「ねばならない」で生きてきた私が、初めて満たされた理由
はじめに|創作大賞が終わって、心に残ったもの
創作大賞が終わって、数日が過ぎた。
もともとは応募するつもりは全くなかった。
「創作大賞」なんて聞くだけで、「私なんかが応募するなんて⁉ 大それたことだ!」と思っていた。
でも、noteを始めて間もない頃、「せっかくだから参加してみようかな?」という小さな気持ちがふと湧いた。
期間もあることから、勢いに押されて応募したのが始まりだった。
応募条件だけ確認して、深く考えずに飛び込んでみた。
ところが後になって、他の方々が何か月も前から準備し、真剣に作品と向き合っている様子を知った。
「あれ……やっぱり私、場違いだったかも⁉」
少し恥ずかしくなった。
それでも、「まあ、いいか」と思えた。
やってしまったからには、最後まで楽しんでみよう。
今思えば、その「まあ、いいか」が、私の小さな一歩だったのかもしれない。
創作大賞よりも夢中になったもの

創作大賞に参加して、一番大きな収穫は、たくさんの素敵な方々と出会えたことだった。
「これぞエッセイ」と思う文章。
物語の世界へ引き込まれ、続きを待ち遠しく思う作品。
読むたびに心が軽くなる記事。
深い知識に目を開かされる記事。
思わず笑ってしまうほど面白い記事。
noteには、本当にたくさんの才能があふれていた。
読みたい記事が次々と見つかり、自分の記事を書くより、読む時間の方が長くなってしまう日もあった。
毎日のように発信されている方を見るたびに、「すごいなぁ」と尊敬する。
少しだけ羨ましく思いながらも、「頑張ってください」と心の中で応援していた。
私はきっと、書くことも好きだけれど、読むことも同じくらい大好きなんだと思う。
結果よりも、心に残ったもの
応募期間が終わると、不思議なくらい心が穏やかだった。
期間中に感じていた小さな緊張もなくなり、ゆっくりとした時間が戻ってきた。
どんな作品が選ばれるのだろう。
今から発表が楽しみで仕方がない。
膨大な作品を読み、選ぶ審査員の方々は本当に大変だろうな、とも思う。
そして、自分でも一番驚いたのは、結果がほとんど気にならなかったことだった。
もちろん、賞をいただけたら嬉しい。
でも、それがなくても、不思議なくらい満たされていた。
どうしてなんだろう。
その理由が分からなくて、少し考えてみた。
初めて、「やってみたい」に従った
思い返してみると、今回の挑戦は少し特別だった。
「応募しなければならない」ではなかった。
「評価されたい」でもなかった。
ただ、「やってみたい」「やってみようか」
その気持ちだけで動いていた。
そして、自分なりに最後までやりきった。
後先のことを考えず、したいように、子供のように楽しめた。
だから、結果がどうであっても、「やってよかった」と思えたのだと思う。
そのとき、ふと驚いた。
もしかしたら私は、人生で初めて、自分の「やってみたい」という気持ちに素直に従えたのかもしれない、と。
そんな馬鹿な、と思った。
でも思い返してみても、純粋にそうできていたのは、幼い頃くらいしか思い出せなかった。
これまでの私は、「ねばならない」で生きてきた。
生活のため。
仕事だから。
結果を出さなければならないから。
もちろん、それも自分で選んできた道だった。
誰かに強制されたわけではない。
それでも、その先にはいつも「結果」があった。
結果が出なければ落ち込み、結果を出すために頑張る。
同じ「挑戦」のようでいて、何かが決定的に違っていた。
初めて、自分を裏切らなかった

その違いが何なのか、しばらく分からなかった。
曲を作ることも挑戦だった。
仕事だって、これまでたくさん挑戦してきた。
なのに、どうして今回は、こんなにも満たされていたのだろう。
考え続けて、ようやく答えが見えた。
私は今回、初めて自分を裏切らなかったのだ。
応募すると決めたとき、心のどこかでは思っていた。
「私なんかが。」
「創作大賞なんて、大それたことじゃない?」
そんな声が、確かにあった。
以前の私なら、その声だけを信じて、「やっぱりやめておこう」と引き返していたと思う。
でも今回は違った。
「やってみたい。」
そう思った自分に、
「いいよ。」
と軽やかに、初めて言ってあげられた。
それだけのことだった。
でも、私にとっては、とても大きな出来事だった。
だから結果がどうであっても、気にならなかったのかもしれない。
もう十分だったのだ。
賞を目指していたというより、自分の心を大切にできたことが、何より嬉しかったのだ。
その瞬間、私は初めて、「失敗は成功のもと」という言葉の意味が分かった気がした。
今までは、この言葉が、どこか腑に落ちなかった。
失敗は苦しいものだった。
だから、失敗を前向きに受け止めることが難しかった。
でも今回だけは違った。
心からやってみたいと思って挑戦したことは、結果がすべてではない。
たとえ思うような結果にならなくても、「やってみてよかった」という満足が残る。
失敗ではなく、次へ続く経験になる。
だから、またやってみたくなる。
これが「挑戦を楽しむ」ということだったのかもしれない。
私はこれまで生きてきて、ようやくその感覚を知ったのだった。
おわりに|私が本当に欲しかったもの

今回、創作大賞に応募して、一番大きな賞をもらったのは、私自身だったのかもしれない。
それは、「自分の心を信じてもいい」という感覚だった。
今回味わえた、小さくて静かな満足感。
それは、思いがけず人生から贈られた、小さな奇跡のような出来事だった。
もし、この先いつか人生が終わる日が来たとしても、「こんな気持ちを一度でも味わえた」と思えることは、私にとって十分すぎるほど大きな贈り物だったように思う。
人生の課題を、一つそっと終えられたような。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、本当にそんな不思議な感覚だった。今もし終わっても、ちょっと良いかと思ったくらいに。
……でも、そんな風に思ったことは、内緒にしておこう。
考えてみれば、私が本当に欲しかったものは、お金でも、物でも、賞でもなかった。
心が喜ぶこと。
魂が少しずつ自由になっていくこと。
生きることを、もう一度好きになれるような体験。
生きることそのものを、愛すること。
そんな体験そのものが、何よりの喜びだったのだと、今回初めて気づいたように思う。
これまでの私は、自分の心の声より、「ねばならない」を優先して生きてきた。
自分の心を閉ざしたまま、どこか借り物の人生を生きていたのかもしれない。
だから、「ねばならない」に追われる生き方が、さらに重圧となって、とても苦しかった。
私を本当に満たしてくれたのは、創作大賞でも、賞でも、「挑戦した」という事実だけでもなかった。
あの日、「やってみたい」とつぶやいた自分に、初めて「いいよ」と軽やかに言ってあげられたことだった。
私は初めて、自分の『やってみたい』という声を否定しなかった。
自分の心を裏切らなかった。
これからも、生きていくために現実と向き合う日は続く。
それでも、「ねばならない」だけではなく、「やってみたい」と心が動いたときくらいは、その小さな声を信じてあげたい。
心のセンサーがちゃんと働くように。
心の扉は、これから先も半分開いたままで歩いていこうと思う。
いつか、その扉を全部開けられる日が来たら。
その時はきっと、「いい人生だったな」と微笑みながら、人生を閉じられるような気がしている。
正しく生きなきゃと うつむいた朝
曇り空の下を ひとりで歩く
「ねばならない」の傘を きつく握りしめて
自分の声をずっと 聞こえないふりしてた…
