性格だと思っていた苦しさは、気質でした
ずっと、自分の性格の問題だと思っていました。
でもある日、それは「性格」ではなく「気質」なのかもしれないと知りました。
これは、自分を責め続けてきた私が、小さな希望を見つけるまでのお話です。
「私は繊細な人ではない」と思っていました
繊細さん、HSPという言葉を耳にすることはあっても、自分には縁のないものだと、ずっと思っていました。
そんな私が、たまたま目にした夢さんの診断に、少しだけ興味を持ってチャレンジしてみることに。
夢さんの診断はこちら♪
40問の質問に答えていくと、いちばん多かったタイプが分かる仕組みで、あっという間に結果画面にたどり着いていました。
出てきた結果は、
共感型HSP<内向型HSP。
予想もしていなかった組み合わせに、しばらく呆然としてしまいました。
HSPとは、生まれつき感受性が高く、周囲の刺激を人一倍受け取りやすい気質のこと。
病気や障害ではなく、生まれ持った特性のひとつなのだそうです。
私の結果は複合型のA+D、共感型HSP(共感吸収タイプ)。
人の感情を抱え込みやすく、場の空気や言葉、態度に敏感で、無意識のうちに周囲を優先してしまう。
優しさの裏側には、自己犠牲への注意が必要――そう説明されていました。
正直、自分が感受性の高い人間だと思ったことはなかったので、とても驚きでした。
それでも、「共感吸収タイプ」という言葉には、不思議なくらい納得してしまうものがあって。
このときはまだ、この気質が長年の自分をどれほど苦しめてきたのか、私はまだ知りませんでした。
自分を理解するきっかけとして、とても楽しい時間だったので、気になる方は一度試してみてもいいかもしれません ♪
言葉に押しつぶされるのは、私だけでした
診断結果を眺めながら、ずっと心に引っかかっていた出来事を思い出しました。
以前、ある無料セミナーでのことです。
講師の方が、「なぜ自分はこれに取り組んでいるのか」という思いを、怒りにも似た熱量と、強い激励とともに語る場面がありました。
その言葉の圧に触れた瞬間、
私はただ、
「何もできずに生きてて、存在していてすみません!」
という気持ちでいっぱいになりました。
その日も、次の日も、その感覚はずっと心に残り続けました。
不思議だったのは、周りの反応です。
同じ言葉を聞いて、
「よし、頑張ろう」
と奮い立っている人や、何事もなかったように接している人が何人もいました。
私だけが、まるで違う受け取り方をしているようでした。
当時は、それをただの性格的な癖なのだと思っていました。
なぜ目の前にある心の叫びを、あれほどの熱量を、聞き流していられる人がいるのだろう。
そんな衝撃に近い感覚を、ずっと抱えていました。
私という存在そのものが、その声の前ではかき消されてしまう。
そんな感覚だったのです。

「気にしすぎ」と言われ続けて
周りからは、
「こだわりが強い」
「そんな小さなことを、なぜ気にするのか」
と、よく言われてきました。
でも、自分としては、こだわっているつもりはまったくありませんでした。
大きな衝撃を受けると、その感覚が何日も尾を引いてしまう。
望んでいるわけでもないのに、何度も同じ感覚へ引き戻されてしまう。
そんな状態に近かったのです。
「自分の意思でこだわっているわけではない」
そう説明しても、なかなか理解してもらえませんでした。
だから私は長いあいだ、
「自分は、こだわりの強い人間なんだ」
と思い込んで生きてきました。
もちろん、相手の言葉を額面どおり受け取っているわけではありません。
話の主旨は理解できますし、自分なりの考えもあります。
それでも、強い言葉には圧倒的な破壊力があって、その勢いに打ちのめされてしまう自分がいるのです。

だから私は刺激を避けてきました
そういう自分の傾向は分かっていたので、普段はできるだけうまく付き合いながら過ごしてきました。
ただ、感動的な映画や動画は、視覚と聴覚の両方から一気に刺激が入ってきます。
そのため、なるべく見ないようにしてきたところがあります。
可愛い犬や猫の動画や、自然の景色などはつい見てしまいますが、それ以外は無意識にブレーキをかけていました。
今思えば、少しもったいない選び方をしてきたのかもしれません。
心を大きく揺さぶられると、その分だけ疲れてしまう。
だから私は、知らないうちに「楽な方」を選んで生きてきたのでしょう。
映画やドラマを見て、感動で目が潤んでも、それを隠すようにしてきました。
以前、苦しみのただ中を生きてこられた方から、
「作り物のフィクションで泣ける人というのは、幸せに生きている人間だからだ。本当に絶望したり苦しんでる人は、涙も出ない」
と言われたことがあります。
たしかに、生死の境目で生きざるを得ない難民の人々や兵士の表情は、麻痺したように凍りついていると聞きます。
その言葉はもっともだと思いましたし、同時に、感動で泣いてしまう自分が恥ずかしい気持ちになりました。
この気質には、危うさもある
歴史を振り返れば、ヒトラーの演説は、人の心理を研究し尽くしたうえで組み立てられ、多くの国民を熱狂させたと言われています。
もし自分が、一瞬で判断し、行動しなければならない状況に置かれたら。
そのとき、私はどう反応するのだろう。
正直、自分自身のことながら確信が持てません。
猶予のないまま判断を迫られたとき、間違わずにいられる自信はどこにもないのです。
そして、同じような手法は、ビジネスの現場でも少なからず使われています。
そう考えると、この気質は、優しさであると同時に、使い方によっては悪用されうる危うさも持っているのだと思います。
だからこそ私は、自分の感情に流されるのではなく、一度立ち止まって考えることを忘れないようにしたい。
できることなら、この気質を、明るく希望のある未来のために活かしていきたいと思っています。
私は繊細なのではなく、まだ強くない
私は、自分のことを繊細な人間だとは思っていません。
本当に繊細な人なら、迂闊さなどから、人を傷つけるようなことを何度も繰り返したりはしないと思うからです。
相手の気持ちを理解し、寄り添いながら、一緒に歩いていける。
繊細な人とは、そんな優しさを持っている人なのだと思います。
でも私は違います。
相手の痛みをまっすぐ受け止めすぎてしまう。
共感するというより、その苦しみを自分の中に取り込み過ぎてしまうのです。
そして耐えきれなくなり、自分を守るために、その場から離れてしまうことがあります。
分かっているのに、逃げてしまう。
そんな自分を認めたとき、思ったのは、
「私はまだ、そこに踏みとどまるだけの強さがない。」
ということでした。
心の扉を半分だけ開けたままで

それでも、これが生まれ持った気質なのだと知ったことで、小さな希望が生まれました。
性格ではなく気質なら、きっと付き合い方もある。
対処する方法も、少しずつ見つけていけるはずです。
だからもう少し、この気質に慣れていくまで。
無理に変わろうとは思いません。
心を閉ざして生きるのでもなく、全部を開いてしまうのでもなく。
心の扉を半分だけ開けたまま、これからも世界と関わっていこうと思います。
読んで下さり、ありがとうございました✨
何かのお役にたてましたら、嬉しく思います。
ずっと自分のせいだと思ってた
何気ない言葉に傷ついて
心がすり減る理由を探して
弱いからだと蓋をしてきた…
