虹色創作部 追われる者
追手は、すぐそこまで迫っていた。
彼女――偶然、領主の不正を目撃し、「魔女」と密告された哀れな女――には、もはや逃げるしかなかった。
捕まれば助かる望みは万に一つもない。
夜の闇を裂く怒声と、風に散る焚き火の赤。
村を抜け、人気のない荒野へ。彼女に残された唯一の希望は、眼前に広がる銀色のススキ原だった。
背丈を超える穂の間に紛れ込めば、しばらくは追手の目に触れないかもしれない。しかし、どこまで行けば逃げ切れるのか。今は考えたくもなかった。
ススキは風に揺れ微かにざわめく。そのささやきが、追手の目を惑わせてくれることを彼女は必死で祈った。
「どこへ行った!」
近くで男たちの怒声が響く。
「くそ、あの中か!」
ススキの外縁に松明の光が差し込む。湿った地面を踏みしめ、荒い息を吐きながら一人の男が近づいてくる。
光の揺れにあわせ、彼女の影もわずかに揺れる。息を止め、筋肉を硬直させる。祈りの言葉はもう、何の慰めにもならなかった。
ただ、生きたい。その一心だけが胸にあった。
「……いないか」
男は舌打ちし、踵を返そうとした。その瞬間、風が吹いた。ひゅう、と。
ススキがざわめき、彼女の隠れる場所だけがかすかに違う揺れを見せる。男は見逃さなかった。
「誰だ」
低く響く声。松明がまるで意志を持つかのように、彼女の方を探る。彼女は視線を落とし、光る水たまりに気づいた。石を握りしめ、そっと投げる。
パチャッ
水音が静寂を破る。男は即座に反応し、音の方へ駆け出した。わずか数秒、それだけの猶予。彼女は息を詰め、這うように反対方向へ逃れる。
銀色のススキの海の中へ、さらに深く。露に濡れた穂が頬をかすめ、冷たさが肌を刺す。心臓ははち切れそうだ。
本能はただただ「生き延びろ」と叫んでいた。
だが、疲れた足元が泥で滑る。支えを失い彼女は倒れた。仰向けになった視界に、星空が滲む。
その瞬間――灯りが差した。
追手の一人が、すぐそばに立っていた。先ほどとは別の男だ。石で惑わされず、この場に残っていた。静かに冷たく松明を掲げて言う。
「見つけたぞ、魔女め」
「魔女じゃない……!」
震える声で叫ぶが、男は無表情のまま彼女の腕をねじり、荒縄を巻きつけた。
「逃げた罪は重い。地獄で悔いるがいい」
必死に抵抗するが力は尽きていた。冷たい縄が腕に食い込み呼吸が苦しい。
松明の光に照らされた男の顔は、無表情で任務を淡々とこなすだけだった。
震える声で必死に言葉を紡ぐが、答えは返らない。荒野の夜風だけが耳元でうなる。
足元の泥に足を取られ、体は震える。助けてくれるものは何もなかった。
縄に縛られ立たされる自分。冷たく硬い現実が胸を押し潰す。風にざわめくススキの音さえ、追手の足音にかき消されていく。
以後、彼女を待ち受けるのは、希望を欠いた無慈悲な現実のみであった。
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