

この時代に生まれたのが、今なおヴィンテージ市場や中古市場で「資産」として高値で取引される伝説的なバッグたちです。
左右に広がるウィングが特徴的な「ラゲージ(Luggage)」、1枚の革を贅沢に使った究極にミニマルな「カバ(Cabas)」、そして美しいボックス型の「クラシック(Classic)」。

これらのバッグには、目立つブランドロゴは一切入っていません。入っているのは、内側にひっそりと刻印された小さな「CÉLINE」の文字だけ。

ロゴを見せびらかさずとも、その独特のフォルムと革の質感だけで「それ」と分かる。これこそが、近年トレンドとなっている「クワイエット・ラグジュアリー(控えめな贅沢)」の原型であり、完璧な完成形でした。フィロファイルたちにとって、セリーヌは単なるブランドではなく、「自分たちの知性とアイデンティティを証明する聖域」だったのです。

第3章 エディ・スリマンの戦略―ファンを裏切り、歴史を「トリオンフ」で再定義する

しかし2018年、ラグジュアリー界の絶対王者であるLVMHグループの経営陣は、世界を震撼させる決定を下します。
10年間ブランドを牽引し、絶頂期にあったフィービーを退任させ、次期ディレクターに「モード界のカリスマにして破壊屋」と呼ばれるエディ・スリマンを指名したのです。

ディオール・オムやサンローランで一世を風靡したエディのスタイルは、ロック、スリム、そしてユースカルチャー(若者文化)。それは、フィービーが築き上げた「知的な大人の女性の聖域」とは、180度真逆の世界観でした。

エディは就任早々、容赦ない「破壊」を始めます。

まず、ブランドロゴからフランス語のアクセントを消し去り、「CÉLINE」から「CELINE」へと変更。さらに、世界中のファンが愛したフィービー時代のインスタグラムの投稿をすべて削除し、アカウントを完全に真っ白にリセットしたのです。

この「過去の完全な抹消」に対し、世界中のフィロファイルは激怒しました。
「私たちの愛したセリーヌは死んだ」「エディはセリーヌを自分の私物化にしている」と、凄まじい批判が浴びせられました。

しかし、ここからがエディ・スリマンという天才の、そしてラグジュアリービジネスの真に恐ろしいところです。

一見、エディはフィービーの遺産をただ破壊しただけのように見えましたが、実は彼は、セリーヌの「さらに古い歴史」へと潜り込んでいたのです。彼がアーカイブから掘り起こしたのが、1970年代に使われていた旧ロゴ、パリの凱旋門を囲む鎖からインスパイアされた「トリオンフ(Triomphe)」のモノグラムでした。

エディはこの過去の遺産をモダンに再解釈し、クラシカルなバッグのクロージャー(金具)として復活させました。これが、SNSネイティブであるZ世代や、新しい富裕層の間で爆発的なヒットを記録することになります。

エディが仕掛けたのは、単なるストリート化ではありません。
「1970年代のパリジャン・ブルジョワのスタイル」を現代のスケータカルチャーやロックとミックスさせ、メンズラインを新設し、ターゲットを「成熟した大人の女性」から「世界中のエッジの効いた若者と男性」へと、文字通り顧客を総入れ替えしたのです。

結果は、冷徹なまでの大勝利でした。既存のファンが去った穴を、その数十倍もの新しい若き富裕層の熱狂が埋め尽くし、売上は瞬く間に過去最高を記録しました。

結び―「不変」のエルメス、「激変」のセリーヌ。ブランドが生き続けるための覚悟

本コラムでこれまでにご紹介してきたエルメスやゴヤールは、時代がどれほど変わろうとも自らのスタイルを「変えない」ことで、その希少性と資産価値を守り続けています。それはラグジュアリーにおける一つの正解です。

しかし、セリーヌが私たちに見せてくれたのは、もう一つの、よりスリリングな正解です。
それは、時代に合わせて自らを「激変」させ、血を入れ替えることで、永遠の生命を得るという覚悟です。

もしセリーヌが、フィービー時代の成功に甘んじて「変わらないこと」を選んでいたら、それは一時的には安定したかもしれませんが、やがて時代の変化と共に、緩やかな衰退を迎えていたかもしれません。ラグジュアリーの世界において、最も恐れるべきは「炎上」ではなく「忘却」だからです。

子供靴専門店から始まり、上流階級のリアルクローズとなり、知的なミニマリズムの聖域を経て、現代のロックなアイコンへと変貌を遂げたセリーヌ。

形は激しく変われど、1945年の創業から脈々と流れる「時代を生きる人々のための、リアルでシックなユニフォームである」という本質は、実は一度もブレていません。

ファンを裏切るという劇薬を飲み干し、過去の自分すら破壊して未来へと進む。この圧倒的な「変化への覚悟」こそが、セリーヌというメゾンが時代を超えて世界を熱狂させ続ける、真の理由なのです。


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