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人はなぜ、道具に惹かれるのか

― その道具によって立ち現れる時間と自分について ―


TEGAMIYA  店主 : 福原 歩


はじめに

私自身、普段から万年筆を使っている。
すると時々、周囲の人からこんなことを聞かれる。
「書きやすいの?」「ただ面倒な道具じゃない?」
確かに、便利さだけを考えれば、ボールペンの方が優れている場面は多い。
それでも私は、万年筆に惹かれ、自然と手に取っている。
インクを吸入する。クルクルとキャップを外す。ペン先が紙に触れる感覚。
そうした一つひとつに、不思議な心地よさを感じている。
そして文具店を営む中でも、万年筆を購入していく方たちと数多く出会ってきた。
買う理由は、「書きやすそうだから」だけではない。
そうした経験を通して、私は次第に考えるようになった。
人は本当に、性能だけで道具を選んでいるのだろうか。
本論文では、文具という存在を通して、「人と道具との関係」について考えてみたいと思う。



Ⅰ. 人は性能だけで道具を選んでいるのか

文具店を営んでいると、様々な理由で万年筆を選ぶ人と出会うことがある。

「憧れている人が使っていたので、自分も使ってみたくて」
「日記が続かないので、気に入ったペンなら書きたくなる気がして」
「万年筆で仕事をすると、なんだか良いアイデアが浮かびそうで」

性能だけを考えれば、もっと便利な筆記具はいくらでもある。
それでも人は万年筆を選ぶ。
もちろん、書き心地や機能性を求めている方も多い。
しかしそれだけでは説明できない理由で道具を選んでいる場面を、私はこれまで何度も見てきた。

私たちは普段、道具を便利さや性能によって選んでいるように思っている。
書きやすいペン。
軽いバッグ。
速いパソコン。
燃費の良い車。

現代には効率や機能に優れた道具が数多く存在し、それらは今も進化し続けている。
実際、機能は非常に重要である。

書きにくいペンより、書きやすいペンの方が良い。重たいバッグより、軽いバッグの方が使いやすい。それは間違いない。
しかし一方で、人は本当に性能だけで道具を選んでいるのだろうか。

例えば、最新の人気ランニングシューズを購入したとしても、デザインが好みではないと履かなくなってしまうことがある。

逆に、多少不便でも気に入った道具は長く使い続けることがある。
私自身も、デザインに惹かれて購入した万年筆によって、「書く」という行為そのものが楽しくなった経験がある。
素敵な装丁のノートを使い始めたことで、以前より日記を書く時間が好きになったこともあった。

そこには単なる機能だけでは説明できない価値があるように思う。
好きだから使いたい。
触れていたい。
使っている時間が心地よい。
あるいは、その道具を使う暮らしに憧れている。

人は道具を選んでいるようで、その道具によって生まれる時間や感覚を選んでいるのかもしれない。
もちろん、機能を否定したいわけではない。
性能は大切である。
しかし、人が道具に価値を感じる理由は、それだけではないのではないだろうか。

私は文具を通して、多くの人が「便利さ」だけではなく、その道具によって生まれる体験や感覚を求めているように感じている。
そしてそれは、効率や性能だけでは測ることのできない価値なのかもしれない。


Ⅱ. 道具の価値はどこにあるのか

では、人は道具のどこに価値を感じているのだろうか。
私たちはつい、道具の価値を機能によって考えてしまう。
どれだけ便利か。
どれだけ効率が良いか。
どれだけ性能が高いか。
もちろん、それらは道具にとって非常に重要な要素である。

しかし、人が道具に惹かれる理由を見ていくと、それだけでは説明できない場面が多く存在する。
私は、道具の価値にはいくつかの層があるように感じている。

まず一つは、機能としての価値である。
書ける。
運べる。
切れる。
保存できる。
道具として本来果たす役割であり、多くの場合、私たちはまずこの価値を基準に道具を選んでいる。

しかし、人が道具に惹かれる理由は、それだけではない。
例えば万年筆には、書くという機能以外にも独特の感覚的な魅力がある。
ペン先が紙に触れる感覚。
紙を滑る音。
インクの濃淡。
キャップを開ける動作。
そうした一つひとつの感覚に、心地よさを感じる人は少なくない。

一見すると少し面倒にも思える行為だが、そうした時間の中で、「丁寧に書く」という感覚が自然と生まれてくることもある。

鉛筆にも似た魅力がある。
軽く、手に振動が伝わりやすく、紙に触れた時のサリサリという音も心地よい。
しかし一方で、鉛筆はあまり「憧れ」の対象にはなりにくいようにも感じる。
多くの人にとって、小学生の頃から使ってきた、ごく身近な道具だからかもしれない。

つまり、触れた時の心地よさと、「その道具を使いたい」と思う感情は、必ずしも同じではないのである。

一方で、人は感覚だけで道具に惹かれているわけでもない。
例えば万年筆には、「知的」「丁寧」「大人」といったイメージを重ねる人がいる。
あるいは、憧れている人が使っていた道具だから、自分も使ってみたいと思うこともある。
そこでは単なる書き心地だけではなく、「そういう時間を過ごす自分」への憧れが含まれているように思う。

逆に、電子書籍には「現代的」「スマート」「合理的」といった魅力がある。
しかしその一方で、紙をめくる感覚や、本の装丁を楽しむ感覚は薄くなる。

感覚的な心地よさと、「その道具を使いたい」と思う気持ちは、必ずしも同じではないのかもしれない。


こうして考えると、人が道具に惹かれる理由は一つではない。
機能によって選ばれることもあれば、触れていて心地よいという感覚によって選ばれることもある。
あるいは、その道具によってどんな時間を過ごせるのか、どんな自分でいられるのかという感覚に惹かれていることもある。

書けるという機能。
触れていて心地よいという感覚。
そして、その道具を使うことで、自分がどんな時間を過ごし、どんな自分でいられるかという感覚。
私たちは、そうした様々な価値を無意識のうちに感じ取りながら、道具を選んでいるのかもしれない。



Ⅲ. 道具は行為を誘う

道具は、単に何かを行うための手段ではない。
時に私たちの行為や意識に、静かに影響を与えているように思う。
もちろん、道具そのものに人を変える力があるわけではない。

しかし、ある行為へと自然に気持ちを向けさせたり、その時間を少し特別なものにしたりすることはあるのではないだろうか。

例えば、気に入ったノートを買ったことで、日記を書くことが楽しくなったという話を耳にすることがある。
デザインに惹かれて購入した万年筆によって、「書く」という行為そのものが好きになったという人もいる。

実際、私自身もそうした経験がある。
以前よりも手書きの時間を取りたくなったり、少し丁寧に書いてみようと思うようになったりした。
結果として書かれる内容そのものは、大きく変わっていないのかもしれない。
しかし、その過程に流れる時間や感覚は確かに変化していた。

ほかにも、手紙を書く時に、相手や季節に合わせて便箋やインクの色を選ぶようになったことがある。
春には柔らかな色味のインクを使いたくなり、秋には深みのある色を使いたくなる。
そうして色を選んでいるうちに、自然と季節の空気や景色へ意識が向くようになった。

万年筆が季節を作り出しているわけではない。
しかし、その行為を通して、自分の意識や時間の流れが少し変化している感覚があった。

これは文具に限った話ではない。
新しく購入した車を見ると、できるだけ綺麗な状態で長く乗りたいと思うことがある。
洗車をしたり、車内を整えたりするのも、その車を大切にしたいという気持ちがあるからだろう。
気に入ったお皿を買うと、料理を少し綺麗に盛り付けたくなることもある。

そこでは、道具が行為を命令しているわけではない。
しかし、その道具を大切に思う気持ちが、結果として自分の行動や意識に影響を与えている。

私は、こうした変化は非常に小さなものだと思っている。
人生が劇的に変わるわけではない。
突然別人になるわけでもない。
しかし、人の暮らしは、そうした小さな感覚の積み重ねによって形作られている部分もあるのではないだろうか。

少し丁寧に書いてみようと思うこと。
少し誰かを想いながら言葉を選ぶこと。
少し季節を感じながら過ごすこと。
そうした行為の変化を、道具は静かに支えていることがある。

道具は人を変えない。
しかし、人が変わるきっかけをつくることはある。
私は、文具を通して、そんな場面を何度も見てきた。


Ⅳ. それを使っているときの自分が好き

文具店を営んでいると、「万年筆を使ってみたい」と話してくださる方と出会うことがある。
その理由を伺うと、単に書きやすそうだから、というだけではないことが多い。

「万年筆で丁寧に何かを書くって、なんだか素敵じゃないですか」
「そういう暮らしに少し憧れがあって」
そう話す方には、これまで何人も出会ってきた。私は、その言葉がとても印象に残っている。

そこでは単に“ペン”を求めているのではない。
万年筆を使う時間そのものに惹かれているように感じるからである。
そしてもう少し踏み込んで言えば、万年筆を使う時間の中で現れる“自分自身”に惹かれているのかもしれない。

私の好きなアーティストであるZARDの「Oh my love」という曲に、
「一緒にいる時の 自分が一番好き」
「あなたといる時の 素直な自分が好き」
という歌詞があり、私はその言葉がとても印象に残っている。
人は相手そのものだけではなく、“その相手といる時の自分”にも惹かれているのだと感じたからである。

そしてそれは、道具との関係にも少し似ているように思う。
万年筆を使う時間の中で現れる自分には、どこか丁寧さがある。
インクを入れる。
キャップを開ける。
ペン先が紙に触れる。
紙を滑る音を聞く。
インクの濃淡を眺める。
そうした一つひとつの行為は、効率だけを考えれば、決して必要なものではないのかもしれない。

しかし、その時間の中では、不思議と「丁寧に書いてみよう」という気持ちが自然と生まれてくる。
私はそこに、単なる機能ではない価値があるように感じている。

もちろん、それは万年筆そのものが人を変えているわけではない。
しかし、その道具と向き合う時間の中で、普段とは少し違う感覚が現れることはある。
丁寧な自分。
心の豊かさを感じている自分。
創造的になっている自分。
季節を感じながら過ごしている自分。
そうした感覚に、人は惹かれているのかもしれない。

例えば、季節に合った色味のインクを入れたくなることがある。
春には柔らかな色を、秋には深みのある色を使いたくなる。
そうしてインクを選んでいるうちに、自然と季節の空気や景色へ意識が向いていく
。道具が季節を生み出しているわけではない。
しかし、その道具を通して、自分自身の感覚が少し開かれていくような瞬間がある。

また、道具には、その背景や物語によって特別な意味が宿ることもある。
誰かから受け継いだ万年筆。
憧れていた人が使っていた道具。
そうした背景は、単なる機能以上に、その道具を大切にしたいという気持ちを生み出していく。

私たちが求めているのは、道具そのものではないと思う。
その道具によって立ち現れる時間であり、その時間の中で現れる自分自身なのである。


Ⅴ. 道具は結果ではなく、過程を変えている

では、ここまで述べてきたような変化は、本当に「道具によって人が変わっている」と言えるのだろうか。
この問いに対して、私は「大きく変えているわけではない」と思っている。

万年筆を使ったからといって、突然文章が上手くなるわけではない。
高価なノートを使ったからといって、人生そのものが劇的に変わるわけでもない。
書かれる内容そのものは、もしかすると以前と大きく変わっていないのかもしれない。

しかしその一方で、私は道具によって“過程”は変化しているように感じている。
どんな気持ちで書くのか。
どんな時間を過ごすのか。
どんな気持ちで、その行為と向き合うのか。
そうした部分に、道具は静かに影響を与えている。
例えば、同じ「文字を残す」という行為であっても、音声入力によって素早く記録する場合と、万年筆でゆっくり書く場合では、その時間の感覚は大きく異なる。
もちろん、効率という意味では音声入力は非常に優れている。
現代において、そうした技術は欠かせない存在である。

しかしその一方で、手で書くという行為の中には、言葉を選び、紙に触れ、時間をかけて残していく感覚がある。
そこには、効率だけでは測れない豊かさが存在しているように思う。

私は以前、「書く」という行為を“咀嚼”に近いと感じたことがある。
頭の中にあるものを、一度ゆっくり噛みしめるように言葉へ変えていく感覚である。
そして道具は、その咀嚼の時間を支えている存在なのかもしれない。

だからこそ、人は単に便利なだけの道具では満たされないことがある。
機能だけを軸に選んだ道具は確かに便利である。
しかし、気分が上がらず、結果として使わなくなってしまうこともある。
逆に、少し不便であっても、愛着のある道具は長く使い続けたくなる。
そこには、「効率」だけでは説明できない、人と道具との関係が存在している。

私は、道具の価値は機能の中だけにあるわけではないと思っている。
その道具によって立ち現れる時間や体験。
そして、その時間の中で現れる自分自身。
人は、そうしたものに価値を感じながら道具と付き合っているのではないだろうか。

道具は人を劇的に変えるわけではない。
しかし、人が大切にしたい時間や感覚を支える存在にはなり得る。
私は、そのことに、文具という存在の面白さがあるように感じている。


Ⅵ. さいごに

現代には、便利な道具が数多く存在している。
効率よく記録できるデバイス。
素早く情報を整理できるAI。
私たちは以前よりも、はるかに便利な環境の中で暮らしている。

それでもなお、人はインクを選び、万年筆を使い、紙に文字を書こうとする。
それは単に昔のものを好んでいるわけではなく、そこにしか存在しない時間や感覚を求めているからなのかもしれない。

私は、道具の価値は機能の中だけにあるとは思っていない。
もちろん、性能や使いやすさは重要である。
しかしそれだけでは、人が道具に惹かれる理由を説明しきれないように感じている。

その道具を使うことで、どんな時間が流れるのか。
どんな気持ちで、その行為と向き合えるのか。
そして、その時間の中で、どんな自分でいられるのか。

人は、そうした感覚にも価値を感じながら道具を選んでいるのではないだろうか。
だから私は、「良い道具」を、単に高性能な道具だとは考えていない。

その人にとって、使いたくなる理由があること。
大切にしたいと思えること。
その時間を少し豊かに感じられること。
そうした感覚を持てる道具こそ、その人にとって本当に価値のある道具なのだと思う。

この論文が、効率や性能とは別の視点から、道具との関係を考えるきっかけになれば嬉しい。
そして、自分にとって心地よい時間や、自分らしくいられる道具について、少し立ち止まって考える機会になれば幸いである。




TEGAMIYA  ~かくを豊かに~
住所:岐阜県瑞浪市一色町4-13
Instagram:https://www.instagram.com/tegamiya_bungu/



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