未完全人間 #アマノ文筆クラブ
深夜の地下室は湿っている。
甘く腐った果実のような腐臭が、低い天井の下に溜まっている。
どこかで水滴が落ちる。一定の間隔で一つ、また一つ。
その音に、腹の奥の歯車が応じる。
私は手術台に固定されている。瞼は切り取られた。変質した自分から、目を背けることは許されない。
「先生」は覗き込み、焼き固められた右頬を爪で弾く。硬質な音が地下室に乾いて響く。
光沢すら帯びた肌は、光を鈍く返す。左頬だけが汗を滲ませ、冷気にわずかに粟立っている。
「”均質”では、もう売れない」
先生はそう言った。
売れない。その言葉が、水滴よりも重く落ちる。
隣の台には、前作がある。全身が白磁で統一され、呼吸も震えもない。展示会で拍手を浴びたと、先生はかつて誇らしげに語った。
しかし今、その胸は割られ空洞をさらしている。均整は美しかった。だが、揺らがないものは飽きられる。
私の腹で歯車が回る。胸では心臓が拍つ。回転と鼓動は噛み合わず、ぎちり、と小さく軋む。そのたび、水滴の音がずれる。
先生は私の胸を開き、透明な管を差し込む。内部に冷たい液体が満ちる。心臓が跳ね、回転が速まる。
視界の端で、右の頬に灯りが走る。左目だけが潤み、像が滲む。
水滴。
ぎちり。
水滴。
どくり。
私は数を数えようとする。だが鼓動が乱れるたび、順番が崩れる。喉の奥に何かが広がる。舌はもうないが、そこは肉のままだ。
「壊れるものと壊れないもの。その境が、一番高く売れる」
先生は穏やかに言う。市場の話をするときだけ、声が柔らぐ。
私は思い出す。かつて地上にいたころ、ショーウィンドウの前に立った夜。
無数の義肢と、改造された身体。値札。照明。
私はそれを見る側で、安全な場所にずっといられると思っていた。
どうして。
腹の歯車が急に空転する。心臓が遅れ、胸腔の内側でぶつかる。息が浅くなる。
逃げたいのか止まりたいのか、自分でも判別できない。ただ、指先の肉だけが痙攣する。
先生はメスを置いた。
「完成させない。君は、このままで展示する」
縫合糸が引かれる。胸が閉じられる。内部で歯車と心臓は互いを探すように、しかし決して一致しないまま鳴り続ける。
水滴が落ちる。
私は廃棄されない。均質でも、完全でもない。揺らぎを保ったまま、光の下へ運ばれる。
地下室の湿気が肺に沈む。
ぎちり。
どくり。
水滴。
その三つが、私の代わりに鳴り続ける。
こちらに参ksいmあ
いいなと思ったら応援しよう!
面白いと感じていただけたら、コストのかからないフォローとスキをくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。