200-2「ノートの神様」200番目の物語The 200th story of "God of Notebook"
coucouさんの勝手に200回、200作品目記念!
Note記事の神様って知っていますか?
みなさんは、このnote記事の神さまを知っていますか?
Noteには神さまがいるのです。
Noteには神さまがいる。
それはね、
私がとても苦しいとき、辛いときに、
note記事を見るとね、元気をもらえるから。
約380万人のnoteの友だちたち。
まだまだ、380万人の記事に目を通せないけれど、
私はnote surfingを続けている。
Note surfingをすると果てしない旅のように様々な街に出くわす。
みんな、みんな、頑張っている。
だから私も頑張ってみようと思う。

私はたくさんの、かけがえのない人を失いました。まだまだ胸の中は大きな穴が開いていて、そこを冷たい風が吹き続けている。一体、いつ塞がるのかわかりません。
私の心は深い哀しみと怒りがこみあげています。
それをどこにぶつけたらいいのかわかりません。
だから、note記事を見果てぬ夢のように、ただひたすらに書き続けています。
私がnote surfingを続けていると、私と同じような人たちがシンクロする。まるで今の私と同じ。
でも違うのは私よりも感謝の大きさが違う。
見習わなければね。
たしかに『スキ』をもらうのは嬉しいね。
でもね、私はスキになる方がスキ。愛されるより愛する方がスキ。思われるより思うことの方がダイスキ。それはね、幸福度が数倍違うから。だから私はスキをもらえなくともスキをし続けている。私の幸福度はさらに倍増するからね。
私がスキを押すとき、押された人にはわからないかもしれないけれど、私がそれだけ救われたこと。あなたのnote記事で私は共感し、元気や勇気、希望をもらった証(お礼)。もう数万回も救われ続けているような気がします。
もしかすると、私は永遠の片思いかもしれません。
でもね、片思いって、思える幸せがあるんだよ!思われてもどのくらい思われているかがわからないけれど、思うって、大きさがわかるんだ。
その証拠は、とても幸せだからさ。
勝手に空想して、勝手に思い込み、勝手に想像(創造)することができる。まさに神さまから与えられた自由空間だからです。

Note記事のすべては言霊。
書いた本人にはわからなくとも、読んだ者だけにわかる神さまからの言葉。
これが魂と魂の会話かもね。だから私note記事の言葉も誰かしらの助けや救いになっているかもしれない。私にはわからないけどね。
380万の作品一つひとつに心が込められて、何かしらの意味を持たせ、書いた人と読む人のコミュニケーションが無意識の中で自動的に意識付けする。
その一つの作品の中でたった一つの言葉に出会い、私の考え方や運命ですら左右するぐらいの素晴らしい言葉の宝庫。
それがnote記事。
誰もが自由に自分の考えや意見をいい、自分の物語、自分だけの世界を創り、その世界を私たちは覗いている。
みなさんは、このnote記事の神さまを知っていますか?
Noteには神さまがいるのです。
Noteには神さまがいるんです。

八百万の神さまの一つ、noteの神さま
随分前のことですが「トイレの神さま」という歌が大ヒットしましたね。人間にとってとても大切な場所にも拘らず汚い、不潔、汚れているということで誰もが嫌う場所でした。でも、この歌がヒットしたことによってトイレは大切な場所、神聖である、何よりもトイレをきれいにすれば美しい女神さまになれる、といった内容でした。
しかし、このトイレはもともと神さまがいたという伝説も残されていました。
日本では古くから「八百万の神」といわれているように、山の神様、田んぼの神様、 (厠神 かわやがみ) トイレの神様、台所の神様(かまど神)など、米粒の中にも神様がいると考えられてきました。
これは、自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられています。
18世紀の国学者、本居宣長は『古事記伝』で「八百万は、数の多き至極を云(いへ)り」と解釈しています。
八百万とは無限に近い神がいることを表しています。
神道では、すべてのものが精神的な性質(人格があるか、擬人化された魂、霊等)を持つと信じるアニミズムの特徴を保持してきたとされています。

神は細部に宿る
また、「神は細部(ディテール)に宿る」という言葉を残した、ドイツの近代建築家ミース・ファン・デル・ローエという人がいます。
これは、細部(ディテール)にまで手を抜かずきめ細かく配慮して作られた
ものは美しいというような意味です。
「神は細部に宿る」
「神はディテールに宿る」という言葉を残しました。
哲学者のニーチェ、物理学者のアイシュタイン、建築家のルードヴツィヒなども好んで使っていた言葉です。一般的には「細かな部分まで、手を抜かないからこそ素晴らしい作品ができる!」という意味で使っています。
これは現代の仕事や生活のすべてにあてはまるものですね。
Note記事の絵や写真、映画や小説、短歌や俳句、手紙やメール、ラインやフェイスブック、ツィッターなどの言葉が扱われるすべての文章にあてはまる「表現の世界」なども含まれるものです。
これらのほとんどは作り手である私たちに神が宿り、無意識化の中で、何かしらのメッセージとなっているのです。
例えば、自分がまったく意識していないnote記事であったとしても、それを受け取る側が何かを感じ取り、役に立つ場合もあります。あるとき、何かに迷い悩んでいるときにその言葉によって人を救う場合があるからです。
私などは、みなさんのnote記事でどれだけ元気や希望をもらい続けているかがわからないくらいのメッセージを受信し続けています。
「神は細部に宿る」(細部に神は宿る)という言葉は、note記事に神が宿ると受け取ることができる理由です。
「神が宿る」という言葉は、神が正しさを教えてくれる、または真実を与えてくれるという意味でもあります。
まさに、仕事や生活、note記事の作品作りにも当てはまりますね。
※「神は細部に宿る」「真実は細部に宿る」「細部に神は宿る」または「ディティールに神が宿る」あまりにも有名なこの言葉は、英語では「Gods in the details」と言います。明確ではありませんが、この言葉はフランスの小説家であるギュスターヴ・フローベールが言い始めたともいわれています。
また、この言葉を有名にしたのは、ドイツの建築家であるミース・ファン・デル・ローエ(1886年-1969年)であると言われています。近代建築三大巨匠のひとりに挙げられる大物建築家。洗練された美しいデザインを持ち味とする彼がモットーとして挙げていたこの言葉は、仕事における心構えを示すものとして有名です。
私はnote記事を書いている人たち、発信し続けている人たちはクリエイター、アーテイスト、表現者だと思うのです。その表現には上手いとか下手はありません。読む人の心に残るか、何かしら伝えることができたなら、そのすべての人はnote記事の表現者(創作者)だと思うのです。
「神」という言葉は、オーバーに聞こえてしまいますが、誰かが誠心誠意作り上げ、一生懸命に考えた作品にはその人の「魂」が宿っているはずですね。
その人がその作品に込めた気持ち、想い、そのために費やすことになった労力。それらのすべてが「神」と呼ぶに値する尊いものだと思うのです。

トイレの神様 植村花菜
作曲︰植村花菜
作詞︰植村花菜.山田ひろし
小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた
毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた
買い物に出かけた時には
二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
少し大人になった私は
おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて
居場所がなくなった
休みの日も家に帰らず
彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも
二人の間から消えてった
どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた
上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った
「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど
ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された
次の日の朝 おばあちゃんは
静かに眠りについた
まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように
ちゃんと育ててくれたのに
恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを
ピカピカにする
おばあちゃん
おばあちゃん
ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう
※注 この曲は、簡単に解説すると、作詞・作曲・歌の上村花菜さん(当時28歳)の実話をもとにしたもので、子どもの頃から可愛がってもらっていた亡きおばあちゃんに対する歌でした。そのおばあちゃんの口癖が「トイレにはきれいな女神様がすんでおるのだから、トイレ掃除を熱心にしたら、将来ベツピンさんになれるものだ!」と幼い上村さんに語りかけていた、というエピソードとともに、おばあちゃんとの想い出をギーターで弾き語りした歌で10分近い長い曲です。当時NHKの紅白歌合戦でこの長い10分近い曲を彼女は歌いました。

そう、私たちの故郷には神さまがたくさんいるのです。

coucouです、みなさま、ごきげんよう!
トイレにも神様がいますが、このnote記事にも神さまがいるんです。
毎日note記事を書き続けて、本日で200日目、coucouさんの勝手に200回作品目記念!あと10日でnoteデビュー7か月目となります。
果たして365日、365回続けられるかどうかがわかりませんが、書けば書くほど、止まらなくなりました。
それはね、お伝えたいことがたくさんあるのです。
伝えたいこと、知らせたいこと、まだまだ無限、終わりが見えません。
毎日、毎日、みんなのnoteばかり読み続けています。
当分、本を読むひまもありませんが、note記事の方が面白い。楽しい。教わる。勝手にcoucouさんはそうだ、そうだ、と頷く。
まるで毎日が言葉との出会い、言葉探し、もしかすると、今の私に必要な言葉が、私に何かを伝えよう、知らせよう、としてくれているよう。
ただ、最近、目が痛む。
少し注意が必要かもね。
私のお気に入りは絵でも写真でも、小説でも身近な文、俳句や短歌、詩などでもスキを押しまくる。スキなんてもらわなくとも、自分がスキだと思うものにはスキを押し続ける。もう、一万以上となった。まだまだスキを押したりない。
スキは私からの感謝の気持ち、あなたのnote記事から何かしらいただいたお礼。
気に入った人のnote記事は古いものも見る。新しいnote記事だけが素晴らしいのでなくて古くても素晴らしいものがたくさんあるから。
なんと、楽しいnote surfingなのだろう。

coucouさんの勝手な200の物語、200篇記念「200.人は一生のうちに、一体どれだけの喜びの涙を流すことができるだろうね。」同時に送りましたのでお読みくださいね。
今日も、最後まで読んでくれて
みんな~
ありがとう~
※coucouさんの電子書籍のご案内「~世の中、ホスピタリティが足らない!~ホスピタリティ・ライツ①「喜び屋」全5巻好評発売中!下記URLにて検索してください。

本のURL
https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3ACou+cou&s=relevancerank&text=Cou+cou&ref=dp_byline_sr_ebooks_1
