「生き方」のコンパス Vol.15
「思考」と「ハート」。
みなさん、こんにちは!ペーパーカウンセラーよしゆきです。
最近、画面に表示される投稿の数が非常に多く、フォロワーさんの投稿を見逃していることもチラホラ・・・(汗)
そんな中、私の記事を紹介してくださった方もいらっしゃいます。
ゆるふわミックス@素敵な人生さん
「言葉の力」について、素敵な一面を語られています。
あかはさん
少し前のお話になりますが、私の記事に大変共感いただきました。
お二人には大変感謝しています。
前置きが長くなりましたが、今回は、「思考」と「ハート」についてのお話となります。
思考とハートって、なんだか言葉は違うけど、同じようなものなんじゃないの?って声も聞こえてきそうですね。
実は、私たちの思っている「自分」は、思考に支配されている傾向が強かったりします。私たちが思う「自分」=「心」だと思う「思考」は、心の半分だと言われています。残りのもう半分が「感じる」ことを担う「ハート」になります。

思考は、論理的に物事を考えたり、計算したりと、人類の文明発展にも寄与してきました。人間にはなくてはならない脳の機能です。
しかし、この思考には、ジャッジするという機能も持ち合わせています。ありがちなのが、人を裁くということ。
ついつい私たちは、無意識のうちに人を裁く、ジャッジするということをやりがちです。その判断基準が、一般的な常識ならまだいいのですが、自分の価値観で人を裁いたりすると、人間関係にひびが入りかねません。
「〇〇さんが、あんなことやってる。許せない!」「あなたのせいで、私は嫌な思いをしたんだよ!」。よくある話ではないでしょうか。
思考は、出来事に意味づけをして、善悪、良否、好き嫌い、といったものに結び付けます。これは、思考のマイナスな点と言ってもいいのではないでしょうか。
一方、ハートは感じる心。嬉しい、楽しい、幸せ、すごい、悲しい、悔しい、あるいは、五感で感じる情報、熱い、冷たい、美味しい、まぶしい、うるさい、〇〇の匂い、といったようなものになります。
出来事や、環境に、思考が意味づけして、感情を生じさせる。その結果、出来事、環境に自分自身が振り回されているような感覚に陥ることもあるのですね。
いかがでしょうか。心の半分を占める「思考」に、いかに支配されているかがお分かりになるのではないでしょうか。
あのね、自分自身の主人公は誰なのかな?おかしな質問のように聞こえるけど、本当の主人公は「ハート」じゃないのかな?今のあなたは、「思考」が主人公になっていないかい?
「思考」の、いいところだけを使うんだよ。論理的、建設的に考える。そういったことに使うのは当たり前だよね。人を裁き始めたら、ストップをかけるんだよ。
前回、お話したように、「思考」が意味づけして悪い感情が生じたら、その感情を感じてあげるといいよ。「あ、今、怒ってるな」「悲しくなってきたな」って。そうすると、多くの場合、「思考」の呪縛から解放されるんだよ。
自分の「ハート」を感じているとね、本当に、本当に、本当に自分がやりたいこと、大切なことが見えてくるんだよ。それは多くの場合、人に喜ばれて、自分も満たされるようなもの。それが見つかると、幸せな人生になるんだよ。
ただし、それは十人十色で、自分で探さなくちゃいけないの。与えられるものじゃないの。だからね。「ハート」をもっと大事にしてごらん。いつか、どこかで、「これだっ!」ていうものが見つかるから。本当の自分をよく見つめるんだよ。よく感じてみるんだよ。
それからね、思考で考えたことだけがすべてじゃないからね。理論だけじゃ人の心には訴えられないものがあるんだよ。それが本当は大切なものだったりするんだよ。それは決して目に見えるものではないんだよ。

ちなみに、私の場合、こういった出来事がありました。会社で人財育成の講師を担当し始めた頃に、受講生の方々の、心が満たされていないことを感じていました。そこで何か参考になるものをと思い、書店に立ち寄った際、心の中で「この本」と、かすかに聞こえたような聞こえなかったような気がしました。一度、その本を手に取ってパラパラとページをめくったのですが、買わずに帰宅しました。一週間後、なぜか同じ書店に向かっていました。もう一度その本を手に取り、今度は迷わず購入。その本が、現在の私に大きな影響を与える一冊となりました。不思議な出来事ですね。シンクロニシティと呼ばれる出来事なのでしょうか。
今回は、「思考」と「ハート」についてのお話でした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
